NASTY




「うわぁ…」

なんて、きれいな景色なのだろう。
沈みかかった太陽が、大地に敷き詰められた金色の絨毯を照らしている。
任務の帰り道、小高い丘で何気なく振り返るとさっきまで居た村が一望できた。

サスケくんにも見せてあげたい。
…ついでにナルトにも。

そう思って自分より前を歩いていた二人を探がしたが、もう簡単に声の届く距離ではなかった。

「とてもきれいなのに」

自分一人で見るのは勿体無い気がして残念そうに呟く。

「あぁ、ホント綺麗だね…サクラ」
「!!」
「…何?」
「何、じゃありませんよ。ビックリするじゃないですか。気配を断って近づくのは止めてください!」

もうすぐ陽も沈むというのに相変わらず眠そうな片目の男は、いつのまにかサクラの隣に居た。

「ははは。こんなことでビックリしないでほしいなぁ。仮にも忍びなんだし?」

サクラは顔を上げ先生を睨みつけるだけに止めると、何も言わずまた眼下の幻想的な風景に意識を戻す。
十月の風が金木犀の香りを伴い、やさしく桃色の髪を舞い上げる。
サクラは目を閉じて思い切り金木犀の香りを吸い込んだ。

「んんっ」

突然、サクラの唇にやわらかい物が押し付けられ、吸い込んだものが吐き出せず一瞬息が止まる。
急いで眼を開けると同時にそれが離れていくのが見えた。
下忍に成りたての時、見てみたくてしょうがなかったトコロ。いつもは面布に隠されているトコロ。
カカシの意外に整った端正な口元に驚く。

額あてが邪魔ね。

単純にそう思って額あてに手を伸ばす。
サクラの、この意外な反応にカカシの口元に微笑みが刻まれた。

叫ぶとか、殴られるかと思ってたんだケド…
全く脈ナシってわけでもなさそうだな。

サクラの手が額あてに触れる前に、カカシは面布を直し屈んでいた姿勢をもとに戻した。

「ダメだよ?」

その言葉にサクラは自分の両手がカカシに伸びていることに気付く。

な、なになやってんの、私!!
…っていうか、そうじゃなくって。

「せんせぇ、今…私に…キ、キ…ス」

声に出すとその使い慣れない言葉はサクラに羞恥心をさそう。

「キスがどうしたって?」

あまりに平然とそう言われ、さっきのあの感触は気のせいだったのかとも思う。

でも!
やっぱり…現実のはずで。

「キス、したよね?!」

顔を真っ赤にして、一気にまくし立てるサクラにカカシは苦笑する。

「やった?」
「したでしょ!」
「そう?」
「そうって…もっと何か言うことないのー!!私のファーストキス、返してよ!」
「あー、そうなの?そりゃ、ごちそーさん」

カカシはそれだけ言うと、じゃあね、と片手を上げてスタスタとナルト達の方へすたすたと歩いていってしまった。

なんなの、アレ!!
勝手にキスしておいて、あの態度!!
…許さないんだから…

サクラは、わけのわからない屈辱感にこぶしを握り締める。

「サクラちゃーん、早く帰らないと暗くなっちゃうってばよー!!」

遠くでナルトの声が響いていた。










その日の晩、カカシに上忍としての任務に就くようにとの要請があり、サクラ達は3日間の休みを余儀なくされた。
降ってわいたような3日間の休日。
休みなんて久しぶりだった。

新しく出来たケーキ屋さんで新作のケーキを食べるとか。
冬服を飾り始めた洋服屋さんで今年の流行の洋服を買ったりだとか。
女友達と噂話に盛り上がる。

雑用のような任務をこなす毎日の中で、休みがあればやりたいことは沢山あった。
なのに、『あのこと』がサクラの頭の中を占めていて、今はそのひとつもやる気になれなかった。
ベットの上でゴロゴロしながら、『あのこと』を考える。

