赤い月 「先生、一緒に帰ろう!」 「「「え?」」」 サクラの声に三人の男が一斉に動きを止めた。 いつも真っ先に消えるはずのサスケは不自然な体勢のまま、逆にサクラを誘うつもりだったナルトは怪訝そうな表情で。 …そして、7班のマドンナから誘われた当の本人、はたけカカシは呆然として。 「何で先生なんだってば!サクラちゃん」 「ナルトには関係ない!だって約束なんだもーん。ね?先生」 急に話を振られて戸惑うカカシは曖昧に頷く。 「あ、あぁ…うん」 いつ、そんな約束したっけ? 心当たり…ないけど。 「ホントにぃ?」 ナルトは疑いの眼差しでカカシの顔を見上げている。 「え、ぁ…っと…」 言いよどみ視線を泳がせるとサクラの潤んだ視線にぶつかった。 今にも零れ落ちそうな雫がカカシを責める。 ホンキで『約束』の覚えのないカカシだったが、そんなことはもうどうでもよかった。 ちょーっと待て! わかった!わかったから、泣くのだけは勘弁してくれよ…サクラちゃん! 「はたけカカシ、約束どおりサクラと一緒に帰りマス!」 宣言するように叫ぶとカカシは素早くサクラを抱きかかえ、一目散にその場から立ち去った。 報告書提出の為、アカデミーへと向かう。 「…一人で歩ける」 「え?」 「降ろして」 まだ少し不機嫌そうなサクラがゆっくりと地面に足を着けた。 「あー…白玉あんみつでも食べに行く?」 もちろん、これを提出した後でだけど…とカカシにしては珍しく気の効いた言葉にサクラの頬が緩んだ。 「うん!…って言いたいトコだけど、それはまた今度ね!!だって、もう夕方でしょ?ご飯の時間だよ」 「そっか」 こんな時、カカシは一般常識の欠如した自分を痛感する。 物心つく前に両親を亡くし、サクラの歳ではすでに暗部に所属していた為、『家庭』というものがよくわからない。 いつも一人だったカカシにはナルトやサスケの方がより身近に感じられ、理解も出来る。 気まずそうなカカシにサクラの声が届いた。 「先生、何が好き?」 「は?」 「夕食のお・か・ず!」 なんだかわからないケド… 機嫌、直ったみたいだね。 「そーだなぁ、サンマの塩焼き」 「へ?」 「おろし大根付き」 「…私に魚を焼けって言うのぉ?!」 「誰もそんなこと言ってないデショ?」 「じゃ、先生が焼いてね?私、大根おろすから」 「?」 一体何のことだ? 問い掛けようと口を開きかけたカカシは、サクラの元気な声に遮られて言葉を失う。 「ホラ、先生!!ここで待ってるから、さっさと出してきてよね、ソレ。」 サクラから視線を外すと、受付の建物はすぐ目の前だった。 いつの間にか受付に辿り着いていたことに驚き、カカシは苦笑を浮かべる。 いつもと同じ道のりなのに、二人だとあっという間の距離だったように感じられたから。 全然、気が付かなかった。 サクラと二人きりの会話も意外に楽しいかも。 恋人の機嫌を取ってるみたいな会話だったけどねぇ。 …恋人…? 可愛い部下が? …こんな小さな少女が、恋人? ヘンなことを考えてしまった自分がおかしくて、サクラに聞こえないようにクククと喉の奥で笑う。 細かいことなんて、どうでも良くなったきた。 今日はサクラと一緒に帰る!それでいいじゃないか。 どうせ、彼女にとってこんなこと…深い意味など無いのだから。 「はいはい。すぐ済むから待っててね」 カカシはサクラをそこへ残し、受付の門をくぐった。 なるべく早くね!というサクラの声を背に受けながら…。 後はサクラを家まで送り届けるだけだな。 報告書で塞がれていた手も、今は行き着くところのポケットへと突っ込まれていた。 サクラの歩幅に合わせてゆっくりと歩く。 二つ並んだ影は長く伸びてもうすぐ陽が落ちることを教え、二人に帰宅を急かしていた。 しかし、何故だか勿体ない気がして…カカシは殊更ゆっくりと歩いた。 それでも歩いていれば距離は縮まるもので…数分足らずでサクラの家が見えてきた。 「あ、お母さんだ」 サクラの声に、スーパーの袋を持ったサクラによく似た面差しの女性がこちらを振り向いた。 「あら、サクラ。お帰り。…カカシ先生、ですね?いつも娘がお世話になっています」 「いえ、こちらこそ」 カカシを見とめて深々と頭を下げる母親に、慌てて頭を下げ返す。 