一つ屋根の下で 1 サクラはオレの家を知らなかった。 だから…これは、偶然。 サクラは独り言が大きすぎる。 薄い壁から、ベランダから…所構わず聞こえてくるその声にカカシは苦笑した。 ま、泣いてるよりいいケド。 あんなことがあったばかりで、カカシとしてもサクラの様子は気になっていた しかし、なにぶん任務が立て込んでいてゆっくりと逢いに行く時間が取れない。 どうしようかと考えあぐねいている所に、降って湧いたような偶然が起こった。 空いていた隣の部屋へ、サクラが引っ越してきたのだ。 どうやら引越しの挨拶には来てくれたらしく、ドアノブには可愛らしいハンドタオルのセットなんかが引っ掛けられていたが…生憎とオレは不在だった。 というわけで、このアパートでサクラ本人にまだ逢っていない。 やっぱり一人だとあの家は広すぎる、か。 それに今までの思い出もある。 暫くの間、離れていたいのだろう。 カカシはサクラの気持ちを推し量ると、ふっと息を吐いた。 でも、まさか隣に住んでるのがオレだなんて思いもしないだろうな。 サクラのヤツ、びっくりして腰抜かすぞ? カカシの部屋の玄関には、当然、表札など出していない。 サクラは自分の隣の部屋の住人がオレである事をまだ知らないはずだ。 わざわざ隠すつもりはないけれど、サクラが気が付くまで放っておくもの面白いとカカシは思い始めていた。 『ぎゃーッッ!、ナニコレ?!何、この物体?!』 突然の叫び声にカカシの肩がびくりと震えた。 『やだやだやだー!こんなのパスタじゃないわよぅ』 もたれ掛っていた壁の向こう側の様子が手に取るようにわかる。 カカシは蹲ってひとしきり笑うと電話を取った。 今日手に入れたばかりのサクラのケータイの番号を押す。 5回目のコールで、柔らかな彼女の声がカカシの耳に届いた。 「もしもし?」 「あ、サクラ?オレ」 「…オレオレ詐欺?」 「……カカシ先生です」 オレオレ詐欺って何だ? 「わ!先生、どーしたの?っていうか、何で私の番号知ってんのよ?」 「企業秘密」 「…あ、そう」 くくく。 サクラのヤツ、多分、今…必死で該当者を考えてるぞ。 カカシは微妙な沈黙に笑いをかみ殺して本題に入った。 「ところでさ、いきなりなんだけど…ご飯食べた?」 「…んー…何で?」 「食べてないなら一緒にどうかなと思って」 「…マジ?」 「マジ」 悩んでる、悩んでる。 魚は餌に食いついたもよう。 後は強引に釣り上げるのみ、だ。 「一体どういう風の吹き回し?」 「あれ?可愛い部下にご馳走するのに理由なんかいらないデショ」 「元部下!…何か企んでるんじゃないでしょうねぇ?」 「信用ないなぁー、オレ。久しぶりに可愛いサクラの顔を見たいだけなのにさ」 「ひゃはは。嘘くさいわよ、先生。で、何を食べさせてくれるの?」 サクラ、釣り上げ完了! サクラに見えるはずも無かったが、カカシは満面の笑みで告げた。 「なんでもいいよ」 運ばれてきたパスタに瞳を奪われている『元部下』は思ったよりも元気そうだった。 カカシがにこにこと見守る目の前で、さっそくフォークにパスタを絡ませている。 一口頬張り、そして嬉しそうにサクラは微笑んだ。 「おいしーい!」 「そりゃ良かった」 「先生…」 「ん?」 「どうして私がパスタ食べたいってわかったの?」 数分前、待ち合わせ場所で落ち合って…まっすぐこのイタ飯屋へ、当たり前のように連れてこられた。 サクラはそれが不思議でしょうがない。 先生の好みなら和食の店だとばかり思っていたから。 正面に座るカカシの顔を伺い見るが、相変わらず顔のほとんどを隠しており、サクラには表情は読めなかった。 