大体ねー、何考えてんのよ?先生は。
どうして、私にキスなんかしたの?
私のことが好きなのかしら?…まさか、ね。
だって、歳が離れすぎてるし。
どうして、私はキスされたことに不快感を感じなかったの?
先生のことが好きなのかしら?…まさか、ね。
だって、私が好きなのはサスケくんなんだもん。

一番の問題は、キスされたこと、というよりはキスされても自分は不快感を感じなかった、ことなのだ。
キスの後のカカシの態度には腹が立ったが、キスに対する不快感は確かになかった。
自分が好きなのはサスケだというのに…

どうしてなのだろう?
自分のことなのに、よくわからない。

指先で自分の唇に触れてみる。
ただそれだけの行為で、あの時の事がスローモーションでリプレイされた。

柔らかな感触。
微笑が刻まれた、端正な口元。
少し驚いたように見開かれた、普段から晒している右目。
そして、何事もなかったかのようなあの態度!
…やっぱりムカツク…

結局、サクラは貴重な3日間の休みのほとんどを自分の部屋で過ごすことになった。










三日後。
先生も無事任務をこなし戻ってきたようで、いつもの集合場所に現れた。
もちろん、2時間ほど遅刻してなんだけど。
早速、ナルト相手にヘタな言い訳を始める。

「いやー、そこの角で怪我をしたクマが…」
「うそだってばよー!!最後まで聞かなくてもわかるっつうの」

カカシはわざとらしくガックリと肩を落として見せた。
ナルトとカカシが不毛な会話をしてるうちにサスケはさっさと歩き出している。

「おい、待てよサスケ。そんなに急がなくても任務は逃げないぞー」
「…」

返事をする気はないらしい。
カカシはそのまま歩き続けるサスケの後を追う。
つられてナルトも駆け出した。

「ち、ちょっと待ってよ!!何で一番初めに集合場所にきた私が置いていかれないといけないの!」

…じゃなくて。
カカシ先生、私のコト無視してる?
一度も私の方を見なかったよね…?
どうして?
今日は私が無視してやろうって思ってたのに!





今日の任務は迷子の子猫の捜索。
毛が桃色と紫色が混ざったような不思議な色で、かなり高価な猫らしい。
東の森の入り口付近で見かけたとの情報もあり、七班の下忍三人組はその一体を隈なく捜索中だ。
カカシはそれを少し離れた、大きな木の根元でイチャパラを読むふりをしながら眺めていた。
イチャパラから視線を上げてサクラを盗み見る。

くっくっく…かっわいー、サクラ。
今朝、集合場所で会ったときからバシバシ意識してんだもんなぁ。

カカシにとって、3日後任務から戻ってきた時の『サクラの態度』はとても重要なものだった。
一種の賭けである。

いつもどおりか否か…

果たしてその結果は???

GOサイン、出てるよなぁ。
まさか、あんな子供だましのキスでここまで旨くコトが運ぶとは思わなかった。
何事もやってみるもんだね。
今日はまだ一回も、『サスケくーん』っていうの聞いてないし。
もう暫くサクラのことは構わないでおこう!
そうすればもっとオレのこと見るだろう?
もっともっと、オレのことだけ考えればいい……

カカシの、歪んだ独占欲でにやけた笑顔の殆どは、面布で覆い隠されており、誰にも気付かれることはなかった。





「せんせー、捕まえたってばよ!!」

暫くして、あちこちに引っかき傷を付けたナルトが嬉しそうに走ってきた。
後にサスケとサクラが続く。

「あー、ごくろうさん。お前達にしては早かったな」

イチャパラをポケットに入れながら、よっこいしょと立ち上がる。

「この子だよね?!」

ナルトが差し出した、紫がかった桃色の子猫を受け取ると、カカシの腕の中でみゃーと甘えるように鳴いた。

…この猫、サクラに似てんな。
欲しいかも。
でも、やっぱり家にお持ち帰りするなら、猫よりサクラがいいよなぁ。

「先生?」

子猫をジッと見たまま動かないカカシに、ナルトが不思議そうに声をかけた。

「いや、な。この猫、サクラに似てない?」
「似てる似てる!!オレもそう思ってた」

賑やかにナルとが答え、サスケまでもが無言のまま首を縦に振った。

…ほんわかムードのところ悪いんですけど!!
なんだって先生はこっち見ないの!!!
私、何かした?!
っていうか、したのは先生じゃないのよーッ!

