優しい雨 寝苦しさに何度も寝返りを打った後、サクラは頭の上にある目覚まし時計を手探りで引き寄せた。 もうすぐ5時を指すソレを横目でちらりと見て再び枕に顔を埋める。 「まだ5時前だよー…」 うっすらと汗をかいた首筋に張り付く髪が気持ち悪い。 いっそうのことシャワーでも浴びれはスッキリするだろう。 サクラは上体を起こしてベッド脇にある出窓のカーテンを少し開けた。 「あ、雨」 音も無く窓を濡らし続ける雨にサクラは苦笑する。 昨晩、夕食時に流れていた天気予報では晴れだと告げていたのに…カカシの雨予報は本当に外れない。 振り返ると今日の天気をピタリと当てたその人が広いベッドの隅の方で寝息を立てている。 大きな身体を丸めて眠るその姿はまるで猫のようで……サクラはそっと髪に触れた。 見た目以上にやわらかい、その灰色がかった銀髪は、サクラが初めてカカシに逢った時かなり目を引いたシロモノだ。 未だかつてそんな髪の色の『医者』を見たことがなかったから。 もちろん、地毛だと知った時は更に驚いたのは言うまでもない。 「…」 聞き取れないほどの呟きとともに、突然カカシの頬を涙が伝う。 「…カカシ?」 サクラはカカシの顔を覗き込んだ。 また、あの夢を見ているのだろうか? 自分の前世だという、あの夢を……… 深い霧の中、しとしとと雨が降る。 ぬかるんだ地面はなにも雨のせいだけではない。 いたるところに積み重なる肉の塊と、そこから滴り落ちる紅い液体の方が大半を占めると思われる。 硝煙と、むせ返るほどの…血のニオイ。 その真っ只中に佇む自分は、不意にガクリと両膝を付きその場に崩れ落ちた。 腕の中には一人の少女。 恋人と呼ぶには幼すぎるし、自分の子供だと言うには歳が噛み合わない。 でも、自分にとって何ものにも替えられない大切な少女。 ギシギシと骨がきしむほど抱きしめるが、少女の口からは文句の一つも出てこなかった。 ただ、胸に置かれていた白く細い腕がだらりと地面へ垂れる。 少女が…もうすでにこの世に留まってはいないのは誰の目にも明らかだ。 頬を寄せた自分は少女のあまりの冷たさに目を見開く。 顔を上げ、色の違う両の目で探すのは…魂のカケラ。 一滴の、命。 それすらも見付けられないカカシは再び少女を抱く腕に力を込めた。 絶望。 後悔。 …そして、全てのものに対する、殺意。 胸の内に渦巻く負の感情に押し流され、ただその場に蹲る。 やむことのない静かな雨をうけながら。 薄紅の髪。 閉じられたままの瞳は若葉の色。 少女の名は… 「…サクラ」 カカシはゆっくりと目蓋を開けた。 顔にかかる、陽に透けると桃色に見える明るい栗色の髪がくすぐったい。 「サクラ…?」 ゆっくりと伸びてきた細い指が、カカシの頬を伝う涙を優しく拭った。 「あの夢?」 いたずらっぽく笑いながら訊ねるサクラにカカシもまた苦笑する。 「そう。あの夢」 視線を逸らし、カーテンの隙間から『雨』を確認するとカカシの勝ち誇った言葉が続く。 「ほらな。言っただろ?雨になるって」 夢の余韻を隠し、無理に微笑もうとするカカシはサクラから見れば余計に切なさを誘う。 「うん。でも今日の買い物は絶対なんだからね!」 「ははは。わかってるよ、お姫様」 「先週もドタキャンだったでしょ!今日を逃したら間に合わないんだから!…間に合わなかったら結婚しないッ」 「それは困りマス」 サクラはチラリと時計に目を走らせる。あれから30分ほどしか経っていない。 少し早いけど、起きてしまおう! もう一度寝ちゃうときっとお昼まで起きてはくれないわ!! 「コーヒー、入れてくる。寝ないで待っててよ」 「はいはい」 カカシのシャツを羽織りパタパタと部屋を出て行くサクラの後姿を見ながら、カカシは『今』の幸せに漠然とした不安を感じていた。 カチャカチャとコーヒーメーカーのセットをしながら、サクラは今日の予定を考える。 コーヒー飲んで、シャワーを浴びて。 朝食は久しぶりにカフェでオープンサンドが食べたいわ。 その後は、もちろん宝石店よ! ホントに今日決めてしまわないと間に合わない。 結婚式までは2週間をきっていた。 結婚指輪のない結婚式なんてヤなんだから! 実はもう、目ぼしい物はチェックしている。 