pet 「…オレがやってあげるよ」 「何を?」 「サスケが戻ってくるまでの、番犬」 サスケくんが里を去って暫くの間、泣いてばかりいた私に、カカシ先生はそう言って頭を優しく撫でてくれたのを…今でもよく覚えている。 「サクラに触っちゃ駄目デショ」 第二資料室、その膨大な資料の一部を机の上で広げたまま寝入っているサクラに伸びた男の手が、彼女に届く寸前でぴたりと止まる。 見覚えの無い顔だ。 ということは下っ端の中忍だろう。 しかし相手にはオレが誰だかわかったようで、彼はカカシが再び口を開く前に慌てて一つしかない扉に飛びつき、廊下へと一目散に逃げ出してしまった。 「まったく。油断も空きも無いったら!」 カカシは立っていた窓の桟から音も無く室内に身を躍らせた。 そして相変わらず寝息を立てて眠っているサクラの肩を揺する。 「起ーきーて、サクラ」 「…ん…ぅん……あれ、せんせぇ?」 「こんな所で寝たら風邪引くでしょーよ」 「…はい」 寝ぼけているのかやたらと素直な返事が返ってきた。 顔に机の痕がついている。 カカシは不埒な中忍が触れることの無かったその頬に手を伸ばした。 人差し指をつぅっと滑らせて顎をそっと持ち上げ…おでこをぺろりと舐めれば、サクラのまどろんでいた瞳がやっと正確に自分を映す。 「な、何すんの!?」 「はは、やっと目が覚めた?任務の報告書を五代目に出しに行ったらさ、サクラがまだ帰ってこないって言うもん。まさかこんな所で寝てるなんてね」 自分に触れていた指が離れていく。 そこから漂う石鹸の匂いは数刻前までのカカシの行動をすっかり覆い隠してはいたが、だからといって手甲に付いた赤茶けた染みまでも見逃すサクラではない。 「先生…相変わらず上位ランクの任務ばかりしてるの?」 通常、任務の報告書の提出は受付でよい。 火影に直接手渡しの報告書といえばAランク以上のものだ。 多分自分のことを怒っているであろう綱手より、そっちの方が気になって…サクラは眉を曇らせた。 「まぁね。人手不足だし、しょうがないデショ。でも…」 「でも?」 「里へ帰ってきた時ぐらいはのんびりしたいと思うんだよねー。例えば可愛い部下と他愛のないおしゃべりとかさ。だから…それ終わったら一緒に夕食でもどう?」 ぐっと近づくカカシの顔に、サクラは咄嗟に両手でおでこを押さえた。 最近カカシの自分をからかう行動がグレードを上げてきている…気がする。 頬が熱を持つのを感じながら、サクラはカカシに釘を刺した。 「舐めないでよ?」 「どうして?」 「…やっぱり舐めるつもりだったのね」 「うん。でもこれは番犬として正当な報酬だと思うけど」 「え?」 カカシの言い分が理解できず、首を傾げたサクラの頬にすかさず舌を這わす。 「先生!!」 「気にしない、気にしない。で、返事は?」 「いいけど…もう少し時間がかかるかも」 綱手に頼まれた資料の整理はまた半分以上残っていた。 少し残念そうに呟いたサクラの頭の上に置かれたカカシの手が、ゆっくりと薄紅の髪を撫でる。 「待ってる」 サクラは向かいの席に腰を下ろしたカカシをなるべく見ないようにして、手元の書面に視線を落とした。 …更に赤くなった顔がばれないように。 「見たわよ」 「何を?」 「昨日、カカシとアンタがデートしてたトコ」 休日の昼下がり。 木の葉通りの真ん中で、ばったりいのに会った。 「デ…デートじゃないもん!ご飯を奢ってもらっただけだもん」 「へー、そう。ふぅん?」 「なによ、その疑いの目は!」 「別にー。普通はそれをデートって言うんだけどなーと思っただけ」 嫌な感じである。 にやりと笑われたことにムカつくがこれ以上の言い訳は逆効果だ。 