ベクトルの行方 『んー…何て言うのかな。お前らの第一印象はぁ…嫌いだ!!』 …そう言ったのよ、アイツ。 先生と名のつく人に嫌われたことのないこの私に向かって! 私にだって優等生の意地ってモンがあるんだからね? このままじゃ、済まさないわ! 私のこと好きだって絶対に言わせてやる!! 「…ったく、いつまで待たせりゃ気が済むんだ?」 毎回、集合時間に遅れてくるカカシにとうとうサスケがキレた。 とうの昔に諦めてしまっているナルトは、少し離れたところでイルカと話を弾ませていて、サクラはというと…やはりいつものようにサスケの傍でサスケのご機嫌を伺っていたのだが。 「そうよ!遅刻なんて信じられない。ね?サスケくん!」 「…くそ。こんなことなら一人で修行してるほうがマシだ…」 サクラに言葉を返すでもなく、独り言のように呟くサスケ。 これもまたいつものことだ。 「大体、上司としての自覚に欠けてるのよッ!どういうつもりなのかしら?そもそも…」 「…るせぇ」 止まらないサクラの愚痴に付き合う気もさらさらない。 サスケはサクラを一瞥し、ふいっと顔を背けた。 「…ごめん…な…さい」 呟く様な、か細い声に舌打ちする。 だから面倒くさいんだよ、女って。 おしゃべりで、強引で…… …すぐ泣く。 振り返ると泣いていると思われたサクラはぎこちない笑顔でこちらを見ていた。 サスケは何故か泣かれるより嫌な気分になってまた横を向く。 …なんだっていうんだよ。 オレが苛めたみたいじゃねーか。 謝罪の言葉を告げるべきかどうか、迷う。 そして…サスケが謝罪の言葉を口にするより早く、サクラの声が耳に届いた。 「私、先生の家まで行ってみる。多分、まだ寝てるんだわ!」 「おいっ!ちょ…と待てって!」 サクラはサスケの制止を振り切って、カカシの住所を聞くためにナルトと話すイルカの元へ駆けて行ってしまった。 …後にサスケはこの時のことを死ぬほど後悔することになる。 こんな些細なことがきっかけでサクラを…確かに自分の手の中にあった少女を失ったのだから。 気まぐれな恋のベクトル。 …その指し示す方向は。 サスケが遅ればせながら自分の恋心に気づいた時、カカシとサクラ、その二人の間に入り込む余地など何処にも無かった…。 「…ここ、かな?」 イルカから渡された手書きの地図と照らし合わせながら、サクラは慎重に場所の確認をした。 「あってる…よねぇ?」 だって… 此処しか、それらしい建物がないんだもの。 寂しい街外れの一軒家を前に呆然と呟く。 雑草が伸び放だいの庭。 引かれたままのカーテン。 サスケくんと一緒にいることが居心地悪くて逃げるように来てしまったサクラだが…早々と後悔の念が押し寄せてくる。 ホントに此処に住んでるのかしら? 不気味…。 「お化け、出そう…」 呼び鈴もなく、仕方ないので引き戸を遠慮がちにノックした。 しかし当然のように応答は無く、静まり返った辺りに心細さを感じる。 「居ないのかな?」 不安な気持ちを紛らわせ、誰に聞くともなく声を出した。 試しに引き戸に手を掛けてそのまま引いてみる。と、カラカラと音を立てて戸が開いた。 「うわっ、無用心!」 サクラが恐る恐る首だけ突っ込む。 玄関口には多分カカシの物であろう大きなサンダルが脱いだままのカタチで置かれているのが見えた。 「居るみたいね。まだ寝てるんだわ…まったく!」 サクラは散らかったサンダルを揃え、その隣に自分のものも並べるとおっかなびっくり薄暗い廊下を進んだ。 ドアは3つ。 突き当たりのドアはガラス戸でうっすらとキッチンが見える。 ということは今立っている両脇のドアのどちらかが寝室。 家の造りからして浴室などの水回りはキッチンの周辺に集められているだろうから…寝室は多分、右。 驚かせる気満々で…サクラは静かにドアノブを回した。 「…誰、だ?」 寝起きのかすれた声が聞こえた。 聞きなれない低い男の声にサクラは部屋へ踏み込むのを躊躇った。 頭だけが動き、こちらを伺う。 「…んだぁ、サクラか…」 「なんだ、じゃないでしょ。もう!」 サクラ、と呟く声にやっとカカシだと確信出来た。 ほっとして肩の力を抜く。 「何時間待たせば気が済むの!…きゃーッッ」 ずかずかとベッドに近づき、カカシの頭の上のカーテンを開けようと手を掛けたサクラは、すぐさま悲鳴と共に後退さる。 「どうした?!」 慌てて身体を起こしサクラを探したカカシは、呆然と立ち尽くす少女の後姿を見つけた…が。 差し迫った危機、というわけではないようだ。 