タイムカプセル 4




目に映る全てが永遠だと信じてた
抱きしめても抱きしめてももう戻れない
苦しいくらい大好きよ
我侭だと知っていてもまだ…
出来ることなら今すぐにあなたの匂い確かめたいの
あとどれだけの季節飛び越えれば何もかもそう…
消えてしまうの?







何もない部屋。
その中で唯一、生活感が感じられる小さなちゃぶ台でカカシは手紙を書いていた。
明日、埋めることになっているタイムカプセルへ入れる為に。

もうすでに2人分は書き上げられていて、残るはただ一人…カカシが愛してやまない幼い少女へのものだけだった。
辺りには書き損じた便箋がぐしゃりと丸められて、いくつも転がっている。

十年後、かぁ。
ってことは、二十二か二十三だよな?
……サクラも十分大人だ。

カカシは自分の気持ちをどう伝えれば良いか、考えあぐねいていた。
チンケな安っぽい愛の言葉…例えば『好きだ』とか、『愛してる』とか…そんな簡単な言葉ではなくて。
どう言えば自分の気持ちをそのままに…サクラへ伝えることが出来るのか?
ひたすら言葉を捜していたカカシは大きく伸びをすると、そのまま畳へ寝転がった。
人差し指に引っ掛けた指輪を天井の明かりにかざす。
特別高級なシロモノではない。
ただ、プラチナの細いリングについている淡い紅色の石がサクラの髪と全く同じ色で…とにかく、カカシは一目で気に入ったのだ。
購入する時、店員にサイズを聞かれたが、そんなものわかるはずがなかった。

…十年後のサクラへのプレゼントなのだから。

細い方だと思うというカカシの曖昧な言葉に、店員は笑いながら彼女への贈り物でしょう?サイズはしっかりチェックしておくものですよと答え…とりあえず見立ててくれた。

「サイズ、合うといいんだけど…」

ポツリと呟き、目を閉じると十年後のサクラを想像する。

大きなエメラルド色の瞳は、きっと澄んだままで…
髪は…そうだなぁ、きっと伸ばしてる。
背はオレの肩ぐらいか?

逢って、みたいなぁ……

「よし!!」

何を思ったのか、カカシはいきなり跳ね起きると準備に取り掛かった。



揺らぐ蝋燭の炎。
カカシは額あてをとった両目でその先端を見つめ、精神統一を図る。
ゆっくりと吸い込まれた空気は一度肺に溜められ、さらに倍の遅さで吐き出された。

ターゲット…春野サクラ。
到達ポイント…未定。…いや、ターゲットを補足できる範囲。
到達時間…木の葉歴三百年から十年後のxx月xx日。
…サクラが手紙の封を開けた、その瞬間。

少ない情報を頭の中に刻み込み、カカシはゆっくりと目を閉じる。
そして…カカシの両手は目で追いつけない速さで印を結び始めた。



時空間忍術のオリジナル

時空間忍術の代表ともいえる『口寄せの術』は、血の契約を交わした生き物を自分のもとへと呼び出すもの。
自分自身を転移させる術は…厳密に言えば『瞬間移動』であり、時空を越えることは出来ない。
しかし、カカシの理論だと二つの術印を組み合わせることによって自分自身を時空間転移させることも可能なハズだった。

複数の術印を組み合わせることは、もちろん誰もが出来ることではない。
しかし、あっさりとそれをやってのける男がいる。

『はたけカカシ』

彼が天才と囁かれる所以はそんなところにあった。



不確かな情報の中で時間の流れに介入しない、確実たるモノ。
今の自分と10年後のサクラを結ぶ唯一のモノ。

『プラチナの指輪』

それを小指に入れたまま、カカシは印を結ぶ。
カカシの身体がゆらりと揺らいだ次の瞬間、彼だけが部屋から…消失した。
何事もなかったかのように蝋燭の炎は燃え、あたりを橙色に照らす。

主のいなくなった部屋の畳の上。
支えを失った指輪が小さな音を立てて転がった。












「さくらちゃーんっ!」

独特なイントネーションでサクラを呼ぶ声。
あれぇ?今朝、受付で任務のため里を離れてるって聞いたんだけど?

