残像 3 ○月×日 今日の任務は突然中止になった。 私が下忍になって初めての葬儀。 殉職した人はまだ若くって…家族の人と恋人らしい人が、棺にすがって泣いてた。 忍のみが集まる弔いの最後は石碑に名を刻むことで終る。 今日聞いた正午のサイレンの音を…私は一生忘れないと思う。 帰り道、先生に聞いたの。 私が死んだら泣くかって。 そしたら真面目な顔で多分泣かないだろう、って言った。 泣けない、とも言った。 どうしてそんなコト言うかな? 嘘でもいいから泣くって言えばいいのに!! 癪に障るから…私だって先生が死んでも泣かないって言っちゃったわよ。 オマケにすぐ彼氏だって作るからって宣言付きでね! そしたら先生…なんて返事したと思う?! そうしてくれ、だって。 …バカにしてるわ!! こんなに先生のことが好きなのに、そんなこと出来るワケないじゃない! …私の気持ち知ってるくせに、そんなこと、言わないで… 思い出したように目の前のコーヒーカップに手を伸ばし、口を付ける。 すっかり冷めたそれはただ苦く…ゆっくりと喉を通っていく。 対面した位置にはもう一組、同じコーヒーカップが置かれていた。 イルカ先生、とおっしゃったかしら…? 随分前に立ち去ったアカデミーの教師だという人を思い出す。 実直そうなその人は、今朝起きた事件についてひたすら頭を下げて謝罪の言葉を口にした。 タチの悪い悪戯だと憤慨されていたようだが、正直、自分にとってはどうでもいいことだった。 …石碑に刻まれた自分の娘の名前が削り取られたことなど。 むしろ少し気持ちが軽くなったように感じられる。 本当はまだ任務中で今日にでも帰ってくるのではないか…そんな気がして。 深い溜息を吐いた時、あまりにもタイミングよくインターホンが鳴った。 サクラ!! サクラの母は慌てて立ち上がると玄関へと急いだ。 勢いよく開けられた扉の先には娘とは似ても似つかない背の高い男が立っていた。 わかっていた事とはいえ、落胆の色を隠せない。 それでもなんとか応対の言葉を探す。 「…はたけ先生…」 「サクラがいないんです」 すぐさま返された言葉にサクラの母は目の前の男を凝視した。 顔のほとんどを隠した男の群青の瞳は虚ろで生気がなく、痛々しいほどの空気を身に纏っている。 目を合わせていられなくて…視線を落としたサクラの母はさらにそこでとんでもないものを見た。 血だらけの両手。 血はすでに凝固しているが、よく見ればいくつか爪も剥げているようだ。 不意にサクラの母の頭の中で警告に似た音が響く。 『誰かが、御嬢さんの…サクラさんの名前を削り取った』 「サクラが、いないんです。何処にも」 繰り返されるカカシの言葉に確信を覚えた。 パズルの最後のピースがぴったりと収まる感覚。 …この人だ、と。 サクラの母は滲む視界を振り切って笑みを浮かべた。 「ええ…わかっています。まず傷の手当てを」 「いいです。そんなことより…」 「よくありません。先生の傷をそのままにしておいたら私がサクラに叱られてしまいますもの」 サクラに…そう告げた途端、カカシが顔を上げた。 「やっぱり家に居るんですね?サクラのヤツ…」 「…散らかってますが、どうぞお入りください」 カカシの言葉には答えず、サクラの母はただ家へと招き入れた。 指先にこびり付いた赤黒い血の塊をコットンで丁寧に落としていく。 テーブルの上は汚れたコットンがいくつも積み重ねられた。 爪が剥がれた左手の人差し指と中指に薬を塗り、包帯を巻く。 手当ては終始無言で行われていた。 しかし其処にはお互いに共感しあう何かが確かに存在していて、むしろ心地よい空間を作り出している。 「有難う御座いました」 包帯の端を結び終えたサクラの母の言葉にカカシは首を傾げた。 お礼を言うべきは自分のはずだ。 「…何のことです?」 「娘に関する全てのことに感謝します」 「…」 「あの子は幸せでした。…少なくとも私にはそう見えてましたから」 「…な…にを……」 何を言っているのだ、とカカシが口にする前にサクラの母は再び深々と頭を下げた。 「…有難う御座いました」 傷の手当てを終えた後、渡したいものがあると言って案内されたのはサクラの部屋だった。 ほんの二、三日逢っていないだけだというのに懐かしく感じられるサクラの匂い。 カカシは軽い眩暈を覚え、額に手を当てた。 先に部屋へ入ったサクラの母がカカシを振り返り、机の上に置かれていた赤い表紙の本をそっと差し出す。 「あの子の…日記帳です」 「…」 「あなたに…はたけ先生に貰って頂だきたくて」 サクラの母は受け取らないカカシに強引に日記を押し付けた。 