それはそうだろう、此処は自分の家の中なのだから…とカカシは再び布団に潜り込む。 「信じられない……」 カーテンの下、畳と垂直な壁のライン。 そこには普通見られるはずのない光景が広がっている。 大きいものでは直径15センチはあるだろうソレを指差してサクラが叫んだ。 「何、このキノコ!!」 「非常食」 「エェッ−」 「…冗談だよ」 眉間にシワを寄せた、思いきり嫌そうな顔で振り返ったサクラにとりあえずフォローを入れる。 「でもなぁ、アイツらが食ってたから大丈夫だと思うぞ?」 「そーいう問題じゃない!」 忍犬が食べていたのを思い出し、得意げに話すカカシをサクラは一喝した。 食べられるのか食べれないか…そんなことより注目すべきことは、部屋の中にキノコが生えているということだ。 …普通に生活してて、どうやったら部屋の中にキノコを生やせるの? サクラの心の声を読み取ったのか、カカシはボソボソと子供じみた言い訳を始めた。 「いやぁ…コレでもオレ、忙しいのよ?上忍としての任務もあるし。家っつたって寝るだけの場所だから…」 いくら忙しいからって、部屋を換気する暇ぐらいあるでしょうに… サクラは大げさに肩で息をつくと、未だ布団の中のカカシに人差し指を突きつけて叫んだ。 「とにかく、みんな待ってるのよ。早く起きて頂戴!」 その日の任務の草抜きもやっぱり2時間遅れで無事終了した。 カカシが解散を告げた後、今日のサクラの口から出たのはいつものようにサスケを誘う言葉ではなく…カカシに向かってのものだった。 「先生の家、寄ってイイ?」 「へ?」 その言葉にカカシが目を見開いたのはもちろん、サスケさえも立ち止まった。 ナルトにいたっては足を絡ませてコケてしまったほどだ。 仲間二人の動揺した視線をものともせず、サクラはニッコリと微笑んだ。 チャンスよ、これは!! 私が『良い子』だってことをアピールするチャンスなのよッッ サスケと一緒に帰りたい気持ちをぐっと我慢して、サクラは高い位置にある青銀の頭を見上げた。 小首をかしげ、濡れた翡翠の双眸がカカシを映す。 自分が一番可愛く見える角度をサクラは熟知していた。 大体のオトナは…これで落ちる。 「いいでしょう?」 「…う−ん」 「掃除、しておいてあげる!」 サクラは煮え切らない返事を押し切ってカカシのポケットから素早く家の鍵を抜き取った。 このあたりはさすがに忍びといったところか。 「ちょ…ちよっと、サクラぁ!」 「遠慮しなくていいわよ。じゃ、私先に行ってるから。先生はちゃんと報告書を出してから帰ってきてね」 そう言うが早いか、カカシが口を挟む間もなくサクラはすでに走り出している。 なんなんだよ、一体。 「ま、いいか」 訳のわからないカカシは肩を竦めサクラの後姿を見送り、更にサスケとナルトの刺さるような視線をかいくぐってアカデミーへと歩き出した。 あまり深くは考えて無かったんだけど。 …これはどう受け取ればいいんだろう? 甲斐甲斐しく自分の世話を焼く少女。 今日も休みの日だというのに朝っぱらから叩き起こされた。 カカシの目の前ではサクラが持参したエプロンを身に纏い、忙しく動き回っている。 好かれてるとは思ってなかったんだけどねぇ? サクラが好きなのはサスケだ。 そんなのいつも見てれば解る。…露骨だし。 でも、だからこそ解らない。 こんなことをして何の意味がある? せっかくの休みだ…サスケを誘えばいいものを。 ぼーっとサクラを目で追っていたカカシにサクラが声を掛ける。 「先生、暇なら庭の草むしりやってよ」 「…ヤダヨ。何でオレが…」 「自分んちでしょぉ?」 「だから別にいいの。オレは気にしてないから」 サクラの掃除の邪魔にならないようリビングのソファーの上に避難していたカカシはまだ頭から毛布を引っ被ったままだ。 「せめて着替えてくれる?それも洗濯したいの」 「…ハイ」 軽く睨みながら語尾を強めたサクラに、ここは一つ大人しく従った方が身のためだろうと判断したカカシはしぶしぶ立ち上がる。 「汚れたものは洗濯機に入れてね!それから…」 まだあるのかよ…? 「洗濯してる間にお昼ご飯食べに行こう?もちろん、先生の奢りで!」 背中を追いかけてきた声に、オレにとっては朝飯なんだけど…と、どうでもいいことを思いながらカカシは脱衣所へと向かった。 サクラが用意した夕食を二人で囲む。 もう何度か繰り返されたことのある風景。 「ねぇ、先生…」 「ん?」 さりげなく、慎重に…サクラはとうとう意を決してカカシに尋ねた。 