頬を膨らませて黙ったサクラとは対照に、しかし、いのはいくらか真剣な表情で言葉を紡いだ。 「もう三年経つじゃない」 サスケが里を抜けて。 「三年傍にいるのよ?」 カカシがアンタの傍に。 「そろそろちゃんと考えてあげたら?」 まっすく見つめられて言われた言葉が胸に刺さる。 「ちゃんとってどういう意味よ?」 「さぁね。…あ、私もう行かなきゃ!バイバイ」 ちらりと腕時計で時間を確認したいのが慌てて走り去っていく。 その先にはシカマルと…チョウジの姿が見えた。 「仲の良いことで」 一人残されたサクラは常に三人で行動する十班を暫く羨ましそうに見つめていた。が、自分も今日はそれどころではないことを思い出す。 今日のショッピングは先ほど話題にのぼったカカシのためだった。 何だかんだ言ってもカカシには世話になっていることぐらい、サクラにだって自覚はある。 誕生日にプレゼントをあげたいと思うくらいには好意もあるし。 …ということで。 今日のショッピングは来週に迫ったカカシの誕生日プレゼントを買うことが一番の目的だ。 それなのに再び歩き出したサクラの視線は全く関係ないものを捕らえた。 「ペットショップかぁ」 吸い寄せられるようにサクラはふらりと店に足を運んだ。 最近のペット用品はとにかくおしゃれで可愛い。 雑貨屋に居るのではないかと思わせる店内で犬用の首輪を見つけたサクラはやっぱりペットショップだと独り笑みを漏らす。 『そろそろちゃんと考えてあげたら?』 気になるいのの言葉が再びサクラの頭の中を渦巻く。 しかしサクラにとってカカシは…どうしていいか分からない存在だった。 好きには違いない。 でも、どこにも区分できないから…困る。 『父』ではもちろんない。 『兄』とも違う。 最近では『先生』というのも少し違和感を感じるようになっていたのだけれど…『好きな人』と呼ぶには決定打に欠ける。 番犬、か…。 「本当に犬なら良かったのに…」 「え?」 女の人の声がした。 慌てて振り向けば、いつの間にか近づいてきた店員がサクラの独り言に首を傾げている。 「あ、何でもないです!これください!!」 サクラは咄嗟に手にしていた首輪を店員に差し出してしまった。 「大型犬の首輪ですね。色はこれで宜しいでしょうか?」 こくこくと頷くサクラを店員がレジへと案内する。 そこで自宅用かと聞かれて思わず『いいえ』と返事をしてしまったのが運の尽き。 サクラは何枚かの紙幣と交換に…可愛くラッピングされた小箱を手に帰宅を余儀なくされた。 リボンを掛けられた箱の中身はもちろん首輪。 …黒いレザーの。 これが思った以上に高くて…もう他にプレゼントを買う余裕が無くなってしまったのが早々と帰宅することになった最大の原因なのだれけど。 「…馬鹿だ、私。これ…どうしろっていうの」 犬は飼ってないし、近くそんな予定も無い。 誰かにあげるとしても…知り合いの犬は忍犬ばかりで首輪なんて必要ないし。 サクラが手のひらに乗った箱を見つめて大きな溜息を吐いた時、背後で空気がふわりと動いた。 カカシだ。 何故か直感でそう思う。 そしてそれは外れてはいなかった。 「先生!窓から入ってくるの、止めてって言ったでしょう」 「それ、どうしたの?誰かに貰った?」 サクラが咄嗟に後ろ手に隠した箱を、目敏くカカシが取り上げる。 「ち、違うよ!」 「もしかして、オレに?」 誕生日は来週だ。 自ら散々誕生日をアピールしていたカカシは満面の笑みを浮かべて箱を見つめた。 「…そのつもり、だったんだけど…あ!」 サクラの目の前で包みが解かれていく。 箱を開けたカカシが中身を取り出し、手のひらにのせた。 