「ナルト!!」

サクラがぶんぶんと手を振ると、ナルトも手を振り返してきた。
その手には大きなシャベルが握られている。

やば。忘れてた…

サクラの傍までやってきたナルトは、はぁーと息を吐くと呼吸を整えた。

「探したってば。タイムカプセル埋めた場所にいないし」
「ごめんごめん」

半年振りなのに、それを感じさせないナルトの雰囲気にサクラはにっこり笑った。
「それに、コレ!置きっぱなしだった」

サクラは目線にまで持ち上げられたシャベルを見て爆笑した。

「ははは。ソレ、ね。すっかり忘れてたわ。アカデミーの倉庫から黙って借りてきちゃったのよ。返さなきゃ!」

サクラが大事に抱きかかえている青い壷。

「…まだ、開けてなかったんだ。オレってば、間に合った?」
「うん。今から開けるトコだったの。やっぱり、ほら…先生の前で開けたかったから」
「ん」

ナルトはそれ以上のことは言わなかった。

…サスケくん…

「…あと、サスケくんだけね…」

ポツリと呟くサクラへ、ナルトはあからさまに嫌な顔を見せる。
いつの頃からか…ナルトはサスケの話題になると急に不機嫌になるのだ。
元気でいるのかな?とか、任務で一緒になったりしないの?とサクラが訊ねても知らねぇの一点張りで、取り付くしまもない。
しかし、今日はやはり特別な日だからだろうか…意外にもまともな返事が返ってきた。

「…アイツなら、来てるってば」
「え?」

ナルトの言葉に壷を見つめていたサクラは顔を上げ、首をかしげた。
何処?と訊ねるより早くナルトの手から離れたクナイが宙を切り、サクラ達から遥か離れた木の枝へと吸い込まれてく。
クナイによる疾風が木々の葉を揺らした時、ソレは現れた。

キツネに似た面…木の葉の里の…暗部。

「…ま…さか、先…生……?」
「んなわけないってば、サクラちゃん。……よく見てみなよ」

面から覗いている髪の色は漆黒。
ゆっくりと近づいてきた暗部にナルトの尖った言葉が浴びせられる。

「ふぅん…覚えてたんだ?サスケ。」
「…」

暗部…サスケはナルトを無視して真っすぐサクラの方へ向く。

「…早く開けろ」

何年かぶりの、サスケの声。
懐かしさと嬉しさ、悲しみとやるせなさで、サクラの視界が滲む。

どうして…暗部なんかに……

聞きたいことは、沢山あった。
しかし、それを許さないサスケの声が低く響く。

「開けろ」

再び急かされたサクラは壺を地面に降ろした。
自らもしゃがみこむと片手を軽く壺の蓋に貼られた札に置き、開封の呪文を呟く。
4人の名前を順番に。

「ナルト…サスケ…サクラ…カカシ…」

柔らかなサクラの声が最後の言葉を終えると同時にボワッと小さな白い煙が立ち上がり、札が燃え尽きて灰になった。
コルクのような蓋を開けようとするサクラの手が…緊張で、震える。
ナルトはサクラに微笑みかけ、その手を包み込むと…二人で一緒に蓋を開けた。

ふわりとカビ臭い空気が立ち上り、サクラの鼻先をかすめて消える。

十年前の、空気。
アノヒトを…
カカシ先生を知っている空気が…今、消えた。

早速、手を突っ込んだナルトが一番初めに取り出したものは…カップラーメン。
とりあえずカップラーメンの底の賞味期限を確認したナルトは長い溜息を吐いた。
「……オレって、馬鹿?」
「あはは。食べれるわけないでしょ?何を今更…」

ナルトにツッコミを入れながらも壺の中を探るサクラの手が次に取り出したものは…自らが入れた巾着袋だった。
たどたどしい縫い目の手製の巾着。
地面の上にひっくり返すと、中からはいろいろな物が出てきた。
星の飾りが付いた髪留めだとか、ピンクのリップクリームだとか、うさぎのキーホルダーだとか、とにかくいろいろ。

「あ、マニキュア…分離してる…」

一番最後に巾着から出てきたのは、当時よく塗っていたマニキュアだった。

お気に入りだった黄緑色のマニキュア。
先生も褒めてくれた…よく似合うって。

分離したマニキュアは何度振ってみても、透き通るような黄緑色には戻らない。

やはり、あの頃には戻れないのね?

諦めて腕を下ろしたサクラは顔を上げ、サスケを盗み見る。

…サスケくんは何を入れたんだろう?

