蜜月




「サークラちゃん?」
「………」
「ねぇ、サクラってば!!」

カカシが強引に腕を掴み振り向かせる。
サクラは何も言わずキツク睨み返してきた。

「だから、ごめんって」
「…先生。ごめんで済むなら警察はいらないのよ!!」
「…」

カカシの手を振り解き、再びズンズンと歩き始めるサクラの背中を情けない声が追いかける。

「どうしたらいいんだよ?」
「どうしたらいい、ですって?!…返して。私の処女、返してよー!!」

振り向きざまに大声で『処女』と叫んでしまったサクラがはっとして口を押さえるがもう遅かった。
太陽が真上に差し掛かるこの時間、人通りは少なくない。その視線を一瞬にして集める。
早くこの場を立ち去りたいサクラが早口で捲くし立てた。

「と、とにかく!金輪際私の半径3メートル以内に近寄らないで!!」
「嫌だ」
「!!」

この期に及んでまだそんなこと言うの?!

咄嗟に白くなるほど握り締めていた指を解き、手を振り上げる。が、到底カカシの頬までは届くはずもなく…サクラは唇を噛んでそのままゆっくりと手を下ろした。

「…帰る。もぉ、ついて来ないで」

ポツリと呟きそのまま脱兎の如く駆け出したサクラの後姿を、その揺れる薄紅の髪が見えなくなるまでカカシは立ち尽くしたまま見送った。


やっぱり、まずかったよなぁ…寝込みを襲うなんて。












ハァハァハァ…

一気に通りを駆け抜けて、そばにあった木に手をつくとサクラは大きく息を吸い込んだ。
闇雲に走っていた自分はいつの間にか演習所に紛れ込んでいたようだ。
トン、と背を木に預けるとそのままズルズルとへたり込む。
誰も居ない演習所の中でようやくサクラは一息つけた。

「…なんでこんなことになってんのよぅ」





朝、目が覚めると知らない天井が見えた。
フワリと掛けれられていた薄い掛け布団にはいつもの…安心できる先生の匂いがするのだけれど。
サクラは寝ぼけた頭で上体を起こした。

「あれ?」

するりと素肌を伝って布団が滑り落ちる。
そう。素肌を伝って…

って、素肌ぁ?!

サクラはそーっと腫れ物でも見るように、まだ布団の中に隠された部分を覗き込んだ。
下腹部から更に下へと辿る視線がある部分で固定され、次の瞬間サクラは大きな翡翠の瞳をぎゅっと瞑る。

ヤダ!嘘!!
…何で、わたしハダカなの?!

一人で寝るにはやや広いベッドの上で膝を抱え、サクラは必死で昨日の記憶を手繰り寄せ始めた。



いつものように任務帰りに先生の家に寄ったのよね。
で、おなか減ったから…夕飯前だったけど二人で肉まん食べたっけ?
先生ったら、紅茶入れるの上手くなった…って、そんなことは今はどうでもいいのよ!
その後、確かソファーで忍術書読んでたハズ。
それから…それから…?
記憶が、無いわ。

しんと静まり返った部屋の中、微かに聞こえてくる水の音。
この部屋の主、カカシ先生が大方シャワーでも浴びているのだろう。
サクラは自分が何かとてつもない事をしでかしたように感じた。

「…帰らなくっちゃ」

ふと口について出た言葉を壊れた人形のようにもう一度繰り返す。

「家に、帰らなくっちゃ…」

自分が発したその声が聞こえるや否や、サクラはベッドから飛び降り、床の上に散乱していた衣服を身に付け始めた。

急いで、急いで…
先生が戻ってくる前に!!

震える手で最後にファスナーを止め終えると、サクラは自分が先程まで眠っていたベッドを振り向いた。
乱れたシーツの中央には赤茶けたシミが見える。
サクラは無言のまま、その決定的な証拠にくるりと踵を返して逃げ出した。






ほぅ、と吐く息と同時にポロポロと大粒の雫がサクラの頬を伝う。
哀しいのか悔しいのか…わけもわからず、ただ流れ出す涙。

昨日の私と今日の私。
やっぱり、どこか変わっちゃった?

初めて男の人と過ごす夜。

女の子にとって一生に一度のことなのに…
すごく大切なものなのに…
私、全然覚えてないんだからねッッ!!!
どうしてくれるのよ!
先生のバカ!!

