楽園 1


楽園とは一体どこにあるのですか?

出来ることならそこへ辿り着きたいのです。



・・・あなたと二人で。













   ダルイ。
   何とかなんないのかねぇ、この通勤ラッシュ。
   毎日毎日コレじゃたまんないよ・・・。

ベタつくつり革に両手でつかまり、カカシは俯いてほっと息をつく。

   ・・・眠い。

あくびをかみ殺し顔を上げると、視界に目を引く淡い色が飛び込んできた。

   へぇ・・・可愛い子だなぁ。

茶髪とも違う、透き通るような色合いの髪は窓から差し込む朝日で薄紅色にも見える。
背はそんなに高くなく、160そこそこだろう。通勤するオトナの中に埋もれていた。
半袖のブラウスから伸びる腕は細く、陶磁器のように白い。
他所の国の『血』でも混じっているのだろうか?大きな瞳は若葉の色だ。

暫く眺めていると『可愛いお嬢ちゃん』が不意にカカシの方を仰ぎ見た。
怪訝な表情の少女と一瞬だけ視線が絡まり、すぐさま離される。

   やばい。変なヤツだと思われたかも。

そんなくだらないことを考えてカカシは苦笑を浮かべた。
オヤジくさい・・・と自分で自分に突っ込みを入れていると、不意に少女が赤い顔をして俯く。
身を捩り何かを避けるように動くが、そんなコト・・・このスシ詰めの電車の中ではさほど意味をなさない。

   痴漢、だな。

すぐさま少女を中心に辺りを見渡す。
不自然に動く男が二人。

   ふたりぃ?
   まあ、オレが可愛いと思うぐらいの女の子だけどさ・・・
   二人はないデショ、二人は。

面倒なことには関わらない主義のカカシにしては珍しく、少女を助けようとつり革から手を放し、そちらへと伸ばした。
途端に上がる叫び声。

「この人、痴漢ですッッ」

少女が示す指の先は何故かカカシに向いていた。
車内の視線が一斉にカカシへと集中する。

   オイオイ、ちょーと待て!
   オレの両手はココだぞ?!

さっきまでつり革につかまっていたカカシの手は少女の遥か頭上にあり、身体に触れることはまず不可能だった。
少女もそれに気付いたらしく、急に表情を変える。
誤解が解けたであろうその表情にホッとし、カカシは少女の身体から逃げるように離れていく二つの腕を素早く掴むと、そのままひねり上げた。

「あんた達、何やってんの。」

痛がる声を無視して響く低いドスの利いた声に、カカシの周りから潮が引くように人がいなくなった。
どこにこんな隙間があったのだろうかと不思議に思うほどに確保されたスペースには、カカシと少女と・・・どこにでもいそうなスーツ姿の中年サラリーマン二人が残される。

「ち、違う・・・」
「何を証拠に!」

口々に上がる『逃げ』の言葉はかなり信憑性が低い。

   証拠って、ねぇ?
   そんなトコおっ勃てて何を言ってんだか。

タイミングよくホームへ滑り込んだ電車が口を開けた。
降りる駅ではなかったが、このままの状態でいるわけもいかず・・・カカシは男二人を引きずるようにしてホームへと降り立つ。
少女も後を追って降りたことには気付かず、閉まるドアに未練がましく視線を投げかけるとカカシは肩を落とした。

   ・・・遅刻だな。
   ま、いいか。いつものことだ。

大人を二人、楽々と押さえ込んだまま、手近かにいた駅員を呼び止め事情を話して引き渡す。
初め胡散臭そうな顔をしていた駅員もカカシの背後にいる赤い顔をした少女をちらりと視線をやると納得したようで、そのまま男二人を連行していった。
その後姿を見届け、カカシはひょいと肩を竦めると再び電車が来るのを待つために歩き出す。

口を挟むまもなく全てが終わってしまい、目の前にいる助けてくれた男さえも見失いそうで少女は慌てて男のスーツの裾を掴んだ。
「あ・・・あの!有難うございました!!」
「え?あぁ・・・どういたしまして。」
急に後ろへ引っ張られ、よろめきながら少女へと向き直る。
「それと!ごめんなさい!!」
「?」
「痴漢と間違えてしまって・・・。」
「くくく。いいよ、別に。オレだって可愛いなぁってじっと見てたし。」
痴漢と一緒?とおどけた口調で訊ねると、少女は初めきょとんとした顔をしていたが・・・そのセリフが男の冗談だとわかると口元に手をあててころころと笑い出した。

   うん。
   笑った顔のほうがイイ。
   先ほどの泣きそうな顔よりは、ずっと。

電子音のチャイムと共にアナウンスが流れ、反対ホームに電車が着く。
降りてきた金髪の少女が真っすぐこちらへ駆けて来て、カカシの目の前の少女の背中を叩いた。
「おはよ、サクラ!」
「おはよう。いの。」
「珍しわね、サクラがこの時間の電車に乗ってるなんて。」
「・・・・寝坊したのよ。」