「勘」 「ふーん。イイ勘してるのね。…私、ホントはさっき家でパスタを作ってたのよ」 「へぇ?」 カカシは知ってるくせにすっとぼけた相槌を打つ。 「そしたらさー、湯ですぎちゃったみたいで。うどんみたいになってたのよねー」 「ははは!!」 「笑い事じゃないわよ。あんな膨張パスタ、見たことないし!」 箸とフォーク、両方が用意されている籠の中からカカシは迷わず箸を選ぶ。 面布をずり下げて口に咥えると片手で器用に割り箸を割った。 その様子を眺めながらサクラがポツリと呟く。 「ちゃんと料理も習っておけば良かった」 「サクラ…」 サクラの両親は二週間前に他界したばかりだ。 任務絡みではなく、二人とも不死の病に犯されていたわけでもなく。 旅行先で偶然に巻き込まれた事故によって亡くなった。 現場は海で遺体は目も当てられないような状態だったらしい。 間が悪いことに当時オレは任務で里を空けていたので、その話を聞いたのは葬式を上げてから一週間も後のことだった。 サクラが引っ越してきたことに気付いたのは3日前。 …そして、今に至る。 「私、何も出来ないのよ…先生。笑っちゃうぐらい一人じゃ何も出来ないの…」 サクラの自嘲気味の笑顔がカカシの胸を締め付けた。 元気そうに見えたのは空元気だったのだと思い知る。 そりゃそうだよな… オレのように幼少から親がいないのとはワケが違う、か。 カカシが慰めようと伸ばしかけた手は、不意に聞こえてきた第三者の声によって押し止められた。 「サークッラ!」 「いの!」 「まさか、援交…じゃない、よね?」 サクラと向かい合う人物がカカシとわかっていてこの言い草だ。 相変わらず口の悪いサクラの親友にカカシは苦笑いした。 「酷いなー…いのちゃん」 「なによぅ。ありそうなことでしょうが!アンタ、私のサクラをいつもスケベな瞳で見てるし」 「…へ?」 「あ、自覚ないんだ?」 「何がだよ」 「はいはい、ストップ!二人ともやめてよね、もう!」 話の流れが変な風に傾き始め、サクラが慌てて止めに入る。 「とにかく!いくらお金が必要でも馬鹿なことするんじゃないわよ、サクラ!」 「わかってるって。ほら、おじさんとおばさんが呼んでるよ」 いのがサクラの指差す方へ視線を向けると、既に会計を済ませてしまった両親が早く来いと手招きしている。 「あぁ…もう、ウザイったら!だから親と食事に出かけるのって嫌なのよ。じゃ、またね!」 「うん。また明日」 言葉とは裏腹に両親の元へ急ぎ足で駆けていくいのの後姿を、サクラは黙って見つめていた。 ウザイだなんて。 なんて贅沢な言い草なんだろう。 明日急に両親が居なくなったらなんて、いのは考えたりしないのかな? …考えるわけないか。 私だってそんなこと…… 「サクラ!」 「…」 「サークラ!!」 「…え?あ、何?」 「着いたよ。」 「あ、あれ?いつの間に??」 気が付けばそこはもう、数日前に越してきた部屋のドアの前だった。 いのが去った後からの記憶がはっきりしない。 いつ店を出たのよ? てか、私…パスタ全部食べたの? もっと味わって食べたかったわ。 すごく美味しかったのに… 考えに没頭してしまうと意識だけが周りのことから遠ざかってしまう。 自分のよくない癖だ。 カカシにも失礼なことをしたと思いながら、サクラははっと我に返った。 「私、先生に部屋を教えたっけ?」 「あー…」 不思議そうなサクラの声にカカシは明らかに動揺していた。 その様子にサクラは一人の人物を思い浮かべる。 年齢不詳の自分の師匠。 五代目火影。 カカシに携帯番号を教えたのも、自宅の住所を教えたのもきっと彼女だろう。 しょうのない人だ。 