色待宵草 −イロマツヨイグサ− 1 「あ。カカシ先生だ」 サクラの視線の先で繰り広げられているのは…どこにでもあるような分かりやすい恋人達の別れのシーンだった。 「いつものことながら最低ー」 「何でよ?」 ちらりと横目で見ただけのいのに対してサクラが食い下がる。 自分の…好きな人を悪く言われるのはさすがにイイ気はしない。 しかも目の前で。 「アンタ、近くに居すぎて感覚がマヒしてんじゃないの?あれほど女を取っ替え引っ替えしてる男が木の葉に何人居ると思う?」 「それは違うよ、いの。先生が素敵過ぎて女の方が放って置かないだけだもーん」 「うげ…よくそんなことが言えるわね。あんな男のどこがいいのか私には全く理解不能だわ!」 「えー?!だって先生はすごく優しいじゃない」 今だって…少しでもあのヒトの気が済むように先生は殴られてあげたでしょ? それにあんまり表情が変わらないから皆が気が付かないだけで先生だってちゃんと悲しんでるんだってば。 「行ってくる!」 「…やめときなさいよ」 「私、見てるだけはもうやめたの!」 いのの手を振り切って一歩踏み出す。 そう。 いつか、きっと…なんて甘い想像も、もう飽きた。 黙って側に居ても気付いて貰えないってことがようやくわかったのだ。 こっちを向いて欲しいなら自分から動かなきゃ! だから覚悟してね? 三年分の想い全部…ぶつけさせて頂きマス。 「頑張ってみる。上手くいくかどうか分からないけど」 サクラはそう言ってニヤリと笑った。 「先生!」 「…サクラか。どうした、こんな所で」 「綱手様に書類を提出した帰りよ。そんなことより…さっきの、見ちゃった」 「ははは」 乾いた笑いで誤魔化して、カカシはサクラを見下ろした。 とはいってもほんの少し首を傾けただけ。 初めて出会った十二歳の女の子はいつの間にか少女から大人の女へと階段を上り始めていた。 背もいつしか伸び、カカシの肩に届こうとしている。 そういえば…もうすぐサクラの十九回目の誕生日だ。 「先生」 「んー…?」 「さっきのヒト、泣いてたね」 「…そうだねぇ。でも大丈夫デショ、女って切り替え早いから。すぐに新しい男を見つけるさ」 「…」 ごめんね?諦めの悪いコドモの女で。 目の前に立つサクラがそんなことを思っているとも知らず、カカシは淡々と言葉を続ける。 「恋なんて所詮思い込みだと思わないか、サクラ。滑稽なほど単純でしかも簡単な感情」 「…そう、かな?」 「そうだよ」 「だったら先生…私にどうすればいいか教えてくれる?」 「何を?」 「あるヒトに私のことを好きになってもらいたいの」 「…」 「単純で簡単、なんでしょ?」 探るような目が自分を見ている。 いつもと同じ大きな翡翠色の瞳…のハズなのに。 カカシは何故か落ち着かなくて先に視線を逸らした。 話の内容からしてサクラの片思いらしいが…サスケ以外の『誰か』なのだろうか? ぴんとこなくて考え込む。 「ねぇってば!」 「…あぁ?…いいよ、ちょうど別れて暇になったところだし。オレはサクラの先生だし?」 「そうよ。忍術の類はほとんど教えてもらってないんだから『男の落とし方』ぐらいはしっかりレクチャーしてもらいたいものだわ」 「お前…何気にキツイね」 「ホントのことじゃない。あ、それと…私に恋のアドバイスをしてる間は他の女と付き合わないって約束してね。カカシ先生が付き合う女のヒトってみんな執念深そうなんだもん、私…誤解で恨まれたくないから」 「何だソレ」 「約束!」 立てた小指を突きつけられて、カカシは苦笑いを浮かべた。 そんなに必死にならなくても。 さっきの…自分を落ち着かなくさせた瞳とは全く別のソレに安堵を覚えつつ、細い小指に自分の指を絡ませる。 「了解。サクラに『男の落とされ方』を伝授しましょうかねぇ」 「体に良くないから煙草は止めてって言ったのに」 背伸びしてカカシの口から煙草を取り上げる。 無闇に面布の下の素顔を晒すのは止めて、それが本音。 ほら、今だって… すれ違った二人連れの女の人がこっちを見て囁き合っているのがわかる。 公園のベンチで二人、拳一個分の微妙な距離で座りつつ…サクラは手元の小さな火を見つめた。 「そんなに美味しいの、コレ……ゲホッ…ゲホッ、ゴホッッ…」 見よう見まねで口に咥え、吸い込んだ煙にむせ返る。 カカシはそんなサクラからおもむろに煙草を取り返した。 「サクラには似合わないよ」 深い意味は無いであろうその一言に、それでもサクラは傷付けられるのだ。 