再びサクラが壺の中へ手を入れるのと入れ違いに、ナルトの手が何かを鷲づかみにして引き出した。

「……カ…カシ…先生からの手紙だ…」

ナルトの掠れた声に、少し離れて立っていたサスケが近寄ってくる。
最初からそれだけが目的であったようだった。

「…よこせ」

強引に自分の名前の書いてある封筒を取り上げ、そのまま踵を返し消えようとしたサスケの腕を…一瞬早くサクラが掴む。

「ち…ちょっと待って、サスケくん」

振り向くサスケは面を付けたままであり、表情など見えるはずもなかったが、明らかに驚いた様子で固まった。
引き止められるとは予想していなかったのだろう。

「これ!」

そう言ってサクラがサスケの胸に押し付けたものは、一枚の紙きれ。

「サスケくんの…大事なものだよね?」
「…」
「持っていかなきゃ」

受け取らないサスケの手を引き寄せ、強引に渡した。

「…もう、七班の『うちはサスケ』はいない…」

感情を押し殺したような低い声。
しかし、サクラは微笑んでみせた。

「大丈夫。帰ってくるわ!七班のサスケくんは…いなくなったりしないもの」

自信ありげなサクラの言葉に、サスケは初めて感情のこもった声を紡ぐ。

「…相変わらずだな、オマエは」

サスケは一度、手にした紙きれに視線を落とした後、胸のポケットの中へしまった。

サクラ…ナルト…お前たちはそのままでいろ。
ずっと変わらず、昔のままで。
お前たちのいる所…それが、いつか俺の戻るべき場所になればいい…
でも。

「一族のケリをつけるまでは、暗部をやめるわけにはいかない!」

その凛とした声が空気を震わせてサクラの耳へ届いた時には、もはやサスケの姿はサクラとナルトの前から消えていた。

「あいつ…あの写真を入れてたのか…」

七班の三人とカカシ先生、この四人が揃っているのはアレ一枚きりだ。
確か、任務で草抜きばかりしていた頃、誰かに写してもらったもの。
もちろん、ナルトもサクラも大事に持っているが……

「サスケくんには宝物だったのよ。きっと、今もね」

ナルトは何を言っていいかわからない、苦虫を潰したような顔をして黙り込んだ。

「ごめんね?ナルト。サスケくんが暗部にいること、私には言い出しにくかったでしょう?」

死ぬ確率が、ぐんと跳ね上がる暗部。
カカシ先生も、その任務中に亡くなった…
私にとっては鬼門とも言える部署。

「…情報量がハンパじゃないからって」

ナルトの呟きにカン良いサクラが考えを巡らす。

暗部独自の情報網。
サスケは兄を探す為にそれを利用しているということなのだろう。

「そっか。でも大丈夫だよ、サスケくんなら…」
「…だよな?アイツ、気が付いたらいきなりオレの背後に立ってそうだってば」
「ウスラトンカチって?」

二人は顔を見合わせて笑った。

こんなに笑ったのは久しぶりだわ!
先生…見てる?
すべて変わってしまったと思っていたのに、私達…何も変わってはいないみたい。
十年前のまま、ね。
なかなか逢えなくても、心はどこかで繋がっているよ?

ふふ、と笑うサクラの視線の先が慰霊碑に向いているのを、ナルトは溜息交じりに見ていた。
何年経ってもサクラの中のカカシは消えない。
それどころか、だんだんと存在が大きくなってくるようだ。
…すでにいない人間の記憶は美化されやすい。

記憶に捕らわれ過ぎなければいいけれど…

ナルトの視線を感じ、何?と目で問い掛けるサクラを片手を上げて制すると、地面に置いておいたシャベルを拾い上げた。

「オレ、帰るよ…サクラちゃん」
「え?…もう?!」
「家に帰ってコレ読まなきゃ!」

ひらひらと振っているのは、カカシからの手紙。
ナルトはそのうちの一つ、『サクラへ』と書かれた封筒を差し出した。

「はい、サクラちゃんの分」
「…うん」

ノロノロと受け取るサクラに、ナルトはやさしい笑みを浮かべる。

「サクラちゃんには…何を、書いたのかな?カカシ先生」

楽しみだね?と続けられた言葉にサクラも無理に微笑んだ。

「じゃ。…あ、コレ返しておくから」

ナルトは来た時と同じように手に持ったシャベルを振りながら、サクラへ背を向けた。
だんだん小さくなる背中にサクラが声をかける。

「ナルト!!今度の休みに一楽のラーメンを食べに行こう!だからソレ、食べちゃダメよ!」

シャベルを持つ反対の手にある十年前のカップラーメン。
まさか、食べるとは思わないけど…

「わかってるってば!」

一度だけ振り向いたナルトは、大きく手を振ってそのまま里のほうへと歩き去った。



静まり返る丘に再び一人で佇むサクラは、握っていた封筒に目を落とす。
『サクラへ』と書かれた懐かしい右上がりの角張った文字。

任務が終わった後、よく報告書を書くの手伝わされたのよね…

そんなことを思い出しながら、整えられた小指のツメをのり付け部分に差し込んだ。

開けるわよ、先生?