「これ…首輪に見えるケド?」 「あ、うん」 「…サクラ?」 「えっと…だから、その…先生、番犬だし…ちょうどいいかなって」 へらへらと作り笑いを浮かべつつ、サクラはその場を濁した。 ちょうど良いって何が? サイズがか? そりゃー…番犬になってやる言ったよ。 言ったけどね? 『番犬」ってシャレっていうか言葉のあやっていうか…。 それが分からないサクラじゃないと思ったんだけど …オレの見込み違いだった? 「やめた」 「…先生?」 「もうサクラも十分強くなったからね。なんてったって五代目直伝の怪力もあるし。番犬は必要ないでしょーよ」 いつもと同じ軽い口調。 でも、瞳は笑っていなかった。 そして次の瞬間サクラに背が向けられる。 「じゃ、またね」 ひらひらと手を振って、カカシは来た時と同様に窓からその姿を消した。 「で、あれから会ってない。ねぇ…やっぱり怒ってると思う?」 事の成り行きを説明し終えたサクラは上目遣いにいのを見上げた。 親友の盛大な溜息は、それだけで彼女の意見を代弁していたけれど。 「当たり前じゃん。アンタにはいい加減呆れるつうの」 「そ…だよね」 「謝る気があるんなら早い方がいいんじゃない?」 「うん…でもタイミングが……」 あれから一週間は経っている。 カカシの誕生日も過ぎてしまった。 それに…あれほど顔を合わせていたのが嘘のようにぱったりと会えなくなったのだ。 避けられているに違いない。 …またねって言ったくせに。 「タイミングもクソもないでしょうが。とっとと謝ってきないさい!…カカシならさっき髭オヤジと一緒に上忍控え室に入っていったから」 いのに背を押されて廊下に出る。 上忍控え室は二階だ。 サクラは何度もいのを振り向きながら、それでも階段をゆっくり上った。 いつもは綱手の使いでその扉をくぐるのだが、用事も無いのに上忍控え室へ行くのは初めて…かもしれない。 大きな深呼吸を二度繰り返して、サクラは扉を軽くノックした。 返事を待って恐る恐るドアを開ける。 「あら、サクラちゃんじゃない」 真っ先に声を掛けてきたのは入り口付近に佇む紅だった。 顔見知りの教官が居ることにほっとする。 「あの…」 紅と向き合ってそう切り出したサクラだが、視線を感じでふと顔を上げた。 カカシ先生だ。 周りには沢山の女の人がいて、どうやら飲み会に誘われている最中らしく、サクラにも時間やら店の名前などが微かに聞き取れた。 確かに目が合ったのに、カカシは何事も無く会話を続けている。 私のコト、気付いたはずなのに…… 先生は完全に私を無視、した。 「サクラちゃん?」 目の前が真っ暗になったサクラの頭の上を、訝しげな紅の声が通り過ぎていく。 「カカシ先生なんて…もう知らないんだから!」 サクラはそう叫んで部屋を飛び出した。 先生にかまってもらえないことがこれほど辛いだなんて思わなかった。 サクラは頬を伝う涙を手の甲で拭いながら家路に着く。 すれ違う人達がじろじろと自分を見ていたが全く気にもならない。 そんなことよりも女の人達に囲まれていたカカシの姿が頭から離れなかった。 先生は私のものだ、と。 瞬間に湧き上がったその気持ちが何であるのか、サクラはすぐに気が付いた。 …だって二度目だから。 サスケに対して感じていた、独り占めしたいという醜い独占欲と同じ。 それは恋に違いなかった。 でも、もう遅いと思う。 先生は呼んでも傍に来てくれはしないだろう。 私が……先生をとても傷つけたから。 家に着いて、部屋に駆け込んで。 そしてサクラはベッドに潜り込んだ。 下から母親の声が聞こえてきたが無視して頭から布団を被る。 