境界線




異性という大きな枠の中で、彼女にとって恋愛対象になる者とそうでない者…その境界線って何処にあるんだろう?
カカシは細く長い息を吐き出しながら考えを巡らせる。

やっぱ顔か?
いやいや、サクラに限ってソレだけってことはないよねぇ。
内面も十二分に考慮されてるはずだ。
じゃ…どういうのが好みなんだ?

改めて考えると明確な答えなど出てきやしない。
カカシは外界を遮断し、徐々に自分だけの世界へとのめり込んでいく。

仲間想いの優しいヤツ?(オレだって十分優しい、よな?)
忍びとしての実力?(これは問題ないデショ!)
無口で。
冷静で、
ぶっきら棒なヤツ?(…なんだかソレって)


一つずつ思い浮かべては自己採点していたカカシだが、ふとあることに気が付いた。
その条件にピタリと当てはまる男が一人だけ。
ていうか、ソイツしかいない。
サクラの…彼女の、初恋の君。

嫌になるねぇ、ホント。

自分でもここまで気にしてるとは大人気ないと思う。
サクラはサスケのことをふっきったからこそ…彼氏を作るようになったはずなのだから。
自分もここら辺で覚悟を決めるべきだ。

前に進むのか、諦めるのか。

…諦めるのか?!










昼下がりのカフェは平日にもかかわらず、わりと混んでいた。
奥まったボックス席を陣取った三人は傍から見ればどういう関係に見えるのだろう?
自分だけが浮いていることぐらい十分に解っているが…
カカシは目の前に置かれたコーヒーに口を付けるわけでもなく、ただ黙々と銀のスプーンでその中身をかき混ぜた。
向かいの席にはサクラとサクラの『新しい恋人』が座っている。
いわゆるお披露目会のようなものだ。
当然のことながら自分はサクラの身内ではない。
恋人が変わるたびに紹介される謂れは無いと思うのだが、彼女の好意(たぶん好意だろう)を無下にも出来ず…この儀式も今回でめでたく三度目となる。
カカシは苦々しい思いを飲み込み、三十余年培ってきたポーカーフェイスを改めて張り付けなおした。

「で、いつから付き合ってるんだっけ?」
「一昨日よ。お・と・と・い」
「あ、そう。じゃー…そっちの君」

会ってすぐサクラから紹介された名前はとっくに頭の中から消去している。
覚えてやる必要はないだろ?
街で会ったって声なんか掛けないし。

「何でしょうか?」

強張った笑みを浮かべている男を見て溜息を一つ。
インテリっぽいところが気に入らない。
…まぁ、サクラの彼氏ってだけで全てが気に入らないのだけれど。

「サクラを泣かせたらタダじゃ済まないから。それだけは覚えといて」
「…わかりました」

一瞬だけだが剣呑な光を帯びた瞳にのまれながら、サクラより僅かに年上だろう中忍は返事を返した。

「それにしても知らなかったな。サクラが下忍のときの担当上忍がはたけ上忍だったなんて」

真正面から睨まれ続ける男は助けを求めるようにサクラに話を振った。
カカシの眉がぴくりと動く。

『サクラ』だぁ?
サクラを呼び捨てにしていいのはオレとサクラのご両親だけだッ!

五代目が聞けば私も入れろと拳が飛んできそうな台詞を心の中で叫びつつ…思わず立ち上がってしまったカカシを二人が訝しげに見上げる。

「先生、どうしたの?」

サクラの声が耳の奥に響いた。

「あー…お手洗いに」







「マジ怖えぇよ…」
「何が?」

小首をかしげてきょとんとしているサクラを気に留めず、男はカカシが居た時とは別人のようにしゃべり続けた。

「カカシ上忍に決まってんじゃん!サクラも下忍の時、大変だっただろ?上司が冷酷無比の『写輪眼のカカシ』とくればさー、修行とかも容赦なかったんじゃないの?」
「そんなことないよ、ぜんぜん。むしろ甘いぐらいだったと思うわ」