ピン、と小指をはじく様に動かすと、ぱりぱりに乾燥したのりはあっけなく剥がれて封筒の口が開き…折りたたまれた便箋が一枚、顔を出した。

サスケくんの封筒も、ナルトのも…もっと厚みがあったようなんだけど?

少しムッとしながら便箋を取り出す。
と、同時に何かが封筒から地面へと転がり落ちた。

「?」

視線をめぐらすと、足元に小さな光るものが見える。
指で摘んで拾い上げたソレは…

桃色に光る指輪。

な…んで……どう…して?

うろたえるサクラが急いで便箋を開く。が、そこには何も記されてはいなかった。

先生……

何を、意味するのか。
はたまた、意味など存在しないのか。
サクラの手のひらの上で輝く指輪は何も語りはしない。

「…馬鹿」

サクラの小さな呟きは同時に瞳からの雫をも促した。
目の端から伝う涙はポタポタと地面へ落ち、乾いた土へ吸い込まれていく。
手でこするように拭うとザラリと砂の感触がした。
柔らかな向かい風にふわりと長い髪の裾が舞い上がる、その時。


「…サクラ…か?」


突然名前を呼ばれたサクラは…その場で固まった。
呼吸すら止めていたかもしれない。
それほどに驚愕していた。

信じない。
空耳だもの。

「サクラ、だろう?」

気のせいよ!
今日は少し感傷的だから…

「…サクラ?」

絶対、振り向かない!
だって…

頑なに俯いたまま首を振るサクラの背後から、草を踏みしめる音が近づいて来る。
すぐ傍まで近づいてきた気配は消えることなく、サクラの肩に軽く手を置き、下から覗き込むようにして顔を寄せた。
サクラの目の端に写る青銀の髪。
涙で滲んでいるが、間違い…なかった。

先生!!

「おーい、サクラちゃん?」

カカシはからかうような軽い口ぶりで、こちらを見ようともしないサクラを強引に自分の方へ引き寄せ、小さな顎に手を沿えると、顔を上向かせた。

「どうしたの、サクラ。その顔…」

タイムカプセルを掘ったままの手でこすられた顔はあちこちに土が付き、それが涙でぐちゃぐちゃになっている。

カカシ先生!!!

例え、目の前にいるモノが幽霊だったとしても、もののけの類であったとしても、もはやサクラにはどうでも良かった。
声にならない叫びを上げて飛びついてくるサクラに、カカシは訳がわからないまま背中を慰めるようにぽんぽん、と叩く。

「美人が台無しデショ?」

カカシは腕の袖口で土を落としてやりながら、状況を理解しようとした。

十年後…だよなぁ?
術は上手くいったはずだけど…
サクラ一人なのか?!
…あいつらはどうした?

一番恐れていた自分とのダブルブッキングは避けられたようだが、さすがにサクラ一人という場面は想像していなかった。
しかも、ココはタイムカプセルを埋めると決めた場所ではない。
カカシがサクラの顔の土を拭い終えた途端、サクラは再び胸にしがみ付いてきた。

一体、どうしたって言うの。

サクラの普通でない反応に首をかしげる。
そして、サクラごしに視界に入った慰霊碑を見た瞬間…カカシはすべてを理解した。

「ドジったみたいだねぇ、オレ」

顔を埋めたカカシの胸から響く声はどこか他人事のようで…
サクラが言葉の意味を理解するまで暫くの間があった。

「見ちゃ、ダメ!」

しがみ付いていた胸を突き放すと、サクラは両手をいっぱいに広げてカカシの前に立ち塞がる。

「違うの!…何でもないの!!」

大人になったサクラ。
それでもやはりカカシの肩ほどの背たけしかなくて、広げた両手は何の障害にもならなかった。

「見ないで!!」

胸を締め付けるようなサクラの叫び声に、カカシはサクラ自身へと視線を戻す。
カカシの知っている幼いサクラがいつもしているように、髪の毛をまとめるように結ばれた額あてと、…その他に首からぶら下げられたもう一つの額あてが目に映った。

オレの…?