まだ涙は止まりそうになかった。 部屋にあるカラクリ時計が不意に動き出す。 小さな扉を開けて出てくるのは異国風のドレスを纏った可愛い女の子。 メロディーと共にくるくる踊ると、また扉の奥へ戻っていく。 5時の合図だ。 『じゃ、7時に酒酒屋で』 甘ったるい声だった。 男の人ってああいうの好きだから…カカシ先生もきっと、そう。 サクラはカカシのまわりに居た綺麗な女の人たちを思い出した。 酔ったふりをしてしなだれ掛かり、腕を絡ませて家まで送らせる。 玄関で、躓いたように見せかけ胸に飛び込めば…後はもうキスを待つだけだ。 そんなありきたりの手順に、先生も乗っかるのだろうか? 嫌だ、と思う。 泣いているだけではどうにもならない。 これではサスケの時とまるで一緒だ。 サクラは自ら行動するべくベッドから身を起こした。 「カカシさん、帰るんですか?」 アルコールが回ってほのかに頬を染めた新人の女上忍に…名前はなんと言ったか…カカシは腕を掴まれた。 「あ、うん。お迎えが来ちゃったからね」 立ち上がりつつ、絡まった腕を解く。 割と広い店内の一番奥の座敷の中。 開け放っている障子から、彼女の視線がカカシを通り越して店の入り口付近を彷徨った。 「あれ…確か…カカシさんの班の子ですよね?まだ未成年じゃないですか。こんな店に入ってきちゃ駄目でしょう?私が行って注意してきます」 「いいの。サクラはそんな子じゃないから。それより…」 それより変な男に絡まれないか心配。 現にカカシと一緒に来ていた顔見知り程度の上忍ども(もちろん男)も目敏くサクラを見つけて何やらにやけた顔でひそひそ話している。 カカシはそいつらを睨みつけてからサンダルに足を突っ込んだ。 通路に立ったカカシとサクラとの距離は障害物を挟んで約8メートル。 サクラはまだカカシに気付いていない。 きょろきょろと辺りを見回しながら誰かを探しているようだ。 その誰かが自分であったなら…サクラのことを諦めないでおこうと思う。 カカシはサクラを舐めるように見ている酔っ払いどもに殺意をこめた視線を送りつつ、サクラが自分に気が付くのを待った。 「もうオレのことなんて知らないんじゃなかったの?」 日中はまだ夏のようだけど、さすがに夜は違う。 街灯のついた道を歩く二人に、風はひんやりと冷たく通り過ぎていく。 サクラは店内でカカシを見つけた途端泣き出してしまった。 「ごめんなさい…」 謝るのが精一杯で。 サクラはまたはらはらと涙を零す。 上手く気持ちが言葉にならないのがもどかしい。 「サクラがそんなに泣くなら…もう暫く番犬でいてあげてもいいよ」 「それは駄目!!」 自分の声の大きさにびっくりした。 カカシも驚いて自分を見下ろしている。 「…先生が好きなの。だから犬は駄目」 その言葉の、一瞬の後。 カカシはサクラが潰れそうなほど力一杯サクラを抱きしめた。 「サクラ」 「んー?」 「…ご褒美は?守ってあげたデショ、さっき」 さっき…とは自分にラブレターを持ってきた男にクナイを突きつけて追い返したことだろうか? 「いくら番犬でもさ、ご主人様の愛とか感じられないと拗ねちゃうんだよねぇ」 にやにやと笑って自分の反応を待つカカシに、サクラはそっと溜息を吐く。 「先生…最近つけあがってない?」 そう言いつつもサクラは手でカカシに屈むよう促した。 素直にしゃがんだカカシの顔にサクラは両手を添えてゆっくりと自分のそれを近づける。 そして、そっと唇を重ねた。 遅くなりましたがカカ誕SSです 読み返してないので後で手直しするかもしれませんが…とりあえずUP 2006.09.22 まゆ 2008.11.30 改訂 まゆ |