ゆびきり 2




「…先生」

玄関の扉を開けると、そこにはサクラが居た。

「どうしたの?こんな夜…」

夜遅くに、と言いかけて言葉が詰まる。
顔色が悪いなんてもんじゃない。
立っている方が不思議なくらいの、危うい存在感。

「ねぇ、今から花見に行こう?」
「…花見は確か来週のはずデショ」
「楽しみすぎて来週まで待てないのよ、私」

細すぎる白い腕がカカシに向かって差し出される。

「行こう?」

小首をかしげて佇むサクラの、なんと頼りないことか。

「約束だったからね」

その一言に全てが含まれている。
来るべき時が来た。
そういうことだ。
カカシは緩慢な動作でサクラの手を取った。

「…うん」

死ぬ時はオレの傍で。
それが…約束だったから。










比較的多く花を付けた桜の木の下に、カカシとサクラは並んで腰を下ろした。

「先生、ありがとね」
「何のこと?」
「サスケくんのことを含めて今まで全部。ホントにお世話になりました」

改まった口調でそう告げると、サクラはぺこりと頭を下げた。

「お父さんとお母さんも先生に宜しくって言ってたよ」
「ご両親はサクラがオレと過ごしてもいいって?」
「うん。帰りは先生に連れて帰ってもらいなさい、だって」
「…そっか」

サクラの両親は強い。
死に逝く娘を送り出せる、その強さはどこから来るのだろうか?

「この際だから言っておくけど…オレはサクラのことが好きだから」
「うん。知ってる」

病気のことがバレてからの約三ヶ月間、カカシは常にサクラの傍にいた。
嫌でもわかってしまう。
自分への視線の意味を。
自分への気遣いの、意味を。
それはたぶん、自惚れでは無くて…

「私の後を追ったりしないでよね」

暫く見詰め合った後、ポツリとサクラが呟く。
自分の居なくなった後のカカシが心配だった。
それぐらい愛されていると不思議なほどに自覚がある。
だからこそ、今夜カカシに会いに来たのだ。
サクラは念を押すように繰り返した。

「絶対に、しないでね」

随分と勝手なことを言う。
オレが死のうが死ぬまいが、それはオレの自由デショ。
こんな束縛の仕方ってズルイんじゃない?

不服そうなカカシの横顔を見やって、しょうがないなとサクラは笑った。
念のため、カカシが死を選ばないように保険を掛けておく必要があるだろう。
サクラは用意しておいた台詞を口にした。

「あと、お願いがあるんだけど。先生は優しいからきっときいてくれるよね?サクラの最後のお願い」
「…まだあるの?この前も最後って言ってたじゃないか」
「ふふふ。これで本当に最後よ!ナルトとサスケくんのことなんだけどさ」

やっぱりね、とカカシは無言で肩を竦めた。

「ナルトが火影になれるように助けてあげて。それと、サスケくんに仇討ちを止めさせて」
「どっちも難しいお願いだねぇ、サクラ姫」

でしょう?
だから頑張って生きてよ、先生!

「この二つのお願いきいてくれたら…私が次に生まれ変わった時、今度はカカシ先生のことを一番好きになってあげるわ」
「…本当に?」
「うん!」
「そりゃ、頑張らなきゃだな」

嘘つき。
何度生まれ変わったってサクラの一番はきっとサスケだ。
…それが『サクラ』だもの。

その一途さが愛しいのだ。
永遠の片思い。
サクラに出会って…恋とは切ないものだということを、カカシは初めて身をもって知った。
サクラに出会わなければ知らなかった痛み。

「ゆびきりしよう。約束だからね!」
「はいはい」

絡められたサクラの小指は驚くほど冷たい。
それもそのはず。
命の雫はサクラの身体からとうに漏れ出しているのだから。
カカシはただ黙ってサクラの好きにさせた。



ゆびきりの歌を歌い終えて満足したのか、サクラはカカシに微笑を見せた。
綺麗な、綺麗な笑みだった。

「今までありがと。先生、大好きよ」

こてんとサクラが頭を持たれかけてきた。

「…サクラ?」

反応がない。
カカシはサクラを慌てて横抱きに抱きかかえると、その閉じた瞳を覗き込んだ。

「サクラ!」

カカシに軽く頬をはたかれているのがわかった。
しかし、すでにそんな感覚もなんだか夢心地で…サクラはまどろみの中に引き込まれる。

泣かないで。
泣かないで。
…大好きだから。

私はもう逝ってしまうけれど、最後に………

カカシの必死の呼びかけに答えるようにサクラがうっすらと目を開けた。
奇跡が起きたのだとほっとしたのも束の間、カカシはすぐにそれは自分の思い違いであることに気付く。
何かを告げようとしているサクラの口からはもうまともに声すら出ていなかった。
顔を寄せたカカシにサクラは消えかかった掠れた声で囁く。

「…二番目だけど、ね」

茶目っ気たっぷりの、サクラの言葉。
その言葉にカカシが唖然とした後、軽く吹き出すのをサクラは愛しげに見つめていた。
そして自らも無邪気に笑い、ゆっくりと瞼を閉じる。

以後、再びエメラルドグリーンの瞳がカカシを映すことは無かった。










『先生』という名の居場所をくれたサクラに感謝している。
一番じゃなくても、サクラは十分に自分を好いていてくれた。

カカシは葬式には参列しなかった。
サクラとの別れは最も贅沢なカタチでさせてもらったし、小さな箱の中で花に埋もれるサクラを見たくなかったから。
一人離れた場所で緩やかに空に昇る白煙を見届けた後、カカシは葬儀場の…長く延びる煙突に背を向けて歩き出した。



まだ五分咲きの桜並木。
今年はもう満開の桜を見ようとは思わない。
カカシは見納めに、まばらに咲く桜の木を仰ぐ。

「さて…っと。これから忙しくなるね」

残りの人生、サクラとの約束に費やすのだ。

『ナルトを火影にすること』
『サスケに復讐をやめさせること』

両方とも難しい課題には違いない。
しかし、これをクリアーしなければ…再びサクラに巡り合うこという願いも叶いそうに無いから。

「頑張りますか」

両手を空に伸ばして身をほぐす。
少しだけ、猫背の背中がぴんとしたような気がした。









大変遅くなりましたが、ハルカゼさんに捧げます。貰ってやって下さい。


2005.06.26
まゆ



2008.11.16 改訂
まゆ