くノ一




「なんでこんな寒い日に清掃なんかさせるかねぇ」

ちびちびと缶コーヒーを飲みながらカカシがぼやいた。
広々とした公園のベンチには吹き抜けていく風を遮るものは無い。

「所詮チビ達の任務といえばこんなもんだろ」

ヒゲ面の男がタバコを軽く指で弾き、灰を地面へと落とした。
側に立つ女の顔が曇る。

「アスマ…今、私達は清掃してるのよ?ゴミを落とさない」
「私達、じゃないデショ。清掃の任務は下忍に与えられたものダヨ」
「そうそう。俺達は監督だ。それにタバコの灰はゴミのうちにはいらんだろ」

そろいも揃っていい加減な奴らだ。
上忍としての自覚が足りない。
紅がたしなめようと口を開きかけた時、花壇を挟んだ向こう側からナルトが駆け寄ってきた。

「ああッ!カカシ先生、ズルイってばよぅ」
「…目敏いね、お前」

ナルトの視線が自分の手元の缶コーヒーに向いていることに気付き、カカシは苦笑した。
いくら広い公園だと言っても、下忍三班合同での清掃。
あらかた片はついたのだろう。
もうすぐ時計の針は十二時を指す。

「済んだか?」
「集めたゴミをどうしたらいいか聞いて来いって、サクラちゃんが」
「サクラが?!すぐ行くよー」

元暗部だなんて誰が信じるだろうという笑顔でカカシは腰を上げた。
ぬるくなったコーヒーを一気に飲み干して、空になった缶を紅に押し付ける。

「わるい、捨てといて」

一瞬だけ両手を合わせて拝むようなポーズをとった後、紅が返事をする前にカカシはナルトと行ってしまった。

ちっとも悪いと思ってないくせに。
要領のイイ奴。

心の中で呟く言葉とは裏腹に、紅は甘い瞳で次第に遠くなるカカシの背中を見つめている。
そんな彼女にアスマがやんわりと釘を刺した。

「アイツはやめとけ。アレはアレで…どうやら春野のこと、本気らしいからな」
「…貴方の言ってる意味がわからないわ」
「そうか?」

紅の答えにアスマは少し肩を竦めて立ち上がった。
両手を空に伸ばして背伸びをすると、それ以上は何も言わず子供たちのもとへ歩いていく。

一人残された紅はカカシから受け取った空き缶の、飲み口を人差し指でなぞった。
そして。
ゆっくりゆっくり口へ運び、唇を押し付けて瞳を閉じる。
冷たい金属の感触。

「カカシ…」

名前を囁くだけで身体が熱くなった。
自分の行動はまるで思春期の少女のようだとくすりと笑う。
さすがに恥ずかしくなって現実に意識を戻した紅は、人の気配感じで慌てて目を開けた。

「サクラ、ちゃん…?」

手には大きな透明のゴミ袋を持っている。
中身は空き缶だ。

「紅先生がカンを持っているのが見えたから。それ、捨てますよね?」
「…え、えぇ」

一体いつから見られていたのだろう?
それに…上忍である自分に気付かれずこんな側まで!

「どーぞ」

動揺している紅をよそに、サクラはゴミ袋の口を広げて待っている。
いつまで経っても行動を起こさない紅の名を、サクラが訝しげに呼んだ。

「紅先生?捨てないんですか?」

べったりと口紅の付いたコーヒーの缶。
紅はそれを指先で拭いながら無理やり笑顔を作った。

「ごめんなさいね。ぼーっとしてたわ」

紅の手を離れて、缶がゴミ袋へと捨てられる。
サクラは何故かにこりともせずにその様子を凝視していた。












「もう時間が無いわ!」

待ち合わせ場所が演習所というのが少々引っかかったが、カカシと会えるのならば目をつぶろう。
彼の言う『お願い事』が例え仕事のコトであっても二人で時間を過ごせることにかわりない。
紅は念入りに化粧をほどこし、でも、いつもの忍服を身に着けた。
はしゃいでいるとは思われるのは癪だから。
私が彼に気があるなんてバレたら…それこそ格好がつかないし。

『クールで知的な、イイ女』

カカシにはそう思われていたい。
そして、出来ることならカカシから私を欲しいと言わせてみたい。
アスマは諦めろって言ったけど、それは私にとって無理な注文だ。
カカシの視界に入るまで…私がどれほどの努力をしたのか知らないくせに。
修行に明け暮れ、やっと手に入れた上忍の地位と教師という職。
例えカカシがサクラちゃんのことを好きでも、どうにかしてみせると思うのは傲慢かしら?
…少しばかり可愛いだけの子供になんか負ける気はしない。

最後の仕上げに赤い口紅を引き、紅は鏡の前で微笑んだ。

「さて、 行きましょうか…」   










約束の5分前に演習所の入り口に到着した紅は石の柱に背を預けてカカシを待っていた。
時間にルーズな奴だから遅れてくるかもしれないが、約束を違えることは絶対にしない。
その待ち時間すら愛しく、紅はうっすらと笑みを浮かべた。

「紅、こっち」

声は背後から聞こえた。
振り返ると演習所の奥からカカシが歩いてくるのが見える。
返事を返そうとした紅の…声が凍りついた。
カカシが約束の時間以前に到着していたことなんかより、衝撃的な現実。
その腕に抱かれたサクラの姿に目の前が暗くなる。
淡い期待が一瞬にして消えた。

「紅先生?」

幼い声が自分を呼ぶ。
上手く気持ちを切り替えられないでいる紅に気付く風もなく、カカシはゆっくりとサクラを地上へと下ろしている。
地に足をつけたサクラが再び紅に声を掛けた。

