プライベート・アイズ




「少しの嘘ぐらい笑って済ませばいいでしょ?オトナなんだから」
「…もういい。じゃーな」

開き直ったその態度に男はくるりと背を向けた。
そのまま夜の雑踏へと姿を消す。

きっとあの男とはこれっきりだろう。
しかしサクラは何も感じなかった。追いかける義理も無い。
そもそもどういう成り行きであの男と付き合い始めたのかさえも定かではなかったのだから。
代わりだって沢山いる。

アノ人でなければ誰だって一緒なんだもの。
寂しさを紛らわせるための、ただの『ぬくもり』。

「最短記録ね」

口に手を当てて、くすくすと忍び笑う。

さて、と。
これからどうしようか。
たまには一人で飲むのもいいわね。
どうせ明日は休みなんだから…

「うん。そうしよう」

一人声に出して呟くと、サクラも家とは逆方向の…眠らない街へと足を踏み出した。












「これはこれは…『春野サクラ』さんじゃないですか」


…私も有名になったものだわ。

声のした方をちらりと一瞥しただけでサクラはグラスに入った酒を煽った。
丁寧だけど棘のあるイントネーションがサクラを逆なでする。

ああいう輩は相手にしない方がいい。
ロクなことがないんだから。
無視よ、無視。

異例の出世を遂げ、現在では里で一、二位を争う美貌を誇るサクラもすでに二十二になっていた。
100%の任務達成率を誇る才色兼備、『特別上忍・春野サクラ』を知らないものなど、木の葉の忍びの中にはいないだろう。
賞賛と妬み、憧れと侮蔑…すれ違いざまに向けられるサクラへの視線は、本人にとって決して心地よいものではなかった。

「こっちに来て一緒に飲まない?」
「…」
「無視かよ?」
「…」

肩を強く掴まれ、さすがに我慢の限界に来たサクラが椅子から腰を浮かしかけたその時、新たに男二人が視界に入ってきた。

「ナルト。サスケくん…」

偶然の再会に自然とサクラの顔が緩んむ。
サクラを置いていち早く上忍となった彼らとはそう滅多に逢えるものではない。
実際のところ受付で見かけた程度のことでさえ、もう数ヶ月も前のことだった。

「ごめん。そいつ、オレらの連れなんだ。今、一緒に任務やっててさ…」

サクラから離すように男の腕を引きながらナルトが謝った。
相変わらず気を使う子よね、ナルトって。

「…友達?だったら即、縁を切ることをオススメするわ」

品のない…そう蔑む言葉に男が怒りをあらわに怒鳴る。

「なんだと?娼婦のくせして偉そうに!」

娼婦。
その言葉に初めてサクラが正面から男を仰ぎ見た。
くノ一の任務をこなすようになってよく投げつけられる言葉の一つだ。

「私は高いわよ。あなたには無理ねぇ?それにきっと役不足だわ。下手そうだもの」

ふふんと鼻を鳴らし、見下した眼差しを向ける。
言葉の暴力には言葉のナイフで。
やられたらやり返す、それがサクラのポリシーだ。
…そうしないと今までやって来れなかった、というのが事実なのだが。

「な、んだとッッ!」

掴みかかろうとした男を慌ててナルトが背後から羽交い絞めにする。
その様子にまた笑うとサクラはカウンターの席から立ち上がり、伝票を取り上げた。

「じゃーね。ナルト、サスケくん。また今度ゆっくり会いましょう」

優雅にターンをきめると腰まで伸びた薄紅の髪がふわりと舞い上がる。
百合の花に似た左程甘くない香水の匂いを残し、そのままサクラは店を出ていった。
そのあっけない退場にナルトとサスケは顔を見合わせる。
逢うたびにどこか投げやりとも取れる言葉を口にするようになったサクラ。
勝気なのは昔からだが…

「アイツ、大丈夫か…?」

眉をひそめたサスケが心配気に呟いた。












しつこく鳴り止まない電子音にカカシは枕に顔を埋めた。

くそっ…サクラ、だ。
アイツはなんだっていつも…こんな時に狙ったように来るかな?

カカシの家の呼び鈴。
それをこんな風に鳴らすのは今や一人だけ。
昔は二人いたが…ナルトのヤツは最近すっかりご無沙汰だ。

「…ちょっと待ってて」

カカシは取り繕った笑顔でそう告げると、もそもそとベッドを這い出した。





「ホラ、やっぱり居たー!」

玄関の戸を片手で押し開け、そのままもたれ掛かる。
目の前に予想通りかつての教え子を見出して、カカシは苦笑するしかなかった。

とっとと用件を済ましてお引取り願わないとな。

「酔っ払いのオヤジか、お前は。酒臭いぞ。何の用だ?」
「用がないと来ちゃ駄目なの?」
「…イヤ、そういうわけでは…」

頭に手をやったカカシが視線を泳がす。
ウエストがゴムのスウェットに引っ掛けただけのシャツ。
…その姿は。

「…お楽しみの最中だったみたいね」
「ま、その…なんだ…」

照れくさそうに鼻の頭を掻くカカシに、サクラは帰る様子を見せずさらりと言ってのけた。

「5分」
「は?」
「5分で終わらせて」
「サクラ…いくらオレでも5分じゃ無理……じゃない、デス」

サクラに睨らまれて尻すぼみなカカシの声は多大な諦めを含んでいた。

「なるべく早くね!」

微笑んだサクラはカカシの腕を掻い潜ってさっさと上がり込むと、リビングへ向かう。
勝手知ったる、ってヤツだ。

…なんか、あったかねぇ?