「私のこと、まだ嫌い?」 「嫌いって…オレそんなコト、いつ言った?」 「言ったもん!」 「言わない」 「言ったじゃんッ!初めて逢った時、嫌いって…確かに言った!!」 顎に手を当て、暫し考え込む。 そういえば、そんなこと…言ったかもしれない。 なんとなく、その場の雰囲気で。 ………なんだ。 そっか。 初めて会った時の一言をそんなに気にしていたなんて、知らなかったな。 サクラの今までの行動は、『先生』に嫌われたくないから…良い子だと思われたくてとっていたもの。 実に単純且つ合理的な答え。 何を期待してたんだ、オレは…? どこか気落ちしている自分自身に気づかないフリをして、カカシは薄紅の柔らかな髪をぐしゃぐしゃと撫でた。 「いつもありがとな。サクラは良い子だねー。嫌ってなんかいないよ。当たり前じゃないか」 「ホント?」 「あぁ。サクラのこともナルトもサスケも…みんな大好きだよ」 …これでもう、サクラは此処には来ないだろう。 誤解は解けたのだから。 カカシは何故か心の片隅にチクリと痛みを感じながら、笑顔を取り繕う。 「さて、と。遅くならないうちに帰りますか」 サクラを家へと送り届けるため、カカシは重い腰を上げた。 自分のことを認めさせたい。 嫌いだなんていわれたくない。 それが当初の目的。 それは見事に達成できたといっていいだろう。 でも。何か物足りない。 自分のことは認めさせることが出来たけど… 何かが、足りない。 誰だって嫌わせるより好かれる方がイイ。 そんなの当たり前のことだ。 『サクラのこともナルトもサスケも…みんな大好きだよ』 カカシの言葉を思い出す。 みんな大好きってことは…一緒なの? 私とナルトとサスケくん、みんな同じレベルで好き、なの? どこかモヤモヤした気持ちを持て余し、サクラは布団の中で何度も寝返りを打つ。 サクラの頭の中はいつの間にかサスケではなく、あのどうしようもなくすっとぼけた上司のことで一杯になっていた。 いつもどおりの朝。 …いや、全てが変わりつつあった朝。 カビ臭くない部屋、陽だまりのような布団…まめに洗濯されたシャツ。 繁殖していた得体の知れないキノコもきれいさっぱり無くなっている。 ま、すぐに元通りになるデショ。 時計を覗き込むと、まだもう一眠りできそうな時間だった。 カカシは寂しげな苦笑いを浮かべ、再び頭からすっぽりと布団を被る。 こうやって眠ることが遅刻につながると解ってはいるけれど…特に今日は起きる気になれなかった。 サクラ…。 目を閉じても思い浮かぶのは春色の少女だけ。 いつの間にか自分の中で大きな存在感を持つようになった少女の笑顔を。 しょうがないといった態度で揺すり起こしてくれる小さな手を、自分は待ってるのだ。 ホント、馬鹿馬鹿しい。 カカシは拗ねた子供のように手足を縮めて丸くなる。 不意に玄関の方で人の気配を感じた。 ベッドの脇に立つ線の細い少女はただ黙って自分を見下ろしている。 「…どうしたの、サクラ?」 『嫌われている』という誤解は解けたはずだ。 もう来ないと思われていたサクラの訪問にカカシは目を丸くして尋ねた。 まだ朝早い。 遅刻というわけでもないはずだ。 『理由』を見つけられず、真っすぐ疑問を投げかけてくるカカシにサクラもまた答えを見つけられずにいた。 「わかんない。わかんないけど…」 …ただ、逢いたかったの。 声にならない言葉はサクラの胸の中でのみ続けられる。 もう起きたかな、とか…ご飯食べたかな、とか… 一人でいると先生のことばっかり考えちゃうんだもん。 もしかしたら、私… 先生のコト… 「オレのことが好きなの?」 冗談交じりに尋ねたカカシの言葉のタイミングの良さに、サクラは弾かれた様に顔を上げた。 「先生が私の事を好きなんでしょ!昨日、そう言ったもん!!また忘れたの?」 「…そうでした」 「だから来てあげたのよ!」 両手を腰に当てそう告げたサクラの頬は見事にピンク色に染まったままだ。 偉そうな態度も照れ隠しに違いない。 サクラの予想外の反応にカカシは喉の奥で笑いを咬み殺し、礼を述べる。 「ドウモアリガトウゴザイマス」 「…わかればいいわ」 サクラはやっとの思いでそう言うと腕を組んでそっぽを向いた。 自分に向き始めた少女の恋のベクトル。 …もう自分以外の誰にも目移りしないように。 カカシはニヤつく顔を布団で隠しながら、どうやったらサクラがずっと自分の傍にいてくれるのかを真剣に考え始めていた。 2003.03.26 まゆ 2009.01.26 改訂 まゆ |