サクラはやっと止まりかけた涙を服の袖で拭うと、重い腰をあげ演習所を後にした。











「馬鹿じゃないの?ヤリたい盛りの年頃でもないでしょうに」

紅の最もな言葉にカカシは俯くしかなかった。
アスマにいたっては向かい合わせているカカシの顔を呆然と見つめ、口を開けたまま言葉もない。
その前では、落ちた…火をつけたばかりのタバコがテーブルの上でくすぶっている。
紅はそれを拾い上げると、断りもなく口をつけた。

呼び出されたアスマと紅が茶店に現れたのはほんの十分前。
カカシの悲壮なまでの声に何事かと駆けつけた二人だったのだが……
紅はフーと紫煙を吐き出して再びあきれたような顔をカカシへ向けた。

「女にとっては初めての男はとても重要なの。その後の女としての人生を左右するほどにね。それをアンタ…寝込みを襲っただなんて!!『写輪眼のカカシ』が聞いて呆れるわよ。最低…」

一気に攻めの言葉を捲くし立てられ、カカシはムッとして言葉を返した。

「だから、どうしたらいいかって聞いてんだろ!」
「…潔く謝っちまえよ」
「もうやったよ!でも、相手にされない…」

やっと口を開いたアスマの意見はすぐさま却下された。

「当たり前でしょう。そう簡単に許せることじゃないわ!いくら恋人だといっても黙って寝込みを襲われたんじゃ、ね。しかも初めてだったんでしょう?」

ぎゅっと灰皿にタバコを押し付けながら紅がさも当たり前のように言った。

あれ?なんか違和感?
『恋人』…その言葉にカカシは微かに首を捻る。
違和感の正体を突き止めようと考え込むカカシの耳に、アスマの言葉が届いた。

「それにしても意外だったぞ?お前が春野と付き合ってたなんて」
「つき…あって、る…」
「?…付き合ってるんだろ?」
「あぁー?!」
「何だよ、いきなり」

思い出したように叫ぶカカシにアスマは眉を寄せた。

「…ヤバイ。オレ、サクラに好きって言ってないかも」
「「はい?」」

重なった二人の声がカカシを責めるように響く。

「わー!!どうしよう…」
「それじゃ…ただの強姦じゃないのッッ」
「ち、違うって!だってサクラ、オレのこと好きだし」
「アンタ、それ…ちゃんと確かめたわけじゃないんでしょ?付き合ってないんだから!」
「うっっ」

返す言葉もなく黙ったカカシの目の前で、紅とアスマは顔を見合わせて大きな溜息を付いた。

「とにかく!!許してもらえるまで謝ることが先決よ。地面に額を擦りつけてでも謝りなさいな。それから…ちゃんと好きだってことも伝えるのよ?」
「…女に詫びを入れるときは手土産は効果的だぞ」

参考になるやら、ならないやら…二人の言葉にカカシはとりあえず首を縦に振った。

「…今から行ってくる」

力なく立ち上がり、ふらりふらりと店を出て行く後姿はまるで死人のようだ。

「本気みたいねぇ、カカシのヤツ。あんな姿…初めて見るわ」
「そうだな。これ以上俺たちに迷惑がかからないように春野には色よい返事を期待したいもんだ」

立ち上がった紅の後に続きアスマも腰を上げた。
なに気にテーブルの端に残された白い紙が目に入る。

「くそ!アイツ伝票置いていきやがった!!」











だって。
我慢できなかったんだもんなぁ…


昨夜のこと。
帰り道で買った肉まんを食べた後、昼間のキツイ任務がたたってかサクラはすぐにソファーで寝息を立て始めた。

「オイ、サクラ…こんなトコで寝るなって」
「んー…」
「ほら、送っていくから。起きろよ」

カカシがいくら揺すり起こしても、サクラは目を開ける気配がない。
ホント、信じられないと思う。
先生とはいえ、男の部屋でココまで爆睡するかな…普通。
どうしたもんかとサクラへ屈み込んだ姿勢のまま悩むカカシの首に不意に細い腕が伸びてきた。

「…せん…せぇ……」

耳元で囁かれる掠れた声はいつもの子供特有の甲高いモノではなく、カカシの心の奥をザワリと波立たせる。

…ヤバイ。

「サクラ?」

返事はなく、ただ、カカシの首に絡まった腕が僅かにぴくりと動いた。

腕を、ほどかなきゃ…

「…サクラ…?」

頬が寄せられている為、カカシの視界はサクラの白い首筋しか映っていない。
まだ誰のものでもない、幼い身体。

このままじゃ、ヤバイって!!

