箱舟




任務が休みの前の日、サクラは必ず大きな鞄を持って泊まりに来る。
そのたびに増え続けている『サクラのモノ』に目をやり、カカシはふっと苦笑した。

一体どんな言い訳をしてるんだか。
近いうちにきちんとご両親に挨拶をしないとな…と思う。
オトナな彼氏としてはそれぐらい気を回すべきだろう。
サクラに下手な嘘をつかせて両親の心象を悪くするのは…今後を考える上で得策ではない。
そうでなくともこの年齢差。
間違っても受け入れられやすいものではないことは解りきっているのだから。

…まぁ、何発か殴られればなんとかなるデショ。

あまり気分の良い想像ではないが、自分と付き合うことでサクラに嫌な思いはさせたくはない。
ましてや、今のように友達にすら大っぴらに話せないような関係のままなんて…それこそサクラを馬鹿にしている。

とにかく。
まずはサクラの両親に認めてもらうのが先決だな。

腕の中の少女の髪を愛しげに梳きながらその額に口付ける。
自分と同じシャンプーの香りに、カカシは幸せそうに微笑むとその瞳を閉じた。










食欲をそそる味噌汁の匂いに空腹感を覚え、カカシがベッドの中で伸びをする。
いつの間にかベッドの中に居るのは自分だけのようで…シーツの上を手で探ってみるが、やはりサクラは見当たらない。
カカシがもそりと上体を起こしたのと同じタイミングで開けっ放しのドアからお玉を持ったサクラがひょっこり顔を覗かせた。

「あ、起きてた?」
「ん…起きたトコ」
「朝ご飯出来てるよ」
「んー…」

サクラはまだ眠たそうに目をこするカカシに近づくと、その薄い唇にちゅぅと口付ける。
全くの不意打ちだった。
カカシが驚いた瞳でぱちぱちと瞬きをする。

「目が覚めた?」  

こくこくと頷くだけで精一杯のカカシを尻目に…サクラは何事も無かったかのようにドアへと歩き、そこで振り返って念を押す。

「なるべく早くね?」
「…ハイ」

子供のような素直な返事に笑みを返したサクラは、流行のラブソングを口ずさみながら部屋を出て行った。
サクラがいなくなるのを見計らったかのように、一人残されたカカシの顔は急に赤みを増す。
つい先日まで瞳が合うだけではにかんでいた少女と同一人物とは思えない。

大胆なコト、するようになったねぇ…オレのお姫様は。










「さあ、今日こそは完成させるわよ!!」

朝食の洗い物を片付けて、Tシャツにジーンズというラフな格好で現れたサクラは、歩きながら少し伸び始めた髪を器用に纏め上げる。
先に庭に下りていたカカシは食後の一服を堪能していた。

「…気合、入ってるね」

それもそのハズ。
サクラの何気ない一言から始まった『お庭改造計画』は草抜きから始まり…すでにその作業日数は軽く2ヶ月は超えている。
もちろん、任務の無い日にしか行っていないことも進みの遅い原因の一つだが、いい加減完成しても良い頃なのだ。
リビングから庭へと続く出入り可能な広い窓に隣接するよう設計された、作りかけの…このテラスは。

「先生は気合無さすぎ!」
「まぁまぁ…ちゃんと頑張るからさ」
「当然よ!先生は屋根をお願いね。私はこっち、ペンキ塗っちゃうから」
「ハイ」

サクラは言いたいことだけ言うと、しゃがみこみ早速ペンキのカンの蓋を開けた。
その様子を眺めながらカカシもタバコの火をもみ消す。
雑草だらけであった自分の庭。
以前とは全く変わってしまった様に苦笑が漏れた。
きっと自分もこのように変えられたのだろう。サクラによって。
…もちろん、良い方向に。

さて、と。
お姫様のために頑張りますか!

カカシもシャツの腕を捲くり、金槌を探した。










骨組みだけの屋根にはとりあえず簾が敷き詰められた。
風で飛ばされないように要所要所を紐で縛りつける。
サクラの予定だと後に藤棚になるらしい。
簾はそれまでの当面の日よけだ。
後はあらかじめ購入しておいたガーデン用の白いテーブルとイスのセットを並べたら完成となる。
少し遅いが…やっとこのテラスでサクラ念願の『お茶の時間』が取れそうだ。

簾からこぼれる陽の光が心地良い。
任務を遂行したときとはチョット違う充実感に、二人は無言で暫し佇む。…その時。



ゴト。



「………」

ゆっくりとサクラがカカシを振り返る。

「今の…見た?」
「…うん。不本意ながら」
「ボルト、だったよね?」
「…そうみたい」

カカシがその場に近づき、ひょいと拾い上げたその手には5センチほどのボルトが一本乗っていた。
木と木の繋ぎ目を補強するための、金具を固定するボルトだ。
『どうしよう?』そんな不安気な瞳でサクラを見るカカシは叱られた犬のようで……。

「ぷっくく…あははははー。補強の意味ないよ!補強されてないし!!」

爆笑するサクラは人差し指で目じりに溜まった涙を拭った。

「今更ねぇ?」
「…だよね」

申し訳なさそうなカカシの顔を見てサクラが再び笑う。
どうやら日曜大工は苦手な様だ。
カカシの意外に不器用なトコロを発見して、サクラはなんとなく嬉しくなった。
知らないところを少しずつ知っていく喜び。

…そして、もっともっと先生を好きになる…










思ったよりも華奢な造りのデッキは…時折吹く森からの強い風に柱が頼りなく軋む。

「舟に乗ってるみたい」

波の国で初めて乗った舟を思い出し、サクラが微笑んだ。

「難破したらどうする?」

テーブル上で所在なげに転がるボルトを指で突付き、カカシは意地悪く問いかけた。

「…そうね、木切れでも浮き輪代わりにはなるんじゃない?それに私泳げるし…死にはしないわよ」

クッキーを口に放り込みながらのサクラの前向きな回答に、カカシは破顔した。
知ってた?
オレ、サクラのそういう所が大好きなんだよ。

「でも、後で先生が助けてくれるのよね?」
「当たり前デショ!」

たっぷりのミルク入りと砂糖も入ってない琥珀の液体。
色の違う二つのコーヒーカップからは挽きたての豆の香りが漂う。
向かいの席には愛しい少女が…自分を真っすぐな翡翠の瞳でオレを見ている。

『はたけカカシ』としての残りの人生をこの場所で、サクラと共に過ごしたいよ。
此処に二人…我侭を許しあえる、贅沢な空間を創ろう?
だから……

「サクラ」
「なぁに?」
「今日、お父さんとお母さん…家に居る?」



昼下がりの午後、少し遅いお茶の時間。
サクラの中途半端に伸びてきた髪を、一陣の風が吹き抜けた。












2003.05.25
まゆ



2009.03.22 改訂
まゆ