タイムカプセル 3




それはカカシにとって暗部へ戻り、3度目の冬だった…


見るもの全てが朱に染まる。






カカシは大きな木を背にもたれ掛かかって立っていたが、もはや動くものが無いと解るとそのままズルズルと雪の中へ座り込んだ。
ほっ、と小さな息を吐くと同時に大量の血を吐き出し、激しく咳き込む。

肺をやられてるなぁ…
致命傷だ。

呼吸をするたびにヒューヒューと嫌な音が漏れている。
長くはもたないだろうと、どこか他人事のようにカカシは思った。

早く、来てくれ…

敵に囲まれる前、カカシは仲間と連絡を取る為に忍犬を走らせていた。
懐にある巻物を無事渡せなければ、死守した意味がない。
出来れば意識があるうちに…と願う。

…それにしても……
積もったなぁ…雪。
この様子だと、木の葉の里でも今夜は雪になるだろう。

サクラは………
今夜も窓を開けて眠るのだろうか?

あたり一面の惨状を覆い隠すように、さらに雪がふわふわと降り積もっていく。
カカシは春色の少女へと想いを馳せた。












暗部へ復帰してからまる一年はろくに里へは戻らなかった。
……引きずる想いを断ち切るために。
だから…カカシがそれを知ったのは、二度目の冬のことだった。


真昼の医務室。

某大名の暗殺を終え、久しぶりに里へと戻ってきたカカシは傷の手当てをする為に薬品棚をあさっていた。
大した傷ではなかったが、斬りつけられたクナイの先に痺れ薬の類が塗られていたようで、皮膚の感覚が少しおかしい。
やっと見つけた消毒液を無造作に振り掛けると、念のため抗生物質の錠剤も飲んでおく。

こんなもんなでいいデショ。

立ち去ろうとしたカカシの耳に、廊下を通る足音が聞こえる。
暗部の…狐に似た面を付け直し気配を断つと、備え付けの医療ベッドの陰に身を潜めた。

「ったく、このクソ寒いのに腹出して寝てたのかよ?」

抱え込むように引きずられてきたのは、馴染みのある友の部下だった。

サクラと仲の良かったいのという子と…

「シカマル!うるさいわよ?!だから私のせいじゃないって言ってるでしょ!」
「へー、へー。わかりました。バカは風引かないハズなんだがな。…ほら、これ飲んだら家へ帰るぞ」

いのが解熱剤を受け取り口に放り込むと、シカマルがタイミングよく水が入ったコップを差し出す。
焼け付く喉に水を一気に流し込み、少し落ち着いたのか、いのは心配そうに話し出した。

「…サクラよ。あの子、まだ窓を開けて寝てるの」

二日ほど前、いのはサクラの家へ泊まりに行ったのだと言う。
相変わらず窓を開けたまま寝ようとするサクラにいのは不安を覚えた。

アノ男が姿を消してから、もう2年も経つ……なのに!
しばらくすれば収まるだろうと思っていたその習慣は今もまだ続けられていて…

「いくら待っても無駄よ。きっとアノ男は…帰ってこないわ」

ため息と共に吐き出されたいのの言葉に、シカマルは何も言えなかった。

「死んでるかも…しれないのよ?」
「あ、それはない。まだ慰霊碑には名がなかったし、どっかで踏ん張ってるだろ?」
「死んでなくても!!逢えなければ同じことなのよ!」

いのの怒鳴り声にシカマルは両手を挙げて降参した。そんな彼を横目で睨んでから言葉を続ける。

「…私がいけなかったのかもしれないわ。あんな中途半端な慰めをしたから」

アノ男が暗部へと戻ったことを知ったサクラの落ち込みようは、傍で見ているもののほうが辛かった。

愚痴るわけでもなく、泣き叫ぶわけでもなく……
ただ静かに、彼を想う。
ただ、ただ…彼のために祈る。

そんなサクラに、いのはなるべく明るい声で話しかけた。

「任務で里を出たきり…ってことはまずないでしょう?報告とかに帰ってくると思うんだけど…そのうち、ひょっこり顔を出すんじゃない?」
「…そうね…」

そう言って微笑んだサクラ。
あれからだった。
サクラが窓を開けて寝るようになったのは。

「ホント、馬鹿な男。なぜ傍を離れたのかしら?このままだと…サクラ、壊れちゃうわ」

ポツポツと落ちた雫が床へと沁み込んでいく。
シカマルが俯いたままの、いのの頭をやさしく撫でた。

『傍を離れた理由』、しいては『暗部へ戻ることとなった事情』
男達の中で、まことしやかに囁かれた噂。

…春野サクラを。
…愛した女を守る為…

案外、当たっているのではないかとシカマルは思う。

…こういうのも、ひとつの愛し方だ。
オレは、傍にいるのを選ぶがな。

「ほら、帰るぞ」

突っ立ったまま泣くいのの頭を引き寄せると背中を撫でる。
シカマルの胸で、いのがわずかに頷いた。



サクラ
サクラ
サクラ………!!

二人が立ち去り静寂を取り戻した医務室で、カカシは暫くその場から動くことが出来なかった……








「今夜も寒くなりそうね?」

サクラは窓を開けながら独り言を呟いた。

風邪引いてないかしら?
ご飯はちゃんと食べてるかしら?
怪我は…してない?

「明日も無事でありますように」

冬の澄んだ空に輝く星を見上げて祈りの言葉を呟くと、サクラの吐く息が白く濁った。
手に持っていた額当てに口付ける。

「おやすみなさい」



カカシの頬を伝った雫はとがった顎の先から静かに零れ落ちた。
サクラへと伸ばしかけた手を理性でグッと握り締める。

一呼吸して、カカシは音を立てずに木から木へと飛び移り、サクラの部屋へと辿り着くとそっと窓を閉めた。

それだけ。

そのまま振り返りもせず、カカシは次の任務へと向かった。












視界が次第に暗くなってきた。
やたらと寒いのは降っている雪のせいだけではないだろう。
カカシの周りの雪は、朱色に染まっている。

血が、流れすぎた……
マズイな…

その時、ひと巻きの風と共に突如人影が現れた。
カカシは反射的にクナイを握り締める。が、仲間だと解るとほっと力を抜いた。

「お…そい、ぞ」

カカシは持ち上げるのもダルくなった手で懐を探り、巻物を引き出すと仲間へと突き出した。

「確かに」

短く答えて受け取る相手にカカシは顔を向けた。
…すでにカカシの瞳は何も写さなくなってはいたが。

「……伝…言を、……た…のむ」
「…」
「サ…クラ……に、窓を…閉め、て…寝る…ように、と。今…夜は……里も…雪、になる。風邪……を…引く…と、いけな…いから……」
「承知した」

仲間の短い了承の返事にカカシは嬉しそうに微笑むと、瞳を閉じた。











静かな暗い闇の中。


やがて、春色の少女が現れる。


やわらかな微笑で…こちらへ向かって両手を差出した。







『せんせぇ?』









2002.12
まゆ


2008.11.24 改訂
まゆ