回帰 −カナリア2− 七班は解体される、そう告げた後もサクラは少し残念そうな顔をしただけだった。 理由もきちんと説明したし、特別おかしな話でもなかったけれど…あっさりと受け入れたサクラをカカシはなんともいえない面持ちで眺めていた。 …やっぱりね。 カカシの予感は昔から良く当たる。 特に悪いことに関しては。 明日からカカシの手を離れることになるというのに…サクラは別れ際いつもの調子で告げた。 今までもこれからも…何一つ変わらない、そういった様子で。 「じゃ、次の任務の休みの日にね!」 「うん」 交わされる約束。 甘い束縛。 そんなものに酔ってしまえるほど、カカシは幸せな時を生きてはいない。 経験が全てを否定する。 手を振り、駆け出した少女の後姿を見つめながら、最後まで隠し通した『弱さ』を溜息と共に吐き出した。 自然消滅…だな。 数ある別れの一つだと言い聞かせ、無理やりにでも納得するしかない。 来るべき時が来ただけのこと。 籠の中のカナリアにとって、外の世界はどれほど美しくどれほど魅力的に映ることか! カカシには想像に難くなかった。 自分以上の男など掃いて捨てるほど存在する。 変わる環境や忙しい日々の中、自分とのことは風化していくはずだ。 …たまには思い出してくれるかも知れないが。 飛び立ったその先で…カナリアは今以上に居心地の良い、本当の自分の居場所を見つけるだろう。 新たな伴侶と共に。 片手には弁当屋で買った弁当を。 もう片方には茶葉専門店で買ったダージリンの入った袋を提げて、カカシは夕暮れの町を歩く。 受け持ちだった三人の部下達を送り出した後、通常の上忍任務へと戻って半年が経った。 時折、耳に挟む元部下の個々の活躍はカカシに笑みを運ぶ。 火影様からは新しく生徒を受け持つことを勧められたが…カカシ自身、そういった考えは全く頭に無い。 あの子達以上の逸材など見つかるはずがないと思うから。 カカシは三人の子供達を生涯唯一の弟子だとそう心に決めていた。 商店が途切れる交差点を迂回するべく路地へと入る。 遠回りだが致し方ない。 この半年ほどその道順がカカシの帰宅ルートになっていた。 直進すればサクラの家の前を通ってしまう…という理由で。 サクラ… まだ消え去らないほろ苦い想いは、面布の下から漏れた溜息と共に夕闇に溶けて消えた。 違う。 …単純に、そう思った。 一度離れた唇が再び重ねられ、サクラは視界を閉ざされた。 反してクリアになっていく頭の中を違和感が支配する。 何も感じない。 …ていうか、 違う!! サクラはそう心の中で叫んで無意識のうちに男を突き飛ばしていた。 「サクラちゃん?」 態度を急変させたサクラを、男は驚きが滲んだ声で呼びかける。 それには答えず、サクラは震える指先で己の薄く色づいた唇をなぞった。 口腔内に残る生暖かい舌の感触。 それは異物感による不快感を呼び覚ますだけだ。 キスってドキドキするものじゃないの? 今までしてきたキスは…全部ドキドキしたよ? 何が違うの? ……どう、違うの? 「どうかした?」 俯いて自問自答するサクラの頭の上から心配そうな声が聞こえてくる。 キスが違うのではなくて、目の前の男が違うのだ。 そんな単純な答えにサクラははっと息を呑む。 「触らないで!!」 伸びてきた手を振り払い、サクラは一歩退いた。 じわりと涙の滲む瞳の奥でカカシと最後に逢った日のことを不意に思い出す。 別れ際の寂し気な表情を、どうして自分はそのままにしてきたのだろう? やりがいのある任務。 それに伴い変わっていった連れ添う仲間達。 忙しさにかまけてカカシとの連絡を怠り、そういうことに罪悪感を感じなくなっていた自分に激怒した。 カカシの存在すらも忘れかけていた自分に吐き気がする。 こんなところで私は何してるの? 「ごめんなさい!」 再び男の顔を見ることなく、サクラはそう言い棄てて踵を返し走り出す。 急いで… 急いで、 急いで!! …先生に逢いたい。 もう遅いかもしれないけれど、でも。 今すぐ、先生に逢いたい。 独身男性の典型のような夕食を終え、カカシは買ってきたばかりの紅茶のカンを開けた。 正確に量られた茶葉の入ったティーポットに沸かしたてのお湯を注いで蒸らす。 砂時計で時間を測ることも忘れない。 蒸らす時間が一番大事なのだと、よくそれでサクラに怒られたから。 湯気の立つティーカップに砂糖を一つ入れてかき混ぜた。 飲みもしない紅茶の香りに包まれて、カカシはいつものように過去というには大げさすぎるサクラとの日々に想いを馳せる。 そんな自分が女々しすぎて…カカシは少し笑った。 「先生!!」 とうとう幻聴までも聞こえるようになったかとカカシは肩を竦めた。 しかし、続いてご丁寧に廊下を歩く足音が聞こえた時、カカシの握り締めた両手がじわりと汗を掻く。 「信じ…られ、ない…」 戻ってきた…? ………何が? サクラが。 ありえない! 一瞬だって忘れたことのない気配にカカシは身体が動かなくなった。 その気配は迷うことなく真っすぐに自分の傍へ近づいてきている。 ホラ、もうすぐ其処まで… 「…先生?」 恐る恐るといったサクラの声にカカシはびくりと身体を引きつらせる。 壊れた人形のようにゆっくりとそちらを振り返り、青ざめた顔でサクラを見上げた。 「私、先生に聞きたいことがあるの」 たった半年だというのに随分と大人びたそれに寂しさが募る。 「連絡をしなかった私を許してくれる?」 自分からだって連絡しようとすれば、出来たのだ。 サクラを繋ぎとめようと足掻くべきは自分だった。 物分りのいい振りをして、諦めて。 それをしなかった自分にこそ、落ち度はあるというのに。 「まだ私のこと好き?」 そんなこと、聞かないでくれ… 「それとも、もう新しい恋人が出来ちゃった?」 オレのカナリアは頭が良い。 でも、馬鹿だ。 こんなオレの処へ戻ってくるなんて! 「サクラだけだよ。ずっと…今もサクラだけがオレの………」 言葉が途切れ、カカシの頬に伝うものにサクラは無意識に指を伸ばした。 「うわっ、なんで先生が泣くの?!」 その暖かいものが涙だと理解した途端、驚きのあまり指を引っ込める。 サクラは信じられないといった表情でカカシの顔を覗き込んだ。 「…はは。なんでだろうねぇ」 初めて聞く、カカシの弱々しい声にサクラは口元に笑みを馳せる。 「馬鹿」 ここは私が泣くところよ…サクラはそう呟きながら青銀の髪を梳き、子供をあやすようカカシを引き寄せた。 羽を切ることは出来ない。 でも、籠に閉じ込める必要もない。 カナリアは今日もオレの傍で綺麗な声で鳴く。 眩しいほどの輝きを放つカナリアの前に、カカシの不安は静寂と共に闇に沈んだ。 学校とか、卒業しちゃうと疎遠になったりしません? すごく仲のいい友達だったのにねー。 そんな感じが伝わればいいなぁ、と。 2003.10.26 まゆ 2008.12.06 改訂 まゆ |