でもそう告げると「サクラが好きなものでいいよ」と言うに決まってるから… 『永遠』を誓うリングは二人で決めたいじゃない?! うんうん、と一人頷きながらミルのスイッチを押した。 十五秒ほどの豆を挽く音の後、コポコポとお湯が注がれドリップが始まる。 トレイにマグカップを2つのせてテーブルに置くと、コーヒーが出来上がるまでの暫くの時間を待つためにサクラは椅子に座った。 カカシに初めてあったのは病院だった。 当時、付き合っていた彼氏が交通事故で入院し、その彼の担当医だったのがカカシだ。 お見舞いに病室へ入ってきたサクラを見て、カカシは固まった。 手から滑り落ちたカルテがバサリと床へ撒き散らされる。 慌ててサクラがそれを拾うために駆け寄ったが、カカシは動くことすら出来ずただ立ち竦むだけ。 そしてポロポロと零れる涙は頬を伝わず、そのまま床へと落ちる。 サクラも彼氏も何が何だかわからず顔を見合わせた。 …それが、始まり。 それからというもの病室で逢う度に口説かれ続け…とうとう、五年以上も付き合ったサスケ…彼氏とも別れてしまった。 そんな自分に本人が一番驚いている。 ホント、なんでだろうね? 確かに涙を零す顔はとてもキレイで印象的だったけれど。 心無い友達は医者という職業に引かれたのだと噂したが、そんな簡単なことではないことをサクラ自身が一番良く理解している。 カカシに言わせれば『前世の恋人』なのだから、自分を選ぶのは当然らしいのだが。 初めて逢った時の涙は廻りあえた喜びのためだったと照れくさそうに笑うカカシを見てサクラとて「そうかもしれない」と思わないわけではない。 サクラにも『前世の恋人』説はあながち否定できなかった。 この人の傍にいなければいけない、そう強く想う気持ち。 理屈じゃなくそれが正しいのだとサクラの感覚が告げていたから。 今度は幸せになりましょう。 カカシの見る『夢』はいい夢ではないらしい。 サクラは今日のようにカカシが涙を流すのを何度も見てきた。 それも、特に雨が降っている日に多い気がする。 だから選んだのよ! この雨の月に…結婚式を。 それに、六月の花嫁は幸せになれるっていうし。 ねぇ…二人で幸せになろう? 哀しい雨の記憶は優しい雨の記憶にかえて…… 幸せに、なりましょう。 カカシは『雨予報』を外したことがない。 物心つく以前から雨が降る前には決まって必ず左目が疼くから。 そして…夢を、見る。 キッチンへと向かうサクラの後姿を見送た後、カカシはなんとなく視線を窓へと戻した。 降り続く雨は今日一日やむことはないだろう。 それにしても…今日の雨は、夢と同じ『雨』だねぇ… 音も立てない雨の冷たさ。 両手に残る少女の重み。 血の、ニオイ… 夢から覚めてもリアルに残っている感覚にカカシは苦笑した。 やりきれない苦い想いが交錯し、惑わせる。 あの少女は『サクラ』だ。間違いない。 髪の色が違っても、瞳の色が違っても…… たとえ、オレのことを覚えていなくても。 この『オレ』が間違えるハズがない。 さほど時間をあけず、サクラがコーヒーを載せたトレイを片手に部屋へと戻ってきた。 ベッドの縁に腰掛け、上体を起こしたカカシにブラックコーヒーを渡す。 自分用にはミルクを多めに入れたものを。 「ありがとう」 カカシはお礼を言ってマグカップを受け取り、口へと運んだ。 その様子を嬉しそうに微笑みながらサクラはカカシの肩へと頭を預ける。 「今日の買い物は引きずりまわすわよ!覚悟はイイ?」 サクラの意気込みにカカシが少し困ったような、それでいて嬉しそうな顔をした。 「…はい」 しおらしい態度にサクラは大きく頷いて、また笑った。 胸を締め付けるこの切ない想いも…やがて風化していくだろう。 それでいいと思う。 守りきれなかったあの日の少女は、今、この腕の中にいるのだから。 今度こそ守り抜いてみせる! この幸せを… 大切な愛しいきみを。 「…サクラ……」 11111のキリリク…侑様に捧げます。 スミマセン。書き直し、承ります。 リクにあってなさそうなので… ラブラブのつもりで書いてたのに、超暗くなってしまいました。 しかも淡々と… 2002.06.20 まゆ 2009.06.21 改訂 まゆ |