カカシの後に五代目の指導を受けた身としてはこれだけははっきり言える。
五代目の修行はカカシの比ではなかったのだから。

「ホント?オレ噂で聞いたことがあるんだけど、いつもポケットに突っ込んでる右手には毒が仕込んであって触るだけで人が殺せるらしいね」

…はい?
なんなの、その噂は!?
カカシ先生は普通の人だってば。

あまりにも突拍子の無さすぎて眩暈が起こる。
サクラの否定の言葉が無いのをいいことに、男は勢いづいて話を進めた。

「死体を解体するのが趣味だとか…あと、セクハラ?…あ!まさかサクラも被害を受けてたり…」
「いい加減にしてよ!カカシ先生のこと、何も知らないくせに…勝手なこと言うのは止めて!」

いつだって先生は大きな愛情で抱きしめていてくれた。
自分の辛さは押し込めて???私達に微塵も感じさせなかった。
忍術うんぬんなど関係く、それがカカシの最大の強さだとサクラは思っている。
尊敬に値する人間だ。
ましてや冷酷だなんて…!

「あなたなんて大嫌いッ!」
「サ、サクラ?」

サクラの翡翠色の瞳からぽろぽろと大粒の涙が零れて落ちた。
慌てる男の背後から突然冷気が漂ってくる。
振り返ればそこには手洗いから戻ってきたカカシが立っていた。

「お前、ね。泣かすなっつったでしょーよ」

胸の前で組んだ指がポキポキと小気味良く音を立てる。
威嚇にはそれで十分だった。が…もちろん、カカシは威嚇だけで終わらせるつもりは無かった。
すでに右手からはチャクラが具現化した青白いオーラが立ち昇っている。

「…覚悟はいいか?クソガキ」

底冷えのする低い声に、ガタンと派手な音をたてて男は椅子から転げ落ちた。








「泣いていた原因を聞いても?」

席へ戻ってみるとサクラが泣いていた。
それだけの事実で我を失い、カフェの一角に大穴を開けたことに赤面しつつ…カカシは背中におぶったサクラに問いかけた。
まだ夕暮れ前の木の葉通りには行き交う人も多く…子供と呼ぶには大きなサクラを背負ったカカシはかなり目立っていたが本人は全く気にならないらしい。

「…悔しくて泣けてきたのよ。あんな男とキスしちゃっただなんて」

キスぅ?!
…殺しても良かったかもしれない。

「あの人、あれでも中忍のなかではけっこう人気あるのよ。だから私…告白されて舞い上がってたのね、きっと。自分の見る目の無さには反省してるわ」

カカシの千鳥の餌食となった可哀想な男はそのままカフェに置いて来た。
サクラは間近で見た千鳥に腰が抜けたと偽っておんぶを強請り、こうして家まで送られている。
あの男と付き合ったのは無駄ではなかったとサクラは思う。
自分にとって本当に大切なものに気付くことが出来たのだから。

「でも次の人はきっと大丈夫!」
「…次って…もう誰か目星つけてるのか?」
「うん!」

うん、って…サクラ…そんなに力いっぱい肯定しなくても。

がっくりと肩を落とすカカシを知ってか知らずか、サクラは上機嫌で鼻歌なんか歌っている。

「確か彼女いなかったわよね?」
「…オレ?」
「そ。いたっけ?」
「居ません、ケド」

それがどうかしましたか、サクラさん。

「じゃあさ、先生。私と付き合ってよ」
「え?」

ダメ?と可愛らしく付け足され、サクラを落っことしそうになった。
立ち止まり慌てて背負いなおす。
背中の重みがなければ夢だと思ったはずだ。

「駄目じゃ…ない、けど」

乾いた口の中。
やっとの思いで紡いだ言葉はあまりにもぱっとしない受身の返答だった。





はたけカカシ、三十●歳。
いつの間に『境界線』を越えたのか…

やはりサクラの恋愛対象の境界線はよくわからないと、カカシは心の中で呟いた。










サクラちゃんがカカシの存在に気付くのは多分一番最後なのではないかと…。

2006.07.01
まゆ



2008.11.30 改訂
まゆ