「私は中を見ていません。…でも、何が書かれているかぐらいわかりますもの」 母親ですから、と付け足された言葉はカカシの胸に重く響く。 「はたけ先生に持っていて頂ける方が…サクラもきっと喜ぶと思いますわ」 そう力なく呟いた後、背を向け歩き出したサクラの母は部屋を出るところで一度立ち止まった。 「私は主人を迎えにいってまいります。…きっとまた墓前にいるでしょうから」 だんだん小さくなっていく足音にカカシは額当てをとり、面布を引きおろした。 大きく息を吸い込んでから…小さなベッドに腰掛ける。 それはカカシの重みで小さく軋んだ。 「此処にも居ないのか、サクラ…」 サクラの手がかりを探そうと辺りを見渡すが、主の居ない部屋は何も語りはしない。 ふと壁に掛かったカレンダーが目に付いた。 一際目立つピンク色のペンで大きく囲まれた日付。 …カカシは顔を歪めて、目を逸らした。 手の中の日記帳。 日記なんか付けてたのか… ま、らしいって言えばらしいよなぁ。 厚手の表紙には小さな鍵穴が付いている。 カカシは一緒に渡された鈴の付いた鍵を差込み、ゆっくりと回した。 ○月×日 やったわ!!神様に感謝! ていうか、イルカ先生大好き!! サスケくんと同じ班になれるなんて…これからの人生バラ色よ。 いのの悔しそうな顔ったらなかったわ! ザマアミロー! あぁそういえば…ウザイことにナルトも一緒なのよねー。 まぁ、班のレベルが平均になるように分けたって言ってたからしょうがないか。 だってサスケくん優秀なんだもん。 だめナルトと足して2で割るとちょうど平均なのね。 早く明日になんないかなぁ? ○月×日 …なんなの、アレは。 アレでも教師?! 本当に信じられないわ!! 遅刻して現れたかと思うと『嫌いだ』ですって? 子供じゃないんだから…あんなのが上忍でいいの? 先が思いやられるわ… ま、そんな上司のコトなんかよりサスケくんよッ! 今日もすごく格好よかったー 初めて名前で呼ばれたし!!「サクラ」って。 良い夢が見れそう。 そんなに昔のことではないのに懐かしさがカカシを取り巻く。 最初の日付はアカデミーを卒業した翌日から始まっていた。 どこか危うさを伴う年頃の、等寸大の言葉で綴られた日記には素直なまでの気持ちの軌跡が見て取れる。 些細な日常、恋の行方。 パラパラとページを捲るカカシは徐々にサスケの名前から自分の名前で埋め尽くされていく様を見て嬉しそうに微笑んだ。 ○月×日 …私、怒ってるのよ? そりゃー少しは予想してたけど…いくらなんでも三時間の遅刻はないでしょ!! 本当に…本当に怒ってるんだからね? 泣いて謝ったって許してあげない! もう!! …でもきっと許しちゃうのよ。 悔しいけどね。 『恋』って結局惚れた方が負けなんだわ… だから勝負になんてならないの。 だって…私の負けは最初から決まってる。 上手くフォローしてね? 誤魔化されてあげるから。 それぐらいは惚れられてるって自惚れてもいいでしょう? とりあえず今はまだ怒りが収まらないケド。 …明日、任務の帰りに先生が餡蜜を奢ってくれる頃にはきっと… カレンダーに印の入った日付け。 約束のデートの後に書かれた最後のページ。 『あの出来事』が起こる、前日。 今となってはどうしようもない。 どうしようも、ないんだ… いくらやり直そうとも、『明日』は来ないのだから。永久に。 サクラが…サクラが何処にも居ない… 認めたくない事実にカカシは目を伏せるしかなかった。 そんなに何度も言わなくてもわかってるって。 瞳を閉じるとすぐに現れるサクラの残像にカカシは苦笑した。 相変わらず声は聞こえなかったが、サクラは『あの時の笑顔』で語りかけてくる。 「…オレもだよ」 そう呟いた途端、カカシの頬を何かが伝った。 暖かいそれは止まることなく溢れ出る。 一滴、口角からカカシの中へ浸入した。 とうの昔に忘れたはずのその味に…カカシは乾いた笑いを滲ませて呟く。 「…サクラ……」 瞳の奥に焼きついた残像は消えることなく繰り返される。 永遠の一瞬。 春の陽気のような…朗らかな笑みを湛えた少女が真っすぐ自分を見つめ、何度も告げるのだ。 アイシテル 愛してるの 忘れないでね? 私は先生を愛してる アイシテル。 そう。 それが自分へ向けたサクラの、最後の言葉。 『アイシテル』 マジ、なんとも言えん。暗すぎ。 これ書いてるとき、超暗い気分だったもので… ね?みやちゃん&あちうさん(笑) 勝手に二人に捧げてみたり。 はは。いらんって?(あたりまえ!) 2003.04.22 まゆ 2008.11.16 改訂 まゆ |
2 1 |