そばにいたヒト 心もち涼しくなってきた風が頬を撫でる。 蝉の声も聞かなくなった。 …もうすぐ夏も終わる。 ぬけるような青空に響く鐘の音に急き立てられて、サクラは重い腰を上げた。 今日は大事な親友の結婚式だ。 あと十五分ほどで式が始まる。 ついこの間出来たばかりの異国風の建物…教会といったか…で行われるらしい。 「行こっか」 誰に聞かせるわけでもなくそう呟くと、サクラは青く澄んだ空へ向かって伸びをし、新鮮な空気を身体深くに吸い込んだ。 「サクラ、私…結婚するから」 「へ?」 「へ、じゃなくて。結婚よ、結婚!!」 「シカマル、帰ってくるんだ?」 「そう!たった今受付でね、イルカ先生に聞いた」 たった今、ということは聞いたその足で私のところへ来たのか。 当たり前のことだが、シカマルの無事帰還の知らせがとても嬉しかったのだろう。 いののいでたちはいつもの忍服だった。 休日のそれではない。 「ふーん。良かったわね」 サクラは一言そう告げると、フイっと顔を背けて視線をいのから手元の本へと移した。 「あ!何、その言いかた…カンジ悪いわよ!」 「…」 拗ねてるの?と顔を覗き込まれ今度は溜息が漏れる。 「まぁ、いいわ。私、これから忙しくなるからサクラのご機嫌をとってる場合じゃないしね!!」 勝手に部屋へ上がりこんできたくせに、随分なもの言いいだ。 「今回を逃すとシカマルの奴、またいつ長期任務に行くか解らないでしょー?式場押さえて…ドレスも選ばなくっちゃ!それに指輪もまだだわ!!」 最後の方はすでに独り言と化したいのが慌てて立ち上がる。 サクラがどう言葉を返そうかと迷っているうちに、いのはさっさと部屋の入り口へと移動していた。 「結婚式には絶対来るのよ?じゃーね!」 サクラの方を振り返り、人差し指を突きつけてそう告げた後、足早に階段を下りていく。 そのリズミカルな足音を聞きながらサクラはゆっくりと本を閉じた。 いのはカッコイイ。 美人で世話好きで気さくな私の親友。 とても面倒くさがりなシカマルとお似合いな二人はきっと幸せな家庭を築くだろう。 「…いいなぁ」 溜息と共にサクラの本音がポロリとこぼれた。 「サクラちゃん、遅いよ!」 まだ少し距離があるというのに、いち早くサクラを見つけたヒナタが駆け寄ってきた。 腕の中にはやっと首の据わったばかりの赤ん坊を抱いている。 「ごめん、ごめん。あ、連れてきたんだ」 「うん。家に誰も居なくて…」 同世代のくの一の中で一番に結婚したヒナタ。 相手は想いを寄せていたナルトとは違い、別の男。 傍から見ていればそれは父親に勧められるがままのお見合いでしかなかったのだが、詰め寄るいのとサクラの前でヒナタは『決めたのは私』だと主張した。 『あの人と生きていきたい。幸せになれそうな気がするの』、と。 その言葉どおり、見るからに幸せそうな今の笑顔にサクラの顔もついほころぶ。 ヒナタ譲りの大きな瞳がじっとサクラを見つめ、ふくよかな小さい手をいっぱいに伸ばしてきた。 「抱かせてもらっていい?」 「もちろん!」 ヒナタから手渡された赤ん坊は見た目よりも重く、柔らかくてイイ匂いがした。 「ねぇ、サクラちゃん。今日はカカシ上忍と一緒じゃないの?」 「…そんなに珍しそうに聞かないでよ。いつも一緒ってワケじゃないんだから。付き合ってるわけでもないしね。」 「そう?」 まだそんなことを言ってるんだ。 サクラちゃん、ホントに気付いてないのかなぁ…? 苦笑するヒナタから目を反らして、サクラは腕の中の小さな命を覗き込む。 「…任務で遅れるって言ってたわ」 僅かに届いた呟くような声に、ヒナタがまた笑った。 生を受けて数ヶ月の赤ん坊でも、すでに母親とそうでない人の区別がちゃんとついているらしい。 サクラはむずかりだした赤ん坊をヒナタの元へ返し、二人並んで参列する人込みの中へ姿を消した。 自分は決してモテなかったわけじゃない。 そう断言できる。 実際何人かとは付き合ってもみた。 しかし長続きはせず、結局のところ振られてしまうのだけれど。 理由は多分、私のせい。 無意識のうちにサスケと比べてしまうのだ。 それが敏感に相手にも伝わるのだろう。 してはいけないことだとわかっているのに。 …でも比べてしまうのよ。 何かと気をかけてくれていたナルトも、最近では逢う機会が格段に減った。 彼は現在、先代の要請により木の葉の里を統べている。 もう私だけを特別に扱うことはない。 夢を現実にしたナルトの、あの誇らしげな顔は一生忘れることはないだろう。 