サクラにはカカシに無視される理由がさっぱり解らない。

私が、意識しすぎてる?
三日も前の出来事を…
私って、自信過剰なの?
先生が私のことを好きかも…って。
ねぇ、先生、こっちを向いて。

怒っていたハズなのに、だんだんと自分が弱気になってくるのがわかる。

先生にとってはすぐに忘れちゃうようなコト、だったんだ…
私って、バカみたい。

「サ、クラ…?」

一番最初にサクラの涙に気がついたのは隣にいたサスケだった。

「どうしたんだよ?!」

その一言をきっかけに、エメラルドの瞳に盛り上がっていた涙は滝のように流れ落ちた。

「サクラ!!」
「先生なんて、大嫌いよ!!」

サクラの頬に伸びてくるカカシの手を振り払うと子猫を探していた森の方へと走っていく。
ナルトとサスケの刺すような視線が痛い。

「せんせー、サクラちゃんに何やったんだってばよー」
「セクハラ上忍!」
「…すまんが、二人で猫を依頼人へ届けてくれないか?」

カカシは抱いていた猫をサスケに押し付けると、サクラを追いかけて森へと消えた。

「なんなんだってばよー!!二人とも」
「…」

カカシのヤツ、サクラに何かやりやがったな…セクハラ上忍め!
朝から様子がおかしいと思ってたんだよ。
普段ならウザイほど話し掛けてくるのに、今日はまだ一度も…名前すら呼ばれてない。

寂しいような、悲しいような、切ないような…それでいて、とてもイライラする。
そんなサスケの気持ちを慰めるかのように、腕の中の子猫がやわらかい声でみゃー、と鳴いた。
サスケはそっとこねこを抱きなおすと依頼人の家の方角へと歩き出す。

「ほら、さっさとしろ!ドベ」
「待てよ、サスケ」

大またに歩くサスケの後を、一人わけが解らない顔をしていたナルトも追いかけていく。
自分がサクラを好きなのだと自覚するまで…もう暫くの時間を要したがその僅かな誤差が後に大きな心の傷を生むことになるなんて、この時のサスケが気付くはずも無かった。





「サクラ!どこだ?」

サクラのうずくまっている草むらからさほど離れていない所で、カカシの声が聞こえた。
だんだん近づいてくる。
ガサガサ、と草を分ける音がして…今度は真後ろから声が聞こえた。

「見ーつけた!」

…サクラは何も話さない。
ただ、地面にぺタリと座り込んだまま小さな肩を震わせている。

「うーん…こんなつもりじゃ、なかったんだけどなぁ」

頭をガシガシ掻きながらサクラの真正面へ回り込み、目線があうように屈みこんだ。

「サークラちゃん。ねぇ、泣かないでよ」

カカシの囁くような甘い声にサクラはぴくっ、と体を震わせたが顔を上げてくれない。

「泣くの、やめようよ。ね、オレが悪かったから。だから…」

泣きやんで。

いつまで経っても泣きやみそうにないサクラに手を伸ばし、両手で濡れた頬を包み込むと、そっと上へ向かせる。
そして、目尻からなお溢れて止まらない雫を舌で舐めとった。

「…しょっぱい」

何をされたのか、思考が追いつかないサクラを無視してカカシは更に事を進める。
目尻を舐めた舌は頬をなぞり、耳元から細く白い首筋へと移動し、唇を押し付けると強く吸い上げた。

「いっっ!!」

刺すような痛みに驚き、サクラは両手でカカシを突っぱねたが、いつの間にか自分の腰に回されていた腕はピクリとも動かず、逆に引き寄せられてすっぽりとカカシの胸に納まってしまった。

「ごめんね、サクラ。イジワルしちゃった」
「…ごめん、ね…じゃない、わよ!」

サクラはしゃくりあげながら、やっと言葉を返した。

「…どう、して私、を…からかうのよ!カ、カシせんせぇ…なら、相手してくれる人、もっと他…に、いるでしょ」

うーん、まぁ…そーなんだけどねぇ。
しょうがないデショ。
オレはサクラがいいんだから…
他なんて、興味ないよ?