その後姿を見つめるカカシの瞳には『先生』としての下忍の頃と同じ暖かい光が宿っていた。












カカシのSEXの相手に対する嫉妬は、サクラにはない。
肉体的な欲求を解消するだけの相手だとわかっているから。
そんな『モノ』にやきもちなんて、焼かない。

サクラにとって、SEXがキモチイイものだと感じたのは一度きりだった。
カカシと寝た、ハジメテ夜。
くノ一として任務に就くために官房術を手ほどきされた、その一度きり。
…後は誰と寝ようとも、どれだけ経験しようともあの幸福感は得られなかった。

それどころか吐き気をもよおすこともしばしばだったのよね、あの頃は。

自分の身体を這い回る指、せわしい息遣い。
…知らない男。
いくら任務のためとはいえ、耐えられることではない。

と、思ってたんだけどな。
立派に慣れちゃったわ。

サクラは昔を思い出し、皮肉気に顔を歪めた。
それでも忍びを辞めなかったのは…やはり自分の為。

だって。
忍びを辞めちゃったら先生との接点がなくなるじゃない。
こんなふうに先生と逢えなくなるもの。

告白すればこの関係が壊れてしまうことは容易に想像できた。
カカシの中では自分はいつまでたっても手のかかる幼い子供のままなのだから。
告白はそれを否定することになる。
きっと今までの様に逢ってはくれないだろう。
逢ってくれたとしても、それはサクラの求めるものではないハズだ。

だから、サクラは恋人を作り続ける。
先生の代わりのぬくもりを。
先生に本心を…悟られないように。












バタン!!

叩き付ける様な玄関の閉まる音が聞こえた。
圧縮し、流れてきた空気が僅かにガラス戸を振動させるのを聞いてサクラが吹き出す。

少し遅れて無言で赤くなった頬をさすりながらカカシがリビングに顔を出した。

「五分経ってないわよ。先生、早漏?」

そう言ってケラケラと笑うサクラにカカシは溜息と共に肩を落とした。
状況をわかって言っているであろうかつての教え子に苦笑する。

「んなわけないだろ」
「先生、たこ焼き食べる?まだ暖かいよ」

サクラは笑いをかみ殺して、イイ匂いのする包みをカカシに差し出す。

「ん。チョット待ってて。先にトイレ行ってくるから」

カカシの言葉にサクラの視線が自然と下半身にいき…その途端、膨らんだままのソコを指差してさらに爆笑した。

「ヤダ!格好悪ぅー」
「…しょうがないデショ。途中だったんだから」
「私がシテあげようか?上手くなったのよ?」
「遠慮シテオキマス」

冗談とも本気ともつかないサクラの言葉に、カカシは困ったような笑顔を貼り付けるとリビングを出て行った。





「ははは。お帰りー。済んだ?」
「…おかげさまで」
「はい、どーぞ。たこ焼きとお茶。あ、お茶…勝手に入れちゃったよ?」
「ご自由に」

カカシは早速たこ焼きを口に放り込みながらサクラの向かいに腰を下ろした。

「で、どうした?」
「どうもしない。…ホントになんでもないのよ。誰とも居たくなかっただけ」
「じゃ、何でオレのトコに来るのさ?サクラ、一人暮らししてんだろ? 」

遠まわしに家に帰れと言われているようで…そうかもしれないが…サクラの声のトーンが下がる。

「…邪魔?」
「なわけ、ないデショ」

大きな手のひらが伸びてきて、サクラの頭をくしゃりと撫でた。
その心地よさにサクラが猫のように瞳を細めるのを見てカカシはほっと息を吐く。

一人じゃ居られないくせに強がって…誰とも居たくないなんて。
昔から、そうだ。
この子は…サクラは、何を我慢しているのだろう?
何を、隠してる?

「そっち、行ってイイ?」

サクラは離れていく手を見つめながらポツリと呟いた。

「…いいよ」

四つん這いで近寄ってきたサクラが胡坐を掻いていたカカシの膝の上にぽすっと頭を落とす。

「枕、硬い」
「文句言わないの」

膝枕の状態でサクラはカカシの顔へと手を延ばした。

「こんなこと出来るのは私だけよね?」

するりと額当てが外され、現れた色違いの瞳を見つめてサクラが微笑む。

SEXの時ですら外さない額当てを意図も簡単に外してしまうサクラ。
それを何故か許している自分にカカシはいつも驚く。
不快にすら思わない。

「そう。サクラだけだな」

苦笑とも取れる笑みを浮かべ肯定するカカシには多分恋愛感情など存在しない、とサクラは思う。
あるとすればそれは師弟愛であり、親愛の情だろう。

ゆっくりと、何度も長い髪を梳いていた指が不意に黙ったサクラの頬を撫でた。

「…サクラ?」

それでも、いいのよ。
飾りたてた甘い愛が欲しいわけじゃない。
スリルのあるオトナの駆け引きを楽しみたいわけじゃない。
ただ…

「スキよ、先生の瞳」

そう。
今はただ…笑っていたいだけ。
このオッド・アイの中で。

誰も見ることのない、私だけの瞳の中で。











2003.03.02
まゆ



2009.05.06 改訂
まゆ