サクラは苦笑してそれ以上の追及を止め、代わりにお茶の誘いを口にした。 「コーヒーでも?」 サクラはカカシにとって大切な子だ。 大切な部下で、仲間。 兄弟…というよりは年齢的にむしろ親に近い感情を、カカシは自覚していた。 なのに。 「…嘘だろ?」 目が覚めた場所は、自分の部屋とは対象のつくりのそれだった。 しかもちゃっかりベッドの中に居座っている。 カカシは薄紅色の頭が乗っかっている腕と反対の手でそっと布団を捲った。 「………」 何事もなかったかのようにそっと布団を元に戻す。 気分を落ち着かせるため大きく息を吸い込んだが…それがまたいけなかった。 自分のモノではない甘いニオイをしこたま吸い込み、頭の芯がクラクラする。 不意に、腕の中のやわらかい身体が寝返りを打った。 カカシの最後の砦というべき僅かに空いていた隙間が、その瞬間にゼロになる。 擦り寄られてやんわりと反応する自分自身に、カカシは既にパニック寸前だった。 叫びは辛うじて飲み込んだものの、鼓動の速さは倍になり暗部の時ですら体験したことのない緊張感に包まれる。 しかし、それでもなんとか頭をフル稼働させて…カカシは事態の収拾策を練り始めた。 1、このままサクラが起きる前に姿を消す。 イヤ、だから…この後始末をどうすんの。 絶対バレるって。 2、サクラを起こして言い訳をする。もしくは平謝り。 …言い訳? イヤイヤ、とにかく謝るのが先決だろ。 …許してくれるかどうかは別にして。 てか、オレの信用も地に落ちるわな。 3、忘却の、術を施す。 これはいくらなんでも不誠実デショ。 サクラはオレにとってその辺の…遊ぶための女とは違うし。 …ていうか、全部却下したい。 他に良い案も浮かばず、カカシはすでに幾度目かになる大きな溜息を吐く。 もそもそと、また腕の中でサクラが動いた。 寝返りをうつ間隔が短くなっている。 目覚めるまでに大して時間は無いだろう。 そう思った瞬間、不意打ちのようにパッチリとサクラの瞳が開いた。 反射的にカカシは瞳を閉じる。 収拾策が決まらなかったカカシが思わずとった行動は…『寝たふり』だった。 首が痛かった。 寝違えたのかと首を擦るサクラの視界に、とんでもないものが映る。 自分じゃない、誰かの腕。 そんなに太いわけじゃないのにしっかりと筋肉のついている男の腕。 サクラは慌てて上半身を起こし、努めて冷静に判断しようとした。 薄いキャミソールのみの自分と…裸のカカシ。 更に腰から下に鈍痛を感じて、サクラは頭を抱え込んだ。 ゆっくりとベッドから降り、床の上に散乱している昨日着ていた服を拾い上げてのろのろと頭から被る。 下着をつける精神的余裕は無い。 サクラは何とか体裁だけを整えて…まだ眠っているカカシを見た。 どうしてこんなことに? 悠長にそんなことを考えている場合ではないと思い直し、サクラは再び足元の…今度はカカシの服を集め始める。 そして、ひとまとめにしたそれを眠っているカカシへと押し付けた。 「…サクラ…」 「何も言わないで」 「でも…」 目を覚ました(覚めていたのだが)カカシが情けない顔でサクラを見上げている。 昨夜何があったのか、わかっている顔だ。 「いいから。いいから、今すぐ出てって!!」 「はいッッ!」 服を着る暇も与えられず、カカシはベッドから追い立てられた。 先に部屋を出たサクラがご丁寧に玄関を開けて待っている。 カカシは素っ裸のまま…まだ薄暗い外へと放り出された。 放心状態で床に座り込んでいたサクラの耳に、不意にベルの音が響いた。 ケータイらしかったが自分のものとは呼び出し音が違う。 ピリリというごく普通の電子音は…多分、買ったときの設定のままのヤツだ。 