『友達』と思われる同じ制服の少女が現れ、引き際だと心得る。
「じゃ、オレはこれで。ばいばい、サクラちゃん?」
続いてホームへと入ってきた電車に向かうカカシが、慌てて振り返るサクラに軽く手を振った。
すでに電車に乗り込んでしまっているカカシにサクラはぺこりと頭を下げる。

頭を上げた時にはすでに電車は動き出していて・・・あっという間に見えなくなった。


「さっきの人、誰?」
いのの最もな質問にサクラが『あ!』と小さく叫び、電車が去ってしまったホームを振り返る。
「やだ、名前聞くの忘れちゃった。」
「へ?」
「痴漢から助けてくれたの。」
「ふぅん。朝っぱらからナンパかと思ったわよ?」
「なに言うのよ〜・・・いのじゃあるまいし。私がナンパとかされたことないの知ってるでしょッ!」
「はいはい。」

   サクラってば、ホントわかってない。
   自分がどれだけ視線を集めているのかを。
   ナンパされたことがないのはあの二人のせいよ!
   学校でだってサクラに声を掛けたいヤツは沢山いるのに・・・
   ただ、あの二人・・・『サスケ』と『ナルト』のガードが固くて誰も近寄れないだけ。
   そういえば・・・

「サスケくんは?」
「あ、サスケは今週週番なの。いつもより一本早い電車に乗るって。」
「そっか。で、サクラは起こしてくれる人がいなくて寝坊したんだ?」
「違うッッ!いの・・・誤解を招くようなことは言わないで欲しいわ!サスケとは幼馴染の腐れ縁よ!!」
「はいはい。」
「もー、いのったらそればっかり。」
ぷうっと頬を脹らますサクラにいのが時計を見てせかした。
「ホラ、早く学校へ行かなくちゃ。この時間の電車、遅刻ギリなんだから。」
「そうだった!!」

揃って改札口へと駆け出す。
サクラはなんとなく後ろ髪惹かれる思いで立ち止まり、もう一度だけホームを振り返った。
「なにやってんのよ、サクラ!」
数メートル先でいのが叫ぶ。

   明日、また逢えるかな?

サクラは再び駆け出しながら何故かそんなことを考えていた。










「ん、と・・・この車両だったわよね?」

   スーツ、着てたし。
   きっと通勤途中の会社員・・・だと思うのよ。

電車通勤者は大体決まった車両の決まった場所に乗る。
自分も毎朝の定位置があるから・・・イヤ、昨日は一本電車を乗り過ごしたのだけれど。
そして今日もあの人に逢う為、サクラはいつもより遅い昨日と同じ電車に乗り込もうとしていた。





サクラはその日一日、何も手につかなかった。


気が付くと朝の出来事を思い起こしていて・・・そのたびにどうしても『あの人にもう一度逢いたい』と思ってしまう。

   なんで・・・かなぁ。
   可愛いって言われたから?

あまりにも馬鹿馬鹿しい事を考えては、俯いてくすりと笑う。

   電車の中で目が合った時はあまりにじっと見られてて・・・痴漢と間違えたのにね?

サクラ自身、めまぐるしく変わる気持ちの変化についていけない。
ただ、逢いたい気持ちだけが募った。

   明日も・・・同じ電車に乗ってみようかな・・・
   うん、そうしよう!!

最後には『やっぱりちゃんと御礼をした方がいいから』と無理やり逢いたいと思う気持ちに『理由』を付け、サクラは自分を納得させてしまった。


しかし、なにも難しく考えることはない。
そう、多分・・・きっと・・・これは『恋』。
サクラにとって、初めての恋だ。





ドアが開き、降りる人の流れの隙間から車両の中を伺い見る。

   あ、いた!!

昨日と同じように両手でつり革にぶら下がり、欠伸をかみ殺している。
その場所へ行くために、サクラは気合を入れて混雑している車内へと足を踏み込んだ。

入ったはいいが身動きがとれず、ドアに背を預けたまま電車が走り出す。
すぐそこに見えるのに近づけないもどかしさでサクラはイライラと爪を噛んだ。
カーブへ差し掛かり、ガタンと大きく電車が傾ぐ。
「きゃっ。」
人に押し潰されそうになり、咄嗟に小さな悲鳴をあげたサクラの目の前に現れたのは・・・アノヒトだった。
咄嗟のことに言葉の出ないサクラへ男の方から声がかけられる。

「おはよう、サクラちゃん?」
「・・・おはよ・う・・御座います。」
「今日も遅刻?」
「いいえ!・・・あ・・っと、・・そんなところです。」
「くくく。なんだ、ソレ?」

   遅刻だと思われるのはヤだけど・・・
   まさかあなたに会うために、なんて言えないし!

