楽園 2



「ちょっと待ちなさいよ、サクラ!!」

駅で見かけたサクラが自分に気付きもせず走り去っていったので、いのもまたサクラを追いかけて走っていた。
ただひたすらに走るサクラは何からか逃げているようにも見える。

   どうしたんだろ?
   様子が変だ・・・

「サクラってば!!」
追いつき、サクラの肩に手を掛けると強引に振り向かせる。
振り向いたサクラの瞳は今にも零れ落ちそうなほど涙で潤んでいた.
「・・・どうしたの。」
親友の出現にホッとしたのか、次々に雫がサクラの頬を伝う。
「いの〜・・・」
情けない声をあげてそのままいのに抱きついた。
「アンタ、また・・・」
抱きつかれる前に目に入った不揃いの髪。
いのは怒気を孕んだ声で叫んだ。
「誰にやられたのよ?!」


サクラは幼少の頃からよくイジメにあっていたそうだ。
サクラとは中学からの友達なのでそれより以前のことはよく知らないが、とにかく中学に入りたての頃は凄かった。
理由の主には身体的なこと。
特に容姿についてだったが・・・サクラの両親は純粋な日本人でその両家系にも外国人はいない。しかし、サクラはそうは見えなかった。
色素の抜けたようなサラサラの髪、薄い若葉色の瞳。白すぎる肌・・・。
医者が言うには細胞分裂の段階に何らかのカタチで色素に関する遺伝子が組替えられたか、劣勢遺伝子が現れた結果なのだそうだが。
『先天的遺伝子異常』・・・・・平たく言えば『突然変異』。
そんなサクラの容姿は恵まれているなんてものではない、といのは思う。
神様の悪戯にしてはやりすぎなほどに完璧・・・。   
小さい頃は『違う』ということでイジメられていたのかもしれないが、中学では『やっかみ』が理由なのは間違いなかった。イジメていたのは女の子ばかりだったし・・・。
サクラはその頃にも一度だけ髪を切られたことがある。
いのはそれを思い出したのだ・・・。


「・・ち・がう・・の。自分・・で、切った。」
「え?」
「絡まった・から・・・どうしても・ね、とれ・・なかったの。」
「・・・・」
「ま・るで私の気持ち・みたい・・だった・・・」
話している間も一粒、二粒と盛り上がっては零れ落ちる涙にいのがほっと息を吐く

   イジメられたわけではなさそうね・・・。


「・・・ちゃんと聞いてあげるから。解るように話しなよ、サクラ・・・。」





誰もいない保健室に二人。

優等生のサクラのおかげで『気分が悪い』という理由を疑われもせず、保健室の使用許可が下りた。
保健医は学会に出席していて不在の為、いのの付き添いも暫くはOKだろう。
一番端のベットに二人で腰掛けて、いのはサクラに話の続きを促した。

「サクラ・・・何があったの?」
少し落ち着いたサクラはハンカチを握り締めたまま照れた様に笑った。
「ゴメン。」
「あのさー、謝んなくていいから訳を教えなさいよ。」
「ホント・・・大したことじゃ、ないの。」
「いいから!」
いのの迫力に押されてサクラは一度つぐんだ口をしかたなく開く。
「・・・昨日、私と一緒に居た男の人、覚えてる?」
「男?・・・あぁ、痴漢がどーのこーの言ってた?」
いのが小首をかしげて思い出す。
「助けてくれた人よ。私、今日もあの人に逢ったの。・・・逢う為にあの電車に乗ったの。」
「・・・」
「好き、なの・・・。でも、ダメで・・・」

   そう。自覚が出来た途端、あっけなく幕を閉じた私の恋。

「は?ダメって・・・告ったの?!」
「違う!!」

   でしょうね・・・。
   サクラにそんな行動力はないわ。

「じゃ、なんでダメって解るのよ?」
「・・・してんだ・・もん。」
「何?」
「・・・」
「サークーラー!!」
「結婚!!・・・してたんだもんッッ」

そう叫ぶと止まっていたサクラの涙がまた一気に盛り上がた。
「じゃ、しょうがないわね。」
あっさりとしたいのの言葉にサクラは恨みがましい視線を向ける。
「なによ・・・良かったじゃない?後でわかるより。」
「そりゃ、そうだけど・・・。」
「昨日の今日の、でしょ?忘れちゃいなさいよ。」
「・・・」
「サクラの運命の人は他にいるって。」

トン、とベッドから降りるといのはサクラを無理やり横にさせた。
「ついでだから一時間ほど寝れば?その顔じゃ授業にも出れないでしょ。」
昨夜、殆ど寝ていなかったサクラが素直に従う。
いのはサクラから取り上げたハンカチを水で濡らしてから返し、目を冷やすよう指で指し示した。
「帰りにドーナツ食べに行こう。サクラの好きなフレンチクルーラー、死ぬほど食べさせてあげるわ。だから・・・いい?その人のことはキレイサッパリ忘れるのよ?」
赤い目で暫くいのを見つめていたサクラは最後にコクンと頷いた。
それを見届け、ベッドから離れる。
「じゃ、後でね。」
そう告げてからいのは誰も居ない廊下へと足を踏み出した。

   甘くふわふわの、綿菓子のようなサクラ。
   可愛いったらありゃしないわッッ













「サクラちゃん、これお願いできるかしら?『葵の間』なんだけど。」
慌しい厨房の中、サクラに湯気の立つ出来上がったばかりのお膳が手渡される。
「はい!」
和服姿のサクラが襷を解き、前掛けを外した。
「あともうひとり・・・誰か・・」
夕刻の忙しいこの時間、仲居さんの手が足りなくて厨房で働くバイトのサクラにもよく声が掛かる。