カカシにとって自分はいつまでもコドモ。 例え十九になったとしても十四の年の差は埋まることがないのだと実感させられて。 再び煙草を吸い始めたカカシと目が合わないように…サクラはカカシが代わりに寄越した缶ジュースのプルに爪を引っ掛けた。 煙草のフィルターに付いたサクラの薄いピンクのルージュ。 …どうせ先生はそれが私の精一杯の間接キスだなんて気付きもしないのよ。 「ていうか、サクラ。恋のレクチャー引き受けといてなんだけどさ」 「うん?」 「オレの場合…何もしなくても女の方が寄ってきちゃうから『落とし方』なんて必要ないんだよねぇ。だから先生として指導するのは無理かと…」 「自慢してんの?!」 「いや、事実……あ、そうだ。確実なのが一つある」 ぽんと手を打って、カカシが満面の笑みでサクラを見た。 「押し倒せばいい。オレはそれで確実に落ちる」 今までずっと先生を見てきたんだから…そんなコト、わかってる。 でもそれでは長続きしないこともわかってる。 だったらその方法はサクラにとっての答えではない。 それに……。 「それ、根本的に無理だから」 「何で?」 「…女と思われてないもの」 「え?」 「だから!私…好きな相手に女と認識されてない、みたいな?」 「マジで?…そんな根本的なトコからなのか…」 「よろしく、先生!」 先は長そうだとがっくり肩を落としたカカシを慰めるようにサクラは明るく声を掛ける。 私のことで困っているカカシを見るのは好きだ。 …先生の全てを独占している気分を味わえるから。 「ちなみに相手はどんなヤツ?」 「年上の上忍」 「オレ、知ってる?」 「…うん」 「え?!じゃあオレが話しをつければいいだけじゃないか?」 「そんなの駄目よ。私…今回だけは自分の力で頑張りたいの!」 サクラの強い語尾にカカシが少し驚いたように目を見開いた。 「…本気なんだ、そいつのコト」 「まぁね。三年越しの恋だもん」 「サクラも女になったんだなぁ」 あまり会うことの無い親戚の叔父さんのような台詞にサクラはそっと溜息を吐く。 悲しくなるから…口先だけでそんなこと言わないで欲しいと思う。 「じゃあ、今日は服でも見に行く?サクラの想い人に女と認識されるような大人っぽいモノを見立ててあげるよ。まずは外見から変えてみたら?」 ベンチの側にある灰皿に煙草を押し付けて消したカカシが立ち上がる。 ほら行くぞと差し伸べられた手を、サクラはぎゅっと握った。 「先生、携帯持ってるよね?」 「あぁ」 「番号とアドレス教えてよ」 「あれ…教えてなかったっけ?」 うん。 知ってるよ。 …でも私が知りたいのはもう一個の方なの。 「二個、持ってるでしょ?」 「ははは。何で知ってんの、サクラ」 笑って誤魔化して、やっぱり教えてくれない? 自分の知っているカカシの携帯は言わば遊び用だ。 その他大勢(主に女)が知っているモノで普段持ち歩くことも少ない。 サクラが知りたいのはもう一個の、マジ携帯。 「んー…ま、サクラならいいか」 少し悩んだ後、カカシは独り言のように呟いてポケットを探る。 携帯を取り出して自分の番号を表示させるとサクラにそれを突き出した。 「ちょ、ちょっと待って」 慌てて自分の携帯を取り出しながらこんなに上手く事が運ぶとは思っていなかったサクラは顔が緩むのを必死で隠す。 「赤外線通信しよう」 「何、ソレ」 「…先生?」 携帯を何個持っていようとも機能を使いこなせている訳ではないらしい。 サクラはカカシに身を寄せてその手元を覗き込み、慣れた手つきで携帯を操作した。 「こうやると簡単にアドレスが交換出来るの!」 「…あ」 「なに?」 「…いや、何でもない」 カカシの動揺に気づかないサクラは素早くボタン操作して通信を開始する。 今日の目標だった「メアドGET」はこれで早々にクリアだ。 確実に距離が縮まっていくのを感じ、サクラは満面の笑みで顔を上げた。 「今日は香水選んでくれるんだよね?」 「…あぁ」 「早く行こう!」 二人の待ち合わせの場所になりつつある公園のベンチからぴょこんと立ち上がる。 サクラは反応の鈍いカカシの腕を引きつつ、これから先の楽しいデートを想い足取り軽く歩き出した。 「医療班の春野と付き合ってるって本当か?」 「…何の冗談だ、ソレ」 上忍控え室で呼び止められ浴びせられた質問に、カカシは目を丸くして絶句した。 顔なじみの上忍が一人二人と増えていき、ついには囲まれてしまったカカシに助けの手を差し伸べる者はいない。 