まじまじとサクラを見つめる。

「ナルトとサスケは?」
「…さっきまで、一緒だった…」

あ、じゃ…やっぱり、オレのね。

自然に微笑みが洩れた。
自分が死んだ後、どういう経路でかわからないが自分の額あてがサクラの手元に渡っていることに対して。

なんだか幸せな気分だった。

自分の存在がこの世から消えようとも覚えていてくれる誰かがいる。
それが自分の愛しい人なら、なおさらのこと。

…ホントは忘れろというべきなんだろうけどね。

ははは、と一人苦笑するカカシをサクラが怪訝な目で見つめていた。

「サクラ、指輪…は?手紙と一緒に入ってたデショ」

カカシの言葉にサクラは握り締めていた右手を開けて中を確認する。
手のひらにちょこんと乗っている薄紅の指輪。
カカシの指がそれをひょいと摘み上げた。

「手、出して」

カカシの言葉の意図を読み取ってサクラは微かに震える左手を差し出す。

「…そっちは、ダメだよ」

少し寂しげにそう言うと、カカシはサクラの右手を取り、その薬指に入れた。
スルリとあつらえた様に納まった指輪にカカシは胸を撫で下ろす。

「お、ピッタリ」

左手の薬指に入れる指輪は、永遠の束縛。
それは、出来ない。
……やってはいけないこと。

「サクラ、今、付き合っている人は?」

俯いた薄紅の頭がふるふると横に動いた。

「…好きな、人はいる?」

再び横に揺れる頭にカカシは優しく手を置いて、そっと撫でる。

「じゃあ、さ…サクラに好きな人が出来るまででいいから…大事にしてくれたら嬉しいなぁ、ソレ」

先生…矛盾してるよ!!
大事に持ってると好きな人は出来ないでしょう?
もちろん先生より好きになれる人なんて…現れるわけないけれど。

サクラは顔を上げ、カカシを見つめた。
はじめて、違和感に気付く。
改めてよく見ると…若い。
自分が一番最後に逢ったのは先生が暗部へ戻る直前だったと思うのだが、その時より格段に若かった。

どちらかと言えば、初めて逢った頃の先生に近いような…?

「先生…?本物、だよね?」

今更の質問にカカシは吹き出した。

「ははは。本物だけど、ニセモノ…かな」

謎掛けのような答えに戸惑うサクラに言葉を続けた。

「十年前から時空を越えてきた、って言ったら…信じる?」
「十年前…?」
「そう。十年前。…大きくなったサクラを見てみたくて」

面布も額あてもない素顔のカカシは悪戯っぽく笑って見せた。
そうやって笑うと、本当に若い。
…今のサクラと大差がないほどに。

あの頃、私がもっと大人だったなら!
これぐらいの歳の差だったら…!!

滲んでくる視界を保とうと、サクラは瞬きを繰り返す。

いつの間にかサスケくんより先生を好きになっていたことに、もっと早く気付けたのに!
告白する勇気を持てたのに!!
…あの日…
最後に逢ったあの日…引き止められたかもしれないのに!!!

悔やんでも悔やみきれない日々。

…今なら、間に合う?!

「任務は大変?」

カカシの声に突然思考を中断したサクラがぽろりと言葉を漏らす。

「何言ってるの先生?先生が私をアカデミーへ転属させたんじゃない」
「え?オレがサクラを転属させた…?」

サクラはしまった!という顔で口元を抑えたが、もう遅い。
一度出てしまった言葉は、確かにカカシの鼓膜を振るわせた。

「アカデミーか…うん、イイね!」 

カカシが満足げに何度も頷く。

そういう手があったか!
教員なら危険な任務にも…意にそぐわない任務にも就かなくていい。

勝手に自己完結に入っているカカシの忍服を掴みサクラが叫ぶ。
それはもはや悲鳴に近かった。

「お願い、先生!何もしないで!!」

先生が三代目と密約を交わしたことは、先生の葬儀で聞いた。
もし、何もなければ?
自分が普通に忍びとして任務に就くなら?
きっと、先生は…死なない!