押さえ込みたくなる衝動を誤魔化そうと視線を逸らした。

「…んっ」

吐息のような声がサクラの口から洩れる。


…それが、カカシの限界だった。






   




「…ただいま」

うつむいたまま玄関でサンダルを脱ぎ、ふと顔を上げるとソコには腕を組んだ母が立っていた。

「お帰りなさい。待ってたのよ?」
「え?」

サクラが怪訝な顔で仰ぎ見るとニッコリと微笑んだ母が問い掛けてきた。

「昨日は何処に泊まったの?」
「ぅえ…あ、…っと。いのんち」
「そう?その、いのちゃんから朝、電話があったわよ。『サクラちゃん居ますか』ってね」
「げ」

何の用よ、馬鹿いの!!

「きちんと説明してもらうわよ?」
「…」

うちで一番怖いのはなんといっても母だ。その母を怒らせるのは得策ではない。
サクラは大人しく先にリビングへと姿を消した母の後を追った。






アカデミーを卒業して下忍になってからというもの、母はサクラを一人前の人間として扱った。
母の持論だと、いくつであろうが自分で働いてお金を稼ぐならば(例えそれが小遣い程度の額であろうとも)一人前なのだそうだ。
少々帰りが遅くなっても無断外泊でも…とやかく怒られたことはない。

今日に限って何で?

リビングのソファーに促されて座る。
サクラはお茶を入れている母の出方を待った。

「昨日は何処に泊まったの?」
「!!」
「誰と一緒に寝たのかしら?」
「…お母さん…ど、ういう…意味か、わかんないんだ…けど」
「サクラ、木の葉通りで処女返せって叫んだんでしょう?…お隣の奥さんが教えてくれたわ」
「うっ。聞き間違え…じゃ、ないの?」
「そうかしら?」

そのガニマタな歩き方を見る限りでは、ガセネタじゃないだろう。
わざとすぎるほどの満面の笑みで母が尋ねる。

「年上なのは解ってるわ」
「…な、何でよ」
「歩けるから」
「は?」
「サクラ、歩けるでしょう?お母さんの時は痛くて歩けなかったわ。相手はお父さんなんだけど。お互い初めてで…今思い出しても散々だったわね」
「…」
「だから、サクラの相手は経験豊富な年上だと思うの」

ヤダ、お母さん…そんな真面目に言わないで!!

赤面したままなかなか口を割らないサクラに母は質問を変えた。

「どうだった?」

どうだった…って、私が知りたいわよ!!
しもか、そんなこと質問する親が何処にいるのッッ

「お母さん、怒ってるんじゃないのよ?ちょっと聞きたいだけ」

普通、親って怒るものじゃない?
…お父さん、助けて…

サクラがこの常識とはかけ離れた母から上手く逃げるすべを考え始めた時、タイミング良く玄関のインターホンが鳴った。

「ほ、ほら!お客さんだよ。お母さんッッ」

いいトコなのにとブツブツ言いながらも玄関へと向かう母と一緒にサクラも廊下へ出る。
そのまま二階へ駆け上がり、自分の部屋に篭る…つもりだった、のに。

「あら、はたけ先生。いつも娘がお世話になっています。」

玄関を開けた母の声に、二階へ続く階段の途中でサクラがぴたりと足を止めた。

「あ…あの、サクラ居ますか?」
「ええ。どうぞお上がりになってください」
「ダメー!!」

階段の手すりに隠れるようにしてサクラが叫ぶ。
サクラの母が目の前の花束を持ったサクラの上司と後ろに居る動揺を隠しきれていない娘を交互に見た。

サクラの相手ははたけ先生なの?!
上司を落とすとは…我が子ながらやるわね!