「紅先生、今日はよろしくお願いします」

彼女にぺこりと頭を下げられても意味がわからない。
紅はカカシを仰ぎ見た。

「あー…オレ、ちょっと今から会議が入っててさ。サクラの相手をしてやれないの」
「…それで?」

そっけなく返ってきた言葉に、カカシは頭を掻く。

「それで、ね。ちょうどいいから紅に幻術の基礎を教えてもらえないかなーなんて思っちゃったワケ」
「…」
「応用ならいくらでもオレが教えられるんだけど…基礎はねぇ。やっぱちゃんと修行した人に教えてもらった方がいいと思って。オレのはただのコピーだから」
「…」
「休みの日に悪いな。幻術といえば紅しか思い浮かばなくてさ」

そう言って苦笑混じりに微笑まれるともう紅は諦めるほかなかった。
溜息とともに了承し、代わりにカカシからの感謝の言葉を受け取る。

「…わかったわ」
「助かるよ」

一通り話がつくまで、サクラは大人しく二人の間で待っていた。
その小さな頭にぽんと手を置いて、カカシはくしゃくしゃとサクラの髪をかき乱す。

「じゃ、二時間ほどで戻るから。しっかり教えてもらうんだぞ?」
「うん!」

そして、カカシは紅と視線を合わすこともなくその場を離れていった。












「紅先生って意外と根暗なんですね」

一時間が過ぎた頃、紅は幻術の修行に一息入れるつもりで辺りを見回した。
アカデミーの中庭に自動販売機があることを思い出し、とりあえず其処へ移動しながら、休憩しましょうと紅はサクラに声を掛けた。
しかし、それに対して返事は無く…唐突に意味のわからないことを告げられたのだ。

根暗って、どういう意味?
首をかしげ、黙ったままの紅の側へサクラがゆっくりと歩いてくる。

「先日の…コーヒーの缶のことですよ」

本当に可笑しくてしょうがないというように、サクラはころころと笑った。
紅が息を呑むのを満足げな表情で見ている。

「ごめんなさい。ホントはね、ずっと見てたの。紅先生がカカシ先生の飲んだコーヒーの缶に口付けてるトコ」
「…私、そんなコトしたかしら?よく覚えてないわ」
「してましたよー」

サクラの、含み笑いの表情が気に入らない。
紅の目がすぅっと細くなった。

「…気のせいでしょう」

それ以上のことは言わせないとばかりに声を低くする。
しかし、サクラには全く通用しなかった。

「気のせい?笑わせないで」

サクラの今までの笑みが一瞬で嘘のように引く。
紅の正面に立ちはだかっているのは『子供』ではなく、自分と対等な『女』だ。

紅は初めて自分が思い違いをしていたことに気付いた。
カカシがサクラに惚れている以上に、サクラはカカシに惚れている。

エメラルドの奥にある、強い光を見たような気がした。












「先生、ほら見て見て!」

カカシが歩いてくるアカデミーの校舎と中庭を繋ぐ桜の並木道。
サクラも駆け寄りながら大声で叫んだ。

「すごいでしょう?」

サクラの結んだ印により、まだ蕾すらない桜の木々が一瞬にして満開になる。
目を見張ったのはカカシだけじゃない。
紅もまた、信じられないものを見るように瞬きを繰り返した。

「紅先生の教え方が上手なの」

弾む息が白く濁る。
そんな季節に咲き誇る桜。

約五十メートル四方の空間が完全にサクラの支配下に置かれていた。
いくら幻術の才能があるからといって今日教えたばかりの基礎で到底出来ることではない。
この幻術を見る限りでは、最初からサクラのレベルは基礎以上だったはず。
独学で…難度の高い術も習得していると考えるのが妥当だろう。
しかも、紅から見てもこのサクラの幻術はケチの付け様のないほど完璧だった。

「どーせオレは教え下手ですよ」
「拗ねない、拗ねない」

ひょいと抱き上げられたサクラがカカシの頭を優しく撫でている。
紅は刺すような視線でサクラを見た。
もう疑う余地は無い。
今日、この子は…
春野サクラは、自分に釘を刺しにきたのだ。

悔しい。
腹立たしい。
妬ましい。
そして、二人を見ていることしか出来ない自分が情けなく…惨めだった。

「紅先生、今日は有難う御座いました」

自分より高い位置からサクラがカタチばかりの礼を述べた。
返事なんて返す気になれない。
続いて今から三人でお茶でも飲みに行こうというカカシの提案も聞こえたが、それは当然のようにサクラに否定される。

「駄目よ、カカシ先生!紅先生…お化粧が気合入ってるモン。多分この後デートの予定が入ってると思うわ」
「そっか。そういえば雰囲気がいつもとちょっと違うって思ってたんだよね」

うんうんと能天気に頷いているカカシも、その胸にウサギのように抱かれているサクラも…もう何も見たく無い。
紅は手短に挨拶を済ませるとその場から逃げるように立ち去った。
カカシはそんな紅を不思議な顔で見送った後、サクラに視線を戻して微笑んだ。

「じゃ、二人だけで行きますか」
「うん!」










ゆらりゆらり揺れる世界。
私の居場所、逞しい胸の中。

カカシの首にやんわりと絡めた腕は。
しかし、絶対に解いたりしない。





紅先生、理解してもらえたかしら?

カカシ先生は私のものよ。

貴方には…たとえ、髪の毛一本だってあげないわ。











黒サクラ…
一応サクカカ。のつり。…イヤ、サクカカだから。

2005.04.19
まゆ



2008.11.16 改訂
まゆ