ゆびきり 1 「サスケくん!」 呼ばれた少年は振り返る様子もない。 「サスケくん!…サスケくんってば!!」 木の葉の里、一番の大通り。 最も賑わう時間の今、偶然にもサスケを見かけたサクラは人の目も気にせずに大声で叫ぶ。 気付いていないハズはなかった。 しかし、サスケはそのまま人ごみへと姿を消す。 サクラは慌てて後を追って走った。 「いい加減にしろよ、サクラ…」 サスケの後姿を見失ったのは演習場へと続く森の入り口だった。 暇さえあれば修行をしているサスケのこと、今もそのつもりで此処まで来たのだろう。 サクラは演習場へ向かってしつこいほどにサスケの名を呼んでいた。 …不意に目の前に現れたサスケが呆れた声で諭すまでは。 「サスケくん!!」 「…何の用だ?」 ぶっきらぼうにそう聞かれ、サクラは返答に困る。 サスケの問に答えられるような用など有りはしない。 ただ逢えたことが嬉しくて、言葉を交わしたかっただけなのだから。 そのために追いかけてきたなんて…今のこの雰囲気では言えそうに、無い。 「…用が無いなら行くぞ?」 自分より少し背の高いサスケから聞こえてくる声に溜息が混じる。 くるりと背を向けられて、サクラは慌ててその服の裾を掴んだ。 「好き」 サクラの、不意に口を吐いて出た言葉にサスケは少し眉を顰めただけ。 「好きなの」 サスケは無言のまま、煩そうにサクラの手を振り払うと演習場の奥へと姿を消した。 「サークラ!」 頭上から降って来た声にサクラの細い肩が揺れた。 馴染みのある声だ。 今日も数時間前まで一緒に居たセクハラ上忍…もとい、私たち七班の上司のもの。 サクラは見上げた木の枝に立つカカシを見つけた。 「…見たわね」 「こんなところで大声出して告ってるサクラが悪いんだよ。……もしかして、泣いてる?」 尋ねるカカシの声のトーンが変わった。 音もなく地上へと降りてきたカカシは、目が合った途端に視線を反らして俯いたサクラの顔を覗き込む。 「やだ!」 振り払うも払えないカカシの手はサクラの顎を捕らえて放さない。 カカシはサクラの顔を強引に自分の方へ向けると、伝い落ちる雫を指で拭った。 「…泣くことないだろう?」 優しく響く低い声。 最初のからかうような調子はすっかり消えていた。 「サスケの態度はいつものことじゃないか。気にするなって」 「気に、する…わよ」 しゃくり上げながら、カカシを睨む。 と、不意にサクラが喉を詰まらせた。 咳き込むサクラの口元からおびただしいほどの鮮血が溢れ出す。 「サクラ?!」 カカシには一体何が起こっているのか…全く理解できなかった。 「お願い、先生。誰にも言わないで!」 カカシに運び込まれたアカデミーの医務室で、発作の治まったサクラは真っ先にそう告げた。 陽が傾き始めた医務室にカカシと二人きり。 看護医の不在は身体の不調を誰にも知られたくないサクラにとって幸いなことだった。 …ドジった。 ていうか、今までバレなかったのが可笑しいのよね…ホントは。 吐血の量も回数も、日増しに増えている。 自分にもう残された時間がわずかなのは間違いなく、サクラはそっと瞳を伏せた。 この病気は生まれつきのものだ。 治す術も、治る可能性もほぼゼロに近いと断言されたのはサクラが二歳の頃だったと聞いている。 しかし諦めきれない両親と検査、手術、治療を繰り返す毎日。 どうして自分だけがこんな思いをしなければならないのだろう? 無菌室のような閉鎖された空間に閉じ込められ、注射針で穴だらけの腕。 鏡に映る自分の青白い顔はすでに死人のように見えた。 自分に与えられた時間は他の人に比べて少し短いだけ。 だから無駄に出来る時間なんて一秒たりとも無い。 『生きている間にやりたいことをやりつくす』 それが『命』というものを悟ったサクラの目標となり…治療を望む両親を説得したのは五歳になる誕生日。 サクラがアカデミーに入学する前の年だった。 「…わかった。誰にも言わない」 自分の了承の言葉にほっと肩の力を抜いたサクラを見つめながら、カカシは言葉を付け足す。 「ただし、条件がある」 「…何よ?」 カカシは何を言われるのかとビクついているサクラを面白そうに見下ろして答えた。 「時間を頂戴」 「は?」 「サクラが死ぬ瞬間、一緒に居たいんだ」 「…何、ソレ」 窓から入る夕日に照らされ、全てが茜色に染まる医務室。 不審気に眉を顰めるサクラに、カカシは意地悪な笑みを湛えたまま告げた。 「ねぇ、サクラ。オレの傍で死んでよ」 付き合って欲しいわけじゃない。 第一、私はもうすぐ死んでしまうのだから。 『春野サクラ』という人間が『うちはサスケ』に恋してるという事実。 ただそれを、彼にちゃんとわかって欲しいだけ。 お願い。 私の恋心まで否定しないで… 朝、七時ぴったりに先生はやってくる。 それは大抵の場合窓からで、いつも母親を驚かせた。 先生の前で吐血してから二ヶ月が経つ。 ますます病状は悪化しているけれど、サスケくんとナルトにはまだ気づかれた様子は無い。 全ては絶妙なタイミングでフォローしてくれる先生と…プロ並みに上がった自分の化粧の腕のお陰だと思う。 