そんなカカシの服の裾をクイっとひっぱり、サクラはカカシを呼んだ。 「なに?」 少し屈んでサクラと視線を合わす。 「チョット待っててね」 言うが早いかカカシをその場に残し、サクラは家へと駆け込んだ。 「もう、あの子ったら…騒々しいわねぇ」 娘の後姿を見送り愚痴る母親。 それでも瞳が優しく…いかにサクラが愛されているか容易に想像できた。 それにしても… 待っててって、まだ何かあるのだろうか? 送り届けたら終わりだと認識していたカカシは首をかしげた。 「カカシ先生、胃薬をお持ちですか?」 「…?…いえ。それが?」 「買っておいた方がいいですよ」 「はぁ」 適当に相槌を打つが、コソコソと耳打ちされても何のことだかわからない。 バタン、と大きな音がして再び玄関の戸が開いた。 大きなボストンバックを抱えたサクラがフラフラと歩いてくる。 「お待たせー!!行きましょ、先生」 …『行く』って、何処に? 「では、ご迷惑とは思いますが…よろしくお願いします」 「もう!迷惑なんかかけないわよぅ」 母親に一言返してからサクラはカカシへと向き直る。 「さぁ、早く行きましょ!カカシ先生の家。あ、っと…その前に夕飯の買い物しないとね」 オレん家?! 夕飯の買い物?! 状況が良く飲み込めていないカカシにサクラがボストンバッグを押し付けた。 「重いから持ってね!先生」 魚屋で購入したサンマ2匹を持ってカカシはベランダにいた。 屈みこみ、慣れた手つきで七厘に炭をおこすとパタパタとうちわで仰ぐ。 なんでこんなことに? …わかんねー。 ボストンバッグはサクラの宣言どおりかなり重かった。 家に着き、サクラが床の上に中身をぶちまけて並べ始めた時、カカシはようやく理解した。 サクラはうちへ泊まりにきたのだ、と。 パジャマはもちろん、洗面道具、明日の着替え、トランプ、…何故かマグカップとティーサーバーまで用意されればどんなニブイやつだって気付くだろう? でもわからないのはその理由。 ホント、わかんねー… ふと見上げた空にはもう月が見え始めていた。 低い位置に見えるソレは太陽のように大きく、しかも赤い。 禍々しい夜の象徴。 「嫌な色だな」 身を潜めていた亡者がそこいらで蠢くのを感じ、カカシは眉をひそめて呟いた。 「何がヤな色なの?」 ひょっこりとベランダに顔を覗かせたサクラがカカシの手元を見て再び叫ぶ。 「せんせー!!お魚コゲてるぅー!」 「へ?…あ、ヤバ。サクラ、お皿持って来て!」 「うんっ」 パタパタとキッチンへ戻り、すぐに両手にお皿を持ってサクラが走ってきた。 カカシが自分の差し出した皿にサンマを一匹ずつ乗せるのを見下ろしながらサクラが訊ねる。 「ね、何がヤな色なの?」 「うー…ん。月が、ね」 「月?」 誘われるように空を見上げたサクラがほぅ、と感嘆の吐息を吐いた。 「すごい色!こんなに赤くて大きい月、初めて!!きれいね」 「綺麗?」 「先生はそう思わないの?」 「どちらかと言えば逆かな?…怖いんだ」 「ふぅん」 納得したのか、どうでもいいのか…サクラはサンマの乗った皿をテーブルへ運ぶため部屋へと戻り、カカシも黙ってその後に続いた。 「トランプ、する?」 カカシが風呂から上がり寝室を覗くとベッドの上にちょこんと座ったサクラがこちらを見て、待ってましたとばかりに声をかけてきた。 「寝ないの?もう12時だよ」 カカシの呆れた声にサクラの頬がぷうっと膨らんだ。 「先生が寝るまで寝ない!」 もちろん、サクラは先に風呂に入ってパジャマを着込んでいる。 カカシの家に寝具が二つもあるはずがなく、ベッドはサクラへ進呈して自分はソファで寝るつもりだと告げておいたのに。 「もう遅いから…」 「先生も寝る?」 「寝マス」 まだ寝る気はしなかったが、下手に答えると面倒くさいことになりそうだったので、とりあえずそう答えた。 「じゃ、来て」 「はい?」 「こっち、来て」 寝室の開けっ放しのドアの前で固まっているカカシの下へサクラが駆け寄り、腕を引いた。 「寝るんでしょう?」 力任せにベッドの上に突き飛ばされ、薄い掛け布団をフワリと掛けられる。 「なっ…なんなの、サクラ」 「一緒に寝るのよ。だって、そのために泊まりに来たんだもん。…ホラ、詰めてよ」 ごそごそと自らもベッドに入り込みながらサクラが答える。 