カナリア




「あ!」

それは一瞬の出来事だった。


餌を替えようとゲージの蓋を開けたその瞬間、中に居たカナリアが外へと飛び出した。
サクラが手を伸ばせど、時すでに遅く。
カナリアは羽ばたき、宙を舞う。

…そしてあっという間に小さくなって景色に溶け込んだ。










もう一ヶ月も前の出来事だというのに、サクラは時折空へと視線を彷徨わす。
今もそう。
カカシの部屋の窓辺で頬杖をして、遠くを見つめる少女は小さな声で呟いた。

「確か、あっちの方角に飛んでいったのよね……」
「もう戻ってこないよ」

返事が返されるとは思っていなかった。
一瞬、びくっとしてサクラが振り返るとそこにはいつの間にか声の主が立っていて…色違いの瞳が自分を見下ろしていた。
紅茶の入ったティーカップを差し出しながらカカシは諭すような口調で語りかける。

「そんなに大事ならどうして羽を切っておかなかったの?」
「だって…そんなのダメだよ。鳥なんだから飛べなくなったら……」
「鳥じゃない?」

サクラは全てを否定するような言葉を言い淀んだが、あっさりと代弁したカカシに小さくコクンと頷いた。

「そんなこと言うなら籠に入れて飼うこと自体がおかしいデショ?」

カカシは意地悪だなと思いつつそう告げる。
案の定サクラは泣きそうな瞳でカカシを睨みつけてきた。

「……わるい」

最近情緒不安定なんだよね、オレ…と続く言葉は空気と共に飲み込んで、カカシはサクラの頭に手を乗せた。
そのままポンポンとあやすように薄紅の髪を撫で付ける。

成長著しい受け持ちの部下達。
サクラももちろん例外ではない。

サクラも…狭くなったオレの腕の中から飛び去る日が、来る。
その日はいつか必ずやって来るんだ。
だからそれまでは…閉じ込めておこう。
この腕の中に。

ふわふわのおくるみで包むようにカカシは優しく抱きしめた。
いつまでもいなくなったカナリアを想うサクラの姿は遠くない未来の自分の姿。
不安と哀しみを打ち消すように頬擦りし、サクラの匂いを胸いっぱいに吸い込んだ後、その小さな肩に頭を預ける。

「…先生、どうしたの?悩み事?」
「どうもしなーいよ」
「嘘ばっかり!最近少し変じゃん」

サクラに睨まれて、カカシがおずおずと口を開く。

「…言ってもいいの?」
「だーかーらー、何?言ってってば!」

短気なサクラはすでにケンカ腰だ。
カカシはにやにやと笑いながらその右手をこじんまりとしたサクラの胸へと這わせた。

「サクラちゃん、いつになったらBカップになるのかなぁ…と」
「はぁ?」

見る見るうちにサクラの頬が朱に染まる。
二、三度口をぱくぱくさせた後、サクラはこれ以上ない大声で怒鳴った。

「馬鹿馬鹿馬鹿ー!!先生のおたんこなすッッ!くだらないこと考えてるんじゃないわよ!心配して損した!もう一生口きかないんだから!!」

怒るサクラも可愛くて…カカシは暴れるのも気にせずきつく抱きしめる。

「そんなのムリムリー」
「そんなことないもんっ!」
「くくく。ホラね、もうしゃべっちゃったデショ?」
「うー…先生なんかキライ!!」
「はいはい。サクラの言うことは信用できませーん」

揚げ足を取るようなカカシの言葉にサクラは再び低く唸ってそっぽを向いた。



オレの愛しいカナリア!
何処へも飛んでいけないように羽を切ってしまおうか?
でもね。
そうするとオレの好きな『カナリア』じゃなくなってしまうんだ。
だから、やらない。

…出来ないよ。












人として

忍びとして

成長して欲しい。
成長して欲しくない。


相反する気持ちは折り合いが付かず…いつまでもカカシを悩ませる。

少女の旅立ちの、その時まで。













2003.10.21
まゆ



2008.12.06 改訂
まゆ