「んもぅ、サクラは表に出さないでって言ってるのに・・・」
自慢の黒髪を一つに束ね上げながら厨房の敷居をくぐってきたのはこの料亭の女将、紅だった。
「サクラは兄から預かってる大事な姪っ子なのよ?」
「女将さん!スミマセン・・・」
「ふふふ。まぁいいわ。もう一人いるんでしょ?私が・・・。」
「イエ、女将さんにそんなこと!」
「いいのいいの。ほら・・・いくわよ、サクラ。」
「はいッ。」
厨房の人間を強引に押し切りお膳を手に取る紅に先導されて、サクラは細い廊下へと足を進めた。


『葵の間』・・・その障子の前で膝をつき、紅が声をかける。
「お食事の用意が出来ましたが、いかがなされます?お客様。」
運んで下さい、と障子越しに声が掛けられたのを確認してから・・・紅とサクラは部屋へと入った。

「失礼します。」
頭を上げた紅が客の顔を見て笑みを馳せた。
「はたけ様、お久しぶりで・・・。」
「やめろよ、紅。気持ち悪いぞ?!」
「お客様ですもの。今日はね。」

「知り合いかね?」
カカシの向かいに座る少し年配の、恰幅の良い男性が口を挟んだ。
「大学の・・・同級生です。」
と説明したカカシの視線が目の前の男・・・クライアントから料理を運んできた紅達に戻った。
そこで紅の後方に控えていたサクラに目が留まり、眠たげだった瞳が急に大きく見開かれる。

   あの子だ!

見間違えるはずもない。
独特の髪の色、若葉色の瞳。

   サクラちゃん!!

カカシのにやけた満面の笑顔に、すぐさま紅が一言釘を刺してきた。
「・・・カカシ。この子に手を出したらタダじゃおかないわよ!」
「そんなんじゃ、ないって。」
「じゃーなんなのよ、その顔はッ」

放っておくとつかみ合いの喧嘩が始まりそうな二人を他所に、サクラは無言で自分が持っているお膳をカカシの仕事関係者と思われる人の方へと運んだ。
「ほう、こりゃ可愛い仲居さんだ。」
その言葉にぎこちない笑みを返し、膳を並べ終えるとサクラはそのまま戸口まで下がって正座する。
姿勢を正し、今一度頭を下げて・・・話の弾む紅を残したまま先に部屋を出た。

部屋へお膳を運び入れ、出るまで約5分。
その間、自分を目で追うカカシの視線をかいくぐり、サクラは一度もそちらの方を見ようとはしなかった・・・。






そそくさと厨房へと戻り、洗い物を始めたサクラ。
その手が僅かに震えていたことを何人の人間が気が付いたであろうか?

   ・・・カカシさんだった・・・

『葵の間』へ入った途端、もちろんすぐに気が付いた。
初めて出会ったあの日からすでに2ヶ月近く過ぎているというのに!
まさに口から心臓が飛び出る、といった馬鹿馬鹿しい表現がピッタリで・・・顔など、とても上げられなかったが。

   ヤダ、なんでこんなトコで逢うのよ?!

忘れようと押さえ込んだ気持ちがサクラの気付かない所で静に流れ出し始める。

   せっかく・・・忘れようとしてたのに・・・

ありがたいことに洗い物は沢山ある。
動揺を押さえるべく、サクラは黙々と手を動かした。





「サクラちゃん、『葵の間』のお客様、帰られたようだからお膳を下げてきてもらえるかしら?それが終えたら上がってもいいから。」
チラリと柱時計に目をやって厨房のチーフがサクラに声をかけた。
『葵の間』という言葉にビクリと肩を震わせたサクラだが・・・帰ったと聞いてほっと心を撫で下ろす。
「はい、わかりました。」
了承の返事を返し、サクラは再び座敷へと向かった。





声もかけず、障子を開けると『葵の間』へと足を踏み入れる。

「さくらちゃん!」

薄い紫煙の向こう側に自分の名を呼ぶカカシを見つけて、サクラは落としそうなにったお盆を両手で抱きしめた。

   なんで、居るの?!

「・・・お下げしても宜しいでしようか?」
動揺とは裏腹にサクラの口から出た言葉は単調で事務的なものだった。
サクラの対応にカカシが寂しそうに目を伏せる。
「オレのこと、忘れちゃった?」
「・・・」
「それとも怒ってる?キレイな髪、切らせちゃったから・・・。」

不揃いになった髪をサクラは一度切り揃えていた。
この二ヶ月で幾分伸びたのだが・・・それでも以前よりは目に見えて短い。
「そんなこと!!・・ない、です。」
トーンの落ちたカカシの声に慌てて顔を上げたサクラは自分を真っすぐ見る瞳に頬を染める。
「・・・やっと、こっち向いた♪」
ニコニコと笑うカカシは無邪気な子供のようだった。

「紅の姪なんだって?ここでバイトしてんの?」
「・・・はい。」
「何時に終わる?」
「・・・ココ、片付けたら・・・ですけど。」
「ふぅん。電車で帰るのかな?」
「ええ。」
「駅まで一緒に帰んない?オレも電車だし・・・外で待ってるから。じゃ、あとでね。」
サクラの返事も聞かず一方的にそう告げると、カカシは後ろ手に手を振りスタスタと部屋を出ていった。



思いもよらない場所で、思いがけない再開。
運命の女神が再び止まっていた歯車を回し始めた・・・・。








2006.06.17
まゆ