「え?え?…あの…サクラ?」 狼狽しきったカカシにサクラの寂しげな呟きが耳を掠める。 「…怖い夢を見ない方法を教えてあげるって、約束したじゃない。先生、本当に忘れちゃった?」 「今日は人生という道に迷ってだな…」 「「ハイ!嘘ッッ」」 ナルトとサクラのタイミングよく声の重った突っ込みに、それ以上何も言えなくて…カカシはハハハと笑って誤魔化した。 「さーて、今日の任務は3丁目の山田さんちの草抜きだよ」 「またかよ?」 「もうヤダ…」 「チッ」 三者三様の態度だが、それでも目的地へと歩き出す部下達の最後尾につき、カカシはいつものように愛読書を拡げた。 「あー!またそんなの読んでるぅ」 子供特有の少し甲高い声が下の方から聞こえ、本から目を外す。 いつの間にか傍に来たサクラが透き通ったガラス玉のような瞳でカカシを見上げていた。 「ちょっと聞きたいことあるんだけど…イイ?」 「何?」 「先生、夜、ちゃんと寝てる?」 何でそんなこと聞くのだろう? 「寝てるよ?」 「嘘!!」 嘘、って…言われても。 「どうして?」 「だって…いつもすごく眠そうなんだもん!私、時々任務の途中で寝てるの知ってるのよ?!」 「…バレてた?」 「バレバレよ!」 少し眉間にしわを寄せ怒った顔も愛らしい桃色の少女は、きっと本気で自分を心配してくれているのだ。 カカシは腰を折り、サクラの顔に近づいて悪戯っぽく笑った。 「あいつらには内緒だぞ?…実はな、寝ると夢を見るんだ」 「夢?」 「怖い夢でね。こうやってな、死んだはずの人間がオレの腕を掴むんだ」 そう言いながら、ガシっとサクラの腕を掴むとサクラはビクリと予想以上に身体を強張らせた。 その様子に慌てて手を離し、カカシが謝る。 「ゴメンゴメン。冗談だよ。…サクラ?」 黙ったまま俯いているサクラを覗き込むように視線を合わす。 「…わかった」 「え?」 「怖い夢を見ない方法、私知ってるの。今度教えてあげるわ」 そう言ってにっこりと微笑みかけられ、カカシもつられて笑った。 「そう?じゃ、お願いしようかな」 「うん!次の任務が休みの日にね」 …そんな事もあったような…。 一週間ほど前の何気ない会話を思い出し、あ!という表情になったカカシを見てサクラが息をついた。 「思い出した?」 「ん」 その場限りの言葉遊びのような約束を…サクラは果たしに来てくれたのだ。 カカシは今までにない気持ちの揺れを感じた。 『サクラ』という存在を強烈に意識する。 サクラに触れている右半分の体温がかっきり二度、上がった気がした。 小さな手が急に押し黙ったカカシの頭を挟み、サクラは自らの胸へと引き寄せる。 「ね、聞こえる?」 トクン トクン トクン トクン…… 規則正しい命の音が、やわらかい胸の下から直接カカシの耳へと響く。 声に出さず、かすかに頷く頭を細い腕が優しく包み込んだ。 「赤ちゃんはね、心音聞くと泣き止むんだって」 「くくく。オレ、赤ちゃん?」 「じゃないけど。でも、落ち着くでしよう?私が怖い夢を見た時よくお母さんがこうやって一緒に寝てくれたの」 カカシの後頭部に添えられた手がそっと動き、灰色がかった青銀の髪を梳く。 「ほら、ね。もう怖い夢なんて見ないよ…赤い月も怖くない」 胸から直接聞こえるいつもと違ったトーンの声に、カカシはゆっくりと瞳を閉じた。 暫くすると自分の頭を撫でていた手の動きがパタリと止まった。 かわりに聞こえてくるのは小さな寝息。 カカシはそっと身体を起こした。 眼下に横たわる可愛い部下を見つめて溜息が洩れる。 願わくば、この子の優しさが…忍びとして生きていくうえで負と成りませんように。 伸ばした手がサクラの頬に触れ、顔にかかっていた髪を払う。 守るべきものを腕の中に引き寄せ、カカシは切にそう願った。 「今夜は眠れそうだ…有難う、サクラ」 部屋の隅でこちらを伺う亡者の夢魔は抱き合って眠る二人に近づけず、闇に溶けた… BINGOリク…「甘甘カカサク」 吹雪セツナ様へ献上。 恋人未満のカカサク狙ってみたのですが…(汗 微妙なものが出来上がってしまいました。 本当はもっと明るめな話だったのに…オカシイ… こんなものでもよければもらってやってください。 2002.08.11 まゆ 2009.05.06 改訂 まゆ |