モラル




「あのさ、サクラ…かき氷溶けちゃうよ?」
「え?あ、うん」

カカシの言葉にも、サクラは携帯から顔を上げようとはしなかった。
久しぶりに会えても嬉しいのは自分ばかりのようで何とも居心地悪い。
一方的な好意だと自覚があるだけに再度声をかけるのも躊躇われ、カカシは結局のところうつ向き加減のサクラの前頭部を黙って見続けるしかなかった。
涼しげなガラスの器に盛られたかき氷は目にも鮮やかなブルーのシロップがかかっている。
人工的な青だ。
昔はこんな色のかき氷なんて無かったなとジェネレーションギャップを感じつつ…カカシはアイスコーヒーに手を伸ばした。
グラスの表面に付いた水滴が流れ落ち、テーブルに小さな水溜まりをつくっている。
長時間放置され、氷が溶けてかなり水っぽくなったコーヒーをこくりと飲み込んだ時…カカシの耳に苛立たし気な舌打ちが聞こえてきた。
発信源は……

まさか、サクラ?

カカシが半信半疑でサクラに目を向けたが、当の本人は先刻と変わらない姿勢で携帯を弄っている。
気のせいかと再び手元のコーヒーに目線を戻した時、世にも恐ろしい台詞がカカシの胸を抉った。

「このロリコン野郎!気色悪いつうの」

それが先程の舌打ちと違ってサクラの口から発せられたことは間違いない。
…何故って?
何故ならどんな状況下においても自分がサクラの声を聞き間違えるなんてそれこそ有り得ないからだ。
カカシは既に口に含んでいたコーヒーを吹き出す一歩出前で何とか堪え、顔を上げた。

「ごめんなさい!」

何でバレたのだろうかとか、そんなにあからさまな視線を向けていたのだろうかとか…色々なことが頭を駆け巡ったが咄嗟にカカシの口をついて出たのは謝罪の言葉だった。
その直後、これでは『ロリコン』を認めたも同然だと気が付いたが後の祭りというものだ。

「はぁ?何謝ってんの、カカシ先生」

顔を上げたサクラの眉間には深い縦ジワが刻まれている。
骨の一本や二本、覚悟は必要だろう。
寧ろそれで済むなら御の字か…

「だ、だって…」
「だってじゃないわよ、もう!そんなことよりちょっとこれ見てってば」

突き付けるように差し出されたのはサクラの携帯。
戸惑うカカシの手からアイスコーヒーのグラスを奪うとサクラはそれを強引に押し付けてきた。

「いいから、読んで。すぐ!」

ドスの効いた声に逆らえず、カカシは大人しく言われた通りに携帯の液晶画面に目を落とした。



8月1日
あたし
━━━━

今日は
ありがとうございました。

ほんっと楽しかったです。
これから
街でぷりくら撮って
はっちゃけてきます!

えへへ、
でわ…また3日後…w
3日…72時間後…長っ

まぁ、部活で…w

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先生
━━━━

ホント長っ
気持ち、切り替えてきてねw

━━━━━━━━━━━

あたし
━━━━

72時間…
もちますかね…あはww

全て切り替えます
髪でもきりましょうかw

━━━━━━━━━━━

先生
━━━━

今日の仕事が終わりました。髪切った?
あと何時間かなぁ?長いねw

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あたし
━━━━

おつかれさまです♪
こんな時間まで…


前髪切りました
なんら変わりなしです☆

今日の時間足したら…
77時間ですよ(^∀^)

はぁー…(´Д`)



って…コレ、何なんですかサクラさん…

まだまだ続きそうなメールの途中でカカシはサクラの真意が知りたくて顔を上げた。

「ねぇ、サクラ…この『あたし』って誰?」
「いとこのスミレちゃん。アカデミーじゃなくて木の葉第三中学校に通ってる」

木の葉第三中学校とは一般人が通う学校だ。

「あ、そう。で…『先生』っていうのは…」
「スミレちゃんの学校の先生。部活の顧問らしいね」
「あぁ…そうなんだ……で、何なのこのメール」

カカシの頭は完全に混乱していた。

「読めば分かるでしょ!」

いや…ちょっと判断つきかねるっていうか…
変に勘繰るのもどうかと…

「付き合ってたり…します?この二人」
「それは知らない」
「…はい?」

知らないって…明らかに初々しいカップルのメールだろ?