唯一、女の上忍の紅だけが苦笑混じりに一冊の雑誌をカカシに投げて寄越した。 「『シノビ通信』がどうかした?」 「134ページ」 『シノビ通信』はそのタイトル通り自分達忍びのための、木の葉独自の雑誌だ。 新しい武器や腕の良い研ぎ師の紹介など役に立つ情報があるためカカシも時折目を通すが、大半は若者が好みそうな店が載っていたりデートスポットが載っていたり…夏には水着の女の子達がが登場することもあるシロモノで、まぁ…忍びの為の専門誌と呼ぶにはおこがましいと個人的には思うのだが。 紅に指定されたページまでぱらぱらと捲り、手を止める。 そこは読者の投稿コーナーで…カカシの目がある場所で釘付けになった。 ページ中央寄りの、下段。 …男女の写真。 「…オレ?」 「誰がどうみても」 紅の返答に周囲の誰もがうんうんと頷く。 …確かに顔の一部、目の辺りにモザイクがかかっているが紛れも無く自分で。隣に写ってるのはサクラだ。 服装からしてこの間の…と思い出しながら記事にざっと目を通す。 そこでカカシは唖然となった。 『医療班のマドンナ、ついに陥落?!お相手は元上司!!』 見出しの後に続く投稿者の声には「デートを強要」だの「毒牙にかかった」だの…カカシにとっては見に覚えの無い言葉が並んでいる。 「…何がどうなってんの?」 「しらばっくれる気か?ネタは上がってるんだろ、ほれ」 「…そんなこと言われても…」 「で。実際のところどうなんだよ?オレ等にまで内緒にすることねぇじゃねーか」 「いや、だって…サクラは子供でしょーよ。いくつ年が離れてると思ってんの」 「って言うけどな、カカシ。若いことには違いないが春野は確か十九だろ?」 「まだ十八!」 「くくく。それでも子供とは言い切れんだろ」 「…」 面白半分に詰め寄られ言葉を無くしているカカシの様子をじっと見ていた紅は呆れたように溜息を吐いて側にある椅子に腰を下ろした。 「カカシが事実無根だって言い張るのは勝手だけど。サクラちゃんも困ってるんじゃないの?」 紅の言うとおりだった。 何処のどいつだか知らないが、余計なことをしてくれたと思う。 サクラの想い人が今この場に居たらどうする? 自分と付き合っていると誤解されれたらサクラが可哀想だ…そう考えた時、不意にカカシの胸がちくりと痛んだ。 まるで棘が刺さったかのような鋭い痛み。 「カカシ?」 「…あぁ、そうだな。オレちょっとサクラの様子を見てくるから」 紅の問いかけに半ば反射的に言葉を返して、カカシは自分を取り囲む同僚をかき分け部屋を後にした。 件名:無題 本文:雑誌、見たか? 深夜十二時を回ってのメール。 昼間に医療班までサクラを探しに行ったカカシだが結局は会えず仕舞いで今に至っている。 すぐに返事が返ってくるかどうかは分からない。 それでもカカシは送信ボタンを押した。 視線を開けたままの雑誌へと移す。 自分の選んだ服を着たサクラが笑みをたたえて写真の中のオレを見上げている。 サクラの笑顔を客観的に見たのは初めてかもしれない。 「…マドンナ、か」 確かにそう呼ばれていても可笑しくない綺麗な子なのだ、サクラは。 そう思うと同時に今更ながら改めてサクラの想い人が誰なのか気になった。 「誰なんだろ?……テンゾウの奴かな」 思い当たる節が無いでもない。 じぶんがの代わりに隊を任せて以来、奴とは気があったのが何度も一緒に任務をこなしている。 「他にサクラの面識がある年上の忍と言えば…うーん、ゲンマは年が離れすぎだしなぁ。五代目の側に居るあいつらか?」 イズモとコテツをセットで思い浮かべたカカシはごろんとそのままベッドの上に仰向けに転がった。 摘み上げたケータイを目の前にかざせばアドレスを交換したときのことが不意に思い出される。 必要以上に近づいたサクラを頭一個分上から見下ろした時…決してわざとではなく…普段は服に覆われているはずの白い肌が垣間見えて動揺してしまった自分。 日を追うごとに『動揺』は波のように大きくなりカカシを揺さぶっていた。 「こんなことなら相手の男の名前聞いとくんだったな」 それが分からないからこんなに落ち着かない気分になるのだと言い聞かせて、目を閉じる。 その晩。 カカシの短い一行メールに返事が返ってくることはなかった。 2008.03.30 まゆ 2008.11.16 改訂 まゆ |
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