男はなかなか笑うのをやめない。
笑い上戸なのかもしれなかった。
ひとしきり笑った後、カカシは赤い顔で俯くサクラに謝った。
「ごめんね、サクラちゃん。なんかツボにはまっちゃって・・・。」
「イエ、それはいいですけど・・・名前・・・。」
「あ、馴れ馴れしかった?」
「そうじゃなくて!私、貴方の名前・・・知らない・・」
「オレの名前?・・・カカシ。『はたけカカシ』っていうの。」
「カカシ?」
その言葉にサクラは初めてカカシをまともに正面から見た。
昨日は恥かしくてそれどころではなかったから。
カカシの・・・その整った容姿に一瞬言葉が詰まる。

   もしかしなくても・・・この人、めちゃくちゃ格好良くない?

途端に跳ね上がった心臓の音にサクラが再び俯く。
カバンを両手で胸に抱きしめ、鼓動を静めようと何度も小さく息を吸った。

   ヤダ、どうしよう・・・聞こえちゃう。

何も話せないまま、ただ電車は時間に従い走り続ける。
昨晩、布団の中で考えていた『話』さえ思い出せず・・・サクラは泣きたくなった。
沈黙がしばらく続き、やがてカカシの方から声が掛けられる。

「そんなに変?」
「・・え?」
「オレの名前。」
「違ッッ・・・きゃっ!」

沈黙の意味を勘違いしているカカシに訂正をするため、咄嗟に顔を上げたサクラがそのままカカシの胸へと倒れ込む。
カーブの多いこの沿線は電車の揺れが激しい。
カカシはサクラの背後のドアに片手を付き、身体を支えた。
「あっぶねー・・・大丈夫?サクラちゃん・・・」
もう一方の手はサクラを守るようにサクラの肩へと回されて、ただでさえ近すぎた距離がゼロになる。
「は、はいッッ!」
慌てて顔を上げたサクラをカカシが見下ろしていた。
「ごめんなさい!!」
「気にしない気にしない♪」
やわらかく微笑まれ、更に顔が赤くなる。
「あの・・手・・・・。」
「手?」
カカシが無意識に回していた手を謝罪の言葉と共にサクラの肩から外した。

   かっわいー!
   馴れてないんだ・・・モテそうなのにね?

まったくと言っていいほど男馴れしていない少女にカカシは何故か嬉しくなった。

「次は『木の葉町』です。お降りの方はお忘れ物のないよう願います。」
サクラの降りる駅の名がアナウンスされ、間もなく到着することを知らせた。
「次、だよね?」
カカシは残念そうな口調の自分に苦笑する。
はい、と返事をしてカバンを持ち替えるため身体を動かしたサクラの髪がツンと引っ張られた。
「痛!」
よく見ると、サクラの長い髪がカカシの背広のボタンへと絡まっている。
「ごめんなさい!!」
「謝ってばかりだね、サクラちゃん。」
慌てて解こうとするサクラのつむじを見ながらカカシがまた笑った。
緊張のあまり震える指先・・・しかも焦れば焦るほど上手くいかず、サクラは途方に暮れる。

   やだぁ・・もー・・・

「私、ハサミ持ってますから・・・切っちゃいましょう!」
「待って。勿体ないデショ?こんなにキレイな髪なのに・・・」
サクラが手を離した毛先へとカカシが指を伸ばした。
サクラの目の前に現れた男の人の大きな手・・・割りに、細く長い指。
その左手の薬指に光る指輪を見た瞬間、サクラの息が止まる。

   結婚・・・してるんだ・・・・

馬鹿みたいに浮かれていた自分が悲しくなった。
一気に気持ちが沈む。

「んー、とれないねー。」
相変わらず一生懸命解こうとしているカカシの声が頭の上でぼんやりと聞こえた。
もうすぐ駅に着く。
サクラは枝毛を切る為に持ち歩いていた小さなハサミをポケットから取り出すと、カカシが摘んでいる所より10センチほど上をいきなりバッサリと切った。
「サ、サクラちゃん?!」
急に抵抗のなくなった髪にカカシが驚きの声を上げる。
「・・・もう、駅に着きますから・・・。」
「どうせならボタンの方を切ればよかったのに。何てことを・・・」
「いいんです!!」
目の前の自分の髪は未練を物語るように背広のボタンに絡まったまま・・・それを見つめながらまた呟く。
「・・・もう、いいんです。」

電車がホームへと滑り込み、サクラが背にしていたドアが開いた。
サクラはペコリと頭を下げるとそのまま逃げるように走り出す。
自分の名を呼ぶカカシの声が聞こえたような気がしたが・・・サクラは振り返らず改札口へと急いだ。


早く、カカシの視界から消えてしまいたかった。
零れ落ちそうな涙も・・・見られたくはなかった。

カカシに出会ったこと、その存在すらも忘れてしまいたかった・・・














2006.06.17
まゆ