そんなカカシの無言の思いを感じ取ったらしいサクラは口にするのも穢らわしいとばかりにゆっくりと声を出した。

「そいつ、いくつだと思う?」
「さぁ…?」
「四十四よ。四十四!中年のオッサンもいいとこだっつうの」
「…ちなみにその…スミレちゃんとやらは?」
「十四」

ガタンと派手な音と共にカカシが椅子から転げ落ちる。
店内の客の視線を気にする余裕なんて無い。
カカシは床に尻をつけたままぱくぱくと口を動かした。

「ね?」

ね、じゃないでしょーよ!
何なの、それ!

力の入らない体を何とか椅子に引き摺り上げたカカシは震える手でグラスを掴み…そして中身を一気に飲み干した。

「ロリコンも大概にしろっつうの!先生もそう思わない?」
「…それさ、その…スミレちゃんとやらの妄想じゃないの?」
「だったら良かったんだけどね!」

どうやらそうではないらしい。
聞けば最初に熱を上げていたのはスミレちゃんの方だというのだ。
それが春頃の話で…一ヶ月くらい前からサクラにこのようなメール(しかもご丁寧にスミレちゃんによる編集済みのものが、だ)が頻繁にくるようになったのだそうだ。

着実に進展してるデショ…
上手くやりやがったな!

カカシはその『先生』とやらに妬ましさを覚えた。

「犯罪よね!」
「…」

確かに世間一般ではそうだろう。
カカシも頭の中では分かっている。
しかし…理屈じゃない気持ちが存在することを否定出来なかった。

「変態もいいとこよ!聖職者がきいて呆れるわ。年端もいかない子供相手に本気で恋愛してるとも思えないしね!…こっそり闇討ちしてやろうかしら?」

サクラの言葉はそのままカカシへと突き刺さる。
サクラの恋愛観をまざまざと見せつけられた気がした。

「…ほっとけば?」
「え?」

自分でもびっくりするほど冷たい声が出た。
オレにそんなことを言われるとは思わなかったのだろう…サクラが目を丸くして押し黙った。

「元はと言えばスミレちゃんが言い寄ったんデショ。まぁ、それを相手にした先生も先生だけど。案外上手くいくかもしれないじゃないか」

そうだよ。
先生もスミレちゃんが学校を卒業するまでちゃんと待ってさ、段階踏めば…

「上手くいくわけ無いのよ、その先生…既婚者だもの」
「……なん、だって?」
「だーかーらー、結婚してるの!それも…今の奥さん二人目」
「…」
「ちなみに教え子だそうよ」

これでも庇うのかと言わんばかりにサクラに睨まれたカカシは開いた口が塞がらなかった。

「私だってそいつが未婚ならこんなにとやかく言わないわよ。学校の先生っていうのも年の差恋愛も許せるもの。百歩譲ってスミレちゃんが未成年っていうのにも目をつぶる。だけど不倫は絶対ダメ!当人同士の問題じゃないもの!」

力説と同時にサクラが握りこぶしでドンとテーブルを叩けばその振動で溶けかけのかき氷に刺さっていたパイナップルがぼとりと落ちる。
…と同時にカカシの目からも何かが零れ落ちた。

「サクラ的には『先生』はオッケーなんだ?」
「別にそこは問題無いわよ」
「ふぅん。年齢差も?」
「正直、三十は開きすぎだとは思うけど…うちの両親も十二才差なの。だからね、その辺りはまぁ…」
「へぇ…初耳」

声が掠れる。
店内のざわめきが遠くに聞こえ…自分の、唾を飲み込む音がやけに大きく響いた。

「とにかくスミレちゃんの目を覚ます方法と…このロリコン野郎をどうするか考えなくちゃだわ!」

カカシの手から携帯を引ったくり画面を睨み付けるサクラはカカシの変化に気付いた様子はない。
カカシは大きく息を吸い込んで…そして、ゆっくり吐き出すと覚悟を決めた。

「その先生はオレが責任持って死なない程度に闇討ちしとくから。そんなことよりオレのこと、どう思う?」
「へ?」
「サクラのモラルから言うとオレは恋愛対象としてセーフっぽいんだけど。独身だしね」

突然の展開にサクラはまじまじとカカシの顔を見た。

「十四才差はロリコンかな?それともオレは変態?…犯罪者では、ないよね…?」

テーブルの上にはパイナップルが落ちたままになっている。
周りには海を連想させるブルーの水溜まりがじわりと広がっていた。

そうだ。
二人で海に行くのも良いかもしれない。
お盆まではまだ日があるし、クラゲも今ならいないだろう。

徐々に真っ赤になっていくサクラを見つめながら…カカシは頭の隅でそんなことを考えていた。





途中にあるメール文はリアルです…
っていうか、ネタ自体がリアルです…
娘の友達の話です…
ぎゃ!


2010.08.15
まゆ