そして、今。 サクラの脇を白いドレスに身を包んだいのが通過しようとしている。 誰も居なくなっちゃうじゃない。 私のそばから、みんな離れてく・・・ 俯いたサクラの視界に突如白いものが飛び込んできた。 いのの、ドレスに合わせた手袋だと理解するより早く、目の前でジェスチャーが繰り広げられる。 親指を立てた手は確かに後方を指し示していた。 『居るよ』 声には出さなかったけど、確かにいのはそう言ったはずだ。 オーガンジーの、所々ビーズを散りばめられたヴェールが自分のそばを完全に通り越してから、サクラは素早く後ろを振り返った。 壁にもたれる様にして背の高い男が立っているのが見える。 カカシ先生… サクラの視線に気付いたのか、カカシが軽く片手を挙げた。 任務を終えたばかりなのだろう。 カカシは正装ではなく、いつもの忍服のままだ。 …どうせ遅れるなら着替えて来れば良かったのに。 いのの父からシカマルへ…花嫁が引き継がれ、パイプオルガンが鳴り止む。 厳粛な雰囲気にサクラも身を正した。 いつだって先生は私のそばに居た。 桜が咲けば花見に。 日差しが強い午後には木陰でカキ氷を。 ススキの揺れる野原で月を眺め、お正月には初詣。 任務でドジを踏んだ日も。 サクラの淡い初恋が溶けて消えた日も。 自分が『誰か』を必要としたとき、必ずそばに居てくれた人。 その都度、差し伸べられる腕に自分はどれほど甘えてきたのだろうか? そういえば… カカシ先生はサスケくんと比べたことがなかったな。 今更だけど、確かにそう。 カカシ先生だけは誰とも比べたことがないとふと気付く。 「まだ帰らないの?」 教会のステップに座り込み、花嫁のブーケを見つめたまま動かないサクラにカカシが声を掛けた。 もうすっかり人の気配はなく、残っているのはサクラとカカシだけのようだ。 突然声を掛けられ、慌てて顔を上げたサクラの前でカカシはモグモグと口を動かしていた。 「…何食べてるの?」 「米菓子」 色とりどりの小さな粒が入った袋を口に当てて傾けては頬張っている。 「せんせぇ…それって、子供用に配ってたお菓子じゃない!」 カカシの手にあるのは先ほどいのの結婚式で参列者の子供にふるまわれていた米菓子だ。 「しょうがないデショ。腹が減ってるんだから」 「…」 「メシ食べに行かない?」 カカシの提案に肯定も否定もせず、サクラは先に立ってスタスタと歩き始めた。 先生は先生。 サスケくんとは全然違う。 そんなの当たり前でしょう? 私にとって比べる必要もない存在なのだから。 …こんなこと、今まで考えたことなかったけれど。 流れる時間、過ぎ去る季節。 変わらないのは青空と…それを見上げるときに視界に入る銀色の影。 サスケくんはもう居ない。 あの時から私の恋は宙ぶらりんのまま。 …そう思っていたのに。 時間と共に、間違いなく傾いていた私の心。 人よりずっと遅いペースだったから気が付かなかっただけ。 ただ…それだけのことだったのよ。 「結婚しよっか、先生」 冗談のように呟いたサクラの一言に、カカシの足はその場にピタリと縫い付けられた。 その間もサクラは歩幅も変えずに先を歩いていく。 「ねぇ!…ねぇ、サクラ!!」 必要以上の大声で呼び止められ、ゆっくりと振り向いたサクラはカカシの手元を見て笑った。 「何?お菓子がこぼれてるわよ」 米菓子は見事なほどに地面にばら撒かれていて、手元の袋には一握り分しか残っていない。 しかしそれどころではないカカシの、むしろ切羽詰ったような声が続く。 「それって…もうオレしかいないから?それともいのちゃんの結婚に触発されただけ?!」 見詰め合う、二人の距離は僅かに数メートル。 そんなものはカカシなら、瞬時にゼロにする事が出来る。 カカシはサクラの答えを待った。 自分の気持ちに今更気付いたからって… そう簡単に素直になんかなれないわよ。 知ってるでしょ? これが私なんだもの!! 「さぁ?どうかしらね」 永遠とも思える沈黙の後、くすりと笑ってサクラが答えた。 上手くはぐらかされてしまったカカシは深い溜息とともに肩を落とす。 「…サクラの意地っ張り。ま、そういうトコも可愛いんだけどね」 そんなカカシの呟きを、サクラはカカシの腕の中で聞いた。 流れる時間、過ぎ去る季節。 変わらないのは青空と…それを見上げるときに視界に入る銀色の影、だけ。 これからも、ずっと。 蒼破様に差し上げました 2003.10.04 まゆ 2009.03.22 改訂 まゆ |