「本気、ですか?」
「え?」

唐突な質問に視線を階段の、サクラが居る方へ向けていたカカシが慌てて向き直った。

「うちの娘のことです。昨夜も一緒でしたよね?」
「はい」

確認を取るようなサクラの母の言葉に動揺しきったカカシは正直にコクリと頷いた。

せ、せんせぇのバカーッッ!!
なに認めてんのッ

サクラが心の中で思い切り叫ぶ。
かろうじてカカシの前に姿を現わす事だけは思いとどまった。が、次の母の質問にサクラは目を剥いた。

「見たところかなりの年の差ですが?」
「お母さん!余計なこと言わないでよ!!」

思わず階段の手すりから身を乗り出したサクラが母を見つめた。
翡翠色の瞳いっぱいに涙を溜めて懇願する。

「お願いだから…」

そんなの、わかってるよ!
私とカカシ先生がつりあわない事ぐらい…充分にわかってる。
それでも好きなんだから…好きでいることぐらい、いいじゃないの!

「サクラ!好きなんだ!!」

カカシの声に、再び隠れようとしたサクラの動きがピタリと止まる。

好き?
今…私のこと、好きって言った?

「ごめん…オレ、ちゃんと好きって言ってなくて。順序が逆になっちゃったけど、でも!お願い…信じて欲しい」
「……なかったことにするわ」
「…サクラ?」
「昨日の、なかったことにして」
「どうして…?」

全てなかったことに?
強引だったけど大好きなサクラと過ごした夜を…オレに忘れろと言うの?
サクラもオレのことが好きだと思ってたのに。

「私が覚えてないからよ!…仕切りなおして」

サクラの言葉にカカシが目を開く。

「私、今度はちゃんと起きてるから!だから、仕切りなおしてよ…先生」

手にしていた花束が、バサリと足元に落ちた。

それって、サクラ…オレのいいように解釈していいの?
サクラもオレのこと好きだって、思ってもいいの?

真っ赤な顔をしたサクラがじれったそうに返事をせかす。

「どうなの?…先生」
「うん。もう一度、やり直させてくれる?サクラ…」

見詰め合う二人の距離の真ん中でタイミングを計っていた母がやっと口を挟んだ。

「あの、もういいかしら?二人とも」
「「あ!!」」

すっかりサクラの母の存在を忘れていた二人が頬を染めて俯く。

「はたけ先生にお願いがあるんですけど」

サクラの母の真剣な声にカカシがゴクリとつばを飲んだ。

「なんでしょう?」
「素顔を見せていただけません?」
「あぁ、もちろんいいですよ」

拍子抜けしたカカシは慌てて額あてを取り、面布をずりおろした。

ここはちゃんと挨拶をしておくのが筋だろう。
なんてったって未来のお母様だ。

滅多に他人には見せない素顔を晒し、カカシはサクラの母親の正面に立つ。
そして勢いよく頭を下げると、とんでもないことを口走った。

「お嬢さんをください!」
「どうぞお持ち帰りください」
「え?あ、イヤ…いいんですか?」
「ふふふ。そうですね、お渡しするのは5年後ぐらいになりますが、それまでの間…時々お貸しするぐらいならべつに」

意味深なサクラの母の言葉にカカシのほうが驚く。
しかしすぐにニッコリ笑って付け加えた。

「あ、じゃ…早速、今日お借りします」

そう言うが早いかカカシは家へ上がって会話の流れについていけないまま呆然とその場に立ち尽くしているサクラの手を引いた。
サクラの母に見送られ、そのまま外へと連れ出す。







夕方の街を二人並んで歩く。

カカシはどちらからともなく繋いだ手にギュッと力を込める。
気付いたサクラがカカシに微笑を向けた。







今夜月が昇る頃、恋人達のキスからはじめよう。
蜜色の光に照らされた、何も纏わないお互いを確認しあって…それから。
それから、ゆっくり溶け合ってひとつになろう。

…とろけるように甘い蜜のような時間を、二人で。
















二人の去った後、リビングでコーヒーを飲みながらサクラの母が一人ほくそえむ。


孫はかわいいほうがいいじゃない?
この二人の子供なら…美形に決まってる!
しかもサクラの頭脳にカカシ先生の忍びの能力を受け継いでごらんなさいな?
私の孫は未来の火影よ!

頑張りなさい、サクラ!!













2002.12.03
まゆ



2009.05.06 改訂
まゆ