この調子なら最後までバレずに二人にお別れできそうだと鏡の前でサクラは嬉しそうに笑った。 「今日は今年の春の新色を持ってきてみました!」 無造作にポケットから出した口紅はすでに箱から出された状態で。 カカシはポンと音を立ててキャップを外した。 「こっち向いて」 サクラの痩せて尖った顎に軽く手を沿え、上を向かす。 顔色を誤魔化すために塗られた白粉にピンクの頬紅。 痛々しさにカカシの群青の瞳が揺らめいたが…それも一瞬だけ。 すぐに平静を装って紅をひいてやり、サクラに語りかけた。 「どぉ?」 サクラの背中越しにカカシが鏡を覗き込む。 「…色、濃すぎない?それに大人っぽい気がする」 「大丈夫だよ。それくらいが丁度いい」 唇に軽くティッシュで押さえて色を落ち着かせる。 「今日は大事な日だからねー」 サクラの肩がぴくんと揺れた。 「…緊張して、昨日よく眠れなかったの」 「駄目デショ、それは。また倒れるぞ?」 「ん。もうすでに酸素足りないっていうか…」 大袈裟に深呼吸してみせるサクラにカカシが笑った。 「じゃ、オレ…今日は一時間遅れで集合場所に行くから」 ナルトにも一時間遅い集合時間を告げてある。 従ってサクラはサスケと一時間二人きりでいられるという事。 もう一度、きちんと告白するチャンスを。 …サクラに。 「じゃ、また後で」 カカシは来たとき同様、窓から身を乗り出すとそのままひらりと地上に降り立った。 オレの傍で死んでだなんて、あんなこと…咄嗟によく言ったものだと思う。 少し離れた木の上から、カカシはちらりと二人に視線を向けた。 声が聞こえる距離じゃない。 でもカカシにとって一回の跳躍で簡単に辿り着ける距離。 サクラの体調が思わしくないと判断した場合、カカシはすぐさま飛ぶつもりだ。 「オレは好きだの嫌いだの…そんなことに興味は無い」 「それでもいいの。ただね、受け入れられないからと言って私の気持ちを否定しないでくれたら嬉しい」 「…」 「無かったことにだけはしないで欲しいの」 押し付けがましいとは思いつつもサクラは食い下がる。 折角カカシが用意してくれた告白のチャンスを無駄には出来ない。 多分、これが最後だ。 「覚えてて欲しいだけ」 「覚える?」 「うん。そうね…三年ぐらい?」 前から少し変わったヤツだと思っていたが…なんだ、それ? 妙に具体的な時間を上げられて、サスケは更に訳がわからないと頭を振った。 「私、アカデミーの頃からずっとサスケくんが好きです」 「わかった。わかったから!」 さすがに何度も好きだと繰り返されるのはいくらサスケでも気恥ずかしい。 「ホントに?」 「わかったって言ってんだろ」 「ありがとう」 にっこり笑うサクラを見て、サスケは初めて違和感を覚えた。 病的な白い肌。 細い腕。 …コイツ、こんなに痩せてたっけ? 「…サクラ?お前、ちゃんとメシ食ってんのか?」 「え?」 真顔で問いかけられ、サクラは言葉に詰まった。 沈黙の続く中、二人の視線だけが絡まる。 そんな微妙な空気を壊したのはもう一人の大事な仲間だった。 「あー!サクラちゃん、おはよ。早いね」 「おはよじゃねーよ、ウスラトンカチがッッ!一体何時だと思ってる?」 口を開きかけたサクラより早くサスケが怒鳴った。 ナルトの出現で話の矛先がずれたことにサクラはほっと息を吐く。 よかった… サスケくん相手に誤魔化し通す自信、ないもの。 「へ?…九時だろ」 「集合時間は八時だ!」 「そんなはずないってば。昨日の夜さ、カカシ先生がウチに来て九時に変更になったって…お前んトコ、来なかった?」 「…あのエロ上忍ッッ」 握り拳を固めているところを見ると、どうやらサスケには伝達されてなかったらしい。 「サクラちゃんの所は?」 サクラも慌てて首を横に振る。 嘘は気が引けるが、バレるのはカカシに申し訳立たないというものだ。 そんな時、いつものように飄々とカカシが現れた。 「おっはー」 「おっはーじゃねぇッッ!!」 ナルトのときより更に大きな声でサスケが怒鳴る。 「何、キレてんの…お前」 カカシはサスケを一瞥しただけでナルトとサクラの方へ向き直った。 「先生、花見!」 「…もうそんな季節かねぇ?」 ナルトの、突然の話のフリにカカシが辺りを見渡す。 そういえば梅の花が今満開だ。 「桜の木に蕾が沢山付いてんだ。来週は早すぎっけど再来週なら見ごろだってばよ!皆で行こう」 「…一人で行け。ウスラトンカチが」 協調性の欠片も無いサスケの言葉に飛び掛ろうとしたナルトの、襟首を捕まえてカカシが宥める。 「まぁまぁ。たまにはのんびり花見もいいデショ。花が咲き始めたら日を決めるとして…まずは今日の任務だ!」 「お花見か…今年の桜は見れるかな?」 歩き出した三人の一歩後ろで、ぽつりとサクラが呟いた。 それはとてもとても小さな声だったので、カカシ以外の二人の耳に入ることは無かった。 パラレル風味…つうことで読んで下さい。 2005.06.26 まゆ 2008.11.16 改訂 まゆ |
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