「ソレは無理」
「どうして…?」

サクラの反応で『そのこと』が自分の死期を早めたことは間違いないだろう…
でも。

「だってオレ、小さなサクラ…大事だし?」
「じゃ…帰さない。…そうよ、先生このままココに居ればいい!」
「ははは。ソレも無理だね」
「ヤダ!」
「……サクラ…小さなサクラは聞き分けのいい良い子だよ?」

諭すようなカカシの口ぶりにサクラはぽろぽろと涙をこぼした。
広い胸に精一杯の力でしがみ付く。

「なによ、さっきから小さいサクラ、小さいサクラって!私だってサクラなのよ?先生が必要なの!!」
「…逢えて良かったよ…サクラ」
「先生!!」
「オレにとって…悪くない未来だ」

穏やかな微笑でカカシはサクラの頭をくしゃくしゃと撫でる。
長い髪の裾がそれに合わせて左右に揺れるのを見ていたカカシは、足元に落ちている便箋を拾い上げた。
何も書いていない一枚の便箋。
それをサクラに握らせる。

「帰ったら、すぐ書くから。ちゃんと持ってて?」
「ここにいてよぅ…傍にいて欲しいの…一人はイヤ!」

カカシは困ったような表情で抱きしめる。

「ごめんね、サクラ…」
「謝らないで!」
「…そろそろ時間なんだ」
「!!」

自動的に戻るよう時間をセットしておいてよかった。
大人になったサクラを一目見たかっただけなのに。
…帰りたく、なくなる…なんて。

「最後に笑顔を見せてよ。…ほら、笑って?」

優しく顔を上げさせると大きな翡翠色の瞳を覗き込む。

「約束するよ。出来る限りサクラの傍にいてあげる…だから…」

笑って…というカカシの言葉にサクラはもう何も言えなかった。

「幸せになるんだ…サクラ」
「…」
「サクラなら、きっとなれる」

カカシはサクラの無理に造られたぎこちない笑顔を両手で包み込んだ。
そして、愛らしいおでこにそっと唇を落とし…自らも微笑む。
徐々に滲んでくるカカシの笑顔に、サクラは瞳をこすった。
しかし、それは涙のせいではなく…カカシ自体が、空気に溶け合うようにその存在を消しつつある為で………

「先生!!」

サクラの差し伸べる指はカカシには届かず、完全に消失した後の…カカシがいた空間を手繰り寄せるように宙を切った。



「いやぁぁ!!!」












何もない部屋。
その中で唯一、生活感が感じられる小さなちゃぶ台の上には、完全に燃え尽きてしまった蝋燭の残骸と…部屋の主の額あて、そして書きかけの手紙がある。
畳の上で倒れていたカカシはゆっくりと上体を起こし、頭を振った。

「…」

術が成功したのか…それとも、自分に都合のいい妄想の世界だったのか…正直なところ、カカシには解りかねた。

でも、悪くない未来だった。
教え子達はみんな無事で…忘れずにタイムカプセルも開けたようだし。
しかも、サクラ。
『アカデミーの教員』という全く考えていなかった選択。

…覚えておこう…

「さあ、手紙…書かないと!」

愛しいあの子が、待ってる。
涙を溜めながら精一杯微笑んでくれた、サクラが…待ってる。

想像していたよりも贔屓目なしに美しい娘に成長していたサクラ。
里中の男がひざまづくだろう。
その中に自分はいないけれど…

カカシはサラサラと短い文をしたためると四つ折にして封筒に入れる。
畳に転がる指輪を拾い上げ、それも忘れず封筒の中へ落とすと丁寧に糊付けして口を閉じた。

ふと見上げた、カーテンも掛かっていない窓から…朝日が昇るのが映る。

一日の始まり。

限られた、貴重な時間をなるべくサクラと過ごせるように。
今日から遅刻はナシだな…

時間通り現れた自分を見て驚く三人の教え子達を想像しながら、カカシは一人何もない部屋で笑った。












時間が経つにつれ、温度の下がってきた風は冷たく、サクラに纏わりついては体温を奪う。
しかし、全身の力が抜けて地面に座り込んだサクラは、しばらくの間放心状態だった。

夢、だったのかもしれない。

夕刻に差し掛かる『逢魔が刻』
魔物たちが見せた、幻。

太陽の茜色した光が慰霊碑に反射する。
…掘り込まれた大切なアノヒトの名前が影を作り、色濃く浮かび上がった。

「先生…」

右手の薬指に収まっている指輪。
…そして握られたままの便箋。

何も書かれていなかった便箋を、サクラは半信半疑でもう一度広げる。
そこには、今度は確かに文字が浮き上がっていた。


『サクラがずっと笑顔でいられるように』


それは短い祈りの言葉。

先生が傍にいないのに?
微笑んでなんて、いられないよ!

最高の笑顔は、先生の為に。
だから、お願い。
もう一度……



「先生!!」












今は孤独がただ胸に刺さるよ
甘くせつなくうずく傷をおさえ
あなたを想うのいつものこの丘で…










2002.04.29
まゆ


2008.11.24 改訂
まゆ