持ち主の心当たりは一人しかいない。 サクラはのろのろとベッドと壁の隙間に落ちていたそれを拾い上げて液晶画面を見た。 「五代目?」 発信者の表示は五代目とある。 「五代目って…綱手様よね?」 発信者は火影。 このケータイの主は里でも指折りの上忍であるカカシ。 緊急の用件かもしれない。 しつこく鳴り止まないベルにたっぷりと迷った後、サクラは電話に出た。 「何やってんだい馬鹿者!!集合時間はとっくに過ぎてるよッ!」 かなり機嫌が悪く、ドスが利いていたけれども、それは間違いなく綱手の声だった。 「カーカーシー!さっさと目を覚ましな!!いつまで待たせるんだい?」 「…あの。綱手様?」 「あれ?…その声、まさか…サクラ?」 「…はい」 「なんでサクラがカカシの家に?!」 驚きのあまりに上ずった綱手の声は、耳から離しても十分に聞こえるほど大きかった。 思わず落としかけたケータイを慌てて掴み直す。 此処はカカシの家ではなく自分の部屋だったが…サクラはそれを綱手に告げるのもどうかと思われた。 カカシの家にいる自分と自分の部屋にいたカカシ。 どっちにしても状況はあまり変わらないし、おまけに現在の時刻は五時十五分。 もちろん朝の、だ。 常識的に考えて『遊びに来ました』と言い繕える時間には程遠い。 自分ももう子供ではないのだ…変に勘ぐられても仕方がなかった。 返す言葉が見つからないサクラに、綱手は予想通りの反応を示す。 「ふぅん。そんなことになってるなんてねぇ」 「いえ、あの……」 「いいって、いいって。アタシは誰にも言わない」 「ち、違う…」 「そんなことよりカカシを出してくれないかい?今日から一週間の任務…あぁッ!カカシ!!」 慌てて立ち上がったのだろう。 あの乱雑な机の上からばさばさと書類の束が床に落ちる音までもがケータイを通じて聞こえてきた。 「お前、今何時だと思ってるんだ?今頃のこのこと…」 容赦ない綱手の言葉は当然だ。 聞こえては来ないがカカシの平謝りしている姿が目に浮かぶ。 「電話を入れればサクラが出るし」 そんなことは忘れてください…綱手様。 サクラはがっくりと肩を落とした。 先生も現れたことだし、もうこの電話の用件は済んだはずだ。 サクラがケータイを切ろうとした時、そこから聞こえてくる声が男のものにすり変わった。 「サクラか?」 「…先生…」 「あの、な。この任務を終えたらすぐにサクラんとこ行くから」 「い、いいよ!来なくて!!」 「そういう訳にはいかないデショ。ちゃんと話を…」 「往生際が悪いわ、馬鹿者。さっさと任務にいけ!!…全く。年端もいかん小娘に手を出しおってからに」 更に綱手の声が割り込む。 力勝負でカカシが綱手に勝てるはずもなく、相手の受話器の主導権はやはり綱手にあるらしい。 「サクラ。すまんがいちゃつくのはカカシが任務から戻ってきてからにしてくれ。じゃ急ぐので切るぞ?」 そう言うのと通話が切られるのはほぼ同時だった。 サクラは何の言葉も返すことなく一方的に切られたケータイをしばし見つめ、それからベッドの上へと投げ捨てた。 「もう…どうでもいー…」 床に落ちかかった布団を引っ張って、そのままそこで丸くなる。 今日自分に任務が入っていないことをサクラは頭の中で再確認し、ゆっくりと瞳を閉じた。 サクラの両親を勝手に殺してみた。(爆) 甘いのは苦手なんだが…たまにはイイかと。 長くなったので前後編で。 2005.01.23 まゆ 2009.05.06 改訂 まゆ |
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