「オレはサクラが好きなんだ」

ストレートにそれだけ告げる。

「うそばっかり!また、そうやってからかうんだから…」
「いや…マジで」

困ったようなカカシの声に、サクラは押し付けられていた胸から顔を上げた。

「…ほんとう?」

濡れたエメラルドの瞳でカカシを見つめる。

うわー…そんな顔で見つめられると、理…理性がもたないって!!

「本当…です」

理性のカケラを、羽毛のようにふわっと風に飛ばしたカカシは、片手をサクラの顎へ固定すると唇をサクラのそれへと落とした。
何度かのついばむ様なキスの後、サクラの拒否がないのを見て取ると深いキスへと移行した。
舌で歯列をこじ開けて、そのままサクラの舌を絡めとる。

「ん、…んっっ…」

深いキスにうまく息が出来ないサクラは、苦しそうに顔を歪めてカカシを押しのけようと必死だ。

初々しさがイイんだよねー。
イロイロ教えたくなっちゃうでショ。
オレの色に染まればイイよ…ねぇ、サクラ。
あんなガキなんてほっといてさ。

サクラの様子に限界を感じ、名残惜しいが唇を離すと、混ざり合ってどちらの物とも解らなくなった唾液が細く糸をひく。

「んっ…ふぁあ、はぁっ…はっ」

唇をふさぐ物がなくなったサクラは、やっと息を吸い込むことが出来た。

「ね、サクラもオレが好きデショ?」

覗き込むようなカカシの視線と強引な言葉に顔を赤くしながら精一杯の反抗を試みる。

「…好きじゃない」

まだそんなこと言いますか、サクラちゃん。

「でも、キス…ヤじゃなかったの。どうしてかなぁ…私、サスケくんが好きなのに」

ホント可愛いと思う。

「ってことはぁー、サスケよりオレのことが好きなんじゃいの?」
「…そう、なのかな」

お、洗脳されてる?

「とりあえず、オレと付き合ってみたら?そうすればハッキリすると思うよ?」

サクラは、思ってもみなかったカカシの言葉に目を丸くした。

「私と先生が付き合う、の?!」
「うん。はい、決まり」

驚きのあまり言葉が出ないサクラをよそに、カカシは強引にそう言うとサクラを抱き上げて、森の出口へと向かう。

「もうそろそろ二人が帰ってくるから…」

サクラはカカシの声がすぐ側で聞こえることにドキドキした。

やだぁ、心臓の音聞こえちゃいそう…
先生、私のこと好きって言ったよね?!
だから、私と付き合いたい???
…私は?
私はどうなのだろう?

「ねぇ、先生…私サスケくん好きなままでもイイよね?」
「はい?…なんでそうくるんだよ」

あからさまに眉を顰めたカカシに気付くふうも無く、サクラは言葉を続けた。

「明日になったら…私を好きって言ったこと、冗談だよ、って言わないよね?」
「それはないけど」
「じゃあ、付き合ってあげてもいいわ…」

サクラの精一杯の言葉にカカシの右目がやわらかい光が宿るのが見えた。

「よろしくお願いします、お姫様!」

カカシに抱きかかえられたままのサクラの視線はいつもより高い。
森を出たところで向こうからサスケとナルトが駆けて来るのが見えた。
サクラは二人が側へ来る前に火照った頬をどうにかしようと両手を頬に当てたけれど、一向にそれはおさまらなかった。










2001.12.02
まゆ



2009.05.06 改訂
まゆ