朔 月の無い夜。 折からの雨で地面はぬかるみ、匂いはもとより足跡さえも消えている。 カカシは濡れた前髪を掻き上げて軽く舌打ちをした。 「何処へ行った?」 どうせこの辺りに居るのはわかっている。 ゆっくり探せばいい。 カカシはそう自分に言い聞かせて空を見上げた。 「朔の月か…暗いはずだ。ま、殺しには御あつらえ向きだけど」 闇夜でもカカシの瞳は良く見える。 そう訓練されている。 何も不都合は無かった。 不意に、風に揺れた木々の葉がざわざわと音を立てる。 カカシがその方角に瞳をやると、一瞬ではあったが黒い影が横切るのが見えた。 「見ぃーつけた!」 「あ、猫」 サクラの視線の先を辿れば、そこには一匹の黒猫が居た。 事故にでもあったのだろうか…引きずる後ろ足からはまだ血が滴り落ちている。 それに気付いたサクラはカカシが止める間もなく黒猫に駆け寄った。 「サクラ!」 突然の出来事に逃げるタイミングを失った黒猫は姿勢を低くしてフーフーと威嚇している。 「駄目だ!手を出すと噛み付くって!!」 サクラの行動を予測してカカシがいち早く忠告したにもかかわらず、サクラは黒猫の前にしゃがみこむ。 そしてサクラが抱き上げようと伸ばした手に、黒猫は容赦なく牙を立てた。 「ッ!」 「サクラ!!」 黒猫を引き剥がすべく慌てて駆け寄ってきたカカシを、サクラはものも言わず瞳で制した。 その凛とした表情にカカシが動きを止めると、サクラは僅かに微笑んで視線を黒猫に戻す。 「ホラ、怖くない。もう大丈夫よ…」 サクラの穏やかな声に黒猫が牙を外した。 まだ警戒は解いていないが、敵意は収まっているように見える。 慎重に…慎重に、傷口へ触れないよう気をつかいながらサクラは黒猫を抱き上げた。 「ねぇ、先生。うちへ連れて帰ってもいい?」 澄んだエメラルドグリーンの瞳がカカシを見上げて問いかける。 そんな愛らしい上目遣いでお願いされてはカカシも駄目だとは言えなかった。 言えるワケ、無いデショ。 「うち…って、オレん家…だよね?」 一応確認のためにカカシが訊ねる。 「うん!」 満面の笑みでサクラの元気のいい返事が返ってきた… 「今日も来ないのかしら?」 血を洗い流し、消毒をして、薬を塗って。 引っかき傷を増やしながらも包帯を巻いたのは一週間ほど前の話だ。 サクラが苦労して傷が癒えるまでカカシの家で面倒をみる許可をもらったというのに、肝心の黒猫にはその意思は全く無く、手当てを終えると同時に窓から外へと飛び出して行った。 それ以来一日おきの割合でひょっこりと顔を出しに来る。 サクラは用意した餌を片手に窓辺を離れない。 任務を終え、二人してカカシの家へ帰宅してから…もう2時間もそうしている。 昨日、黒猫は来なかった。 ということは…サイクルから言うと今日は来るはず。 それがサクラの主張だった。 「包帯を替えるつもりだったのに」 「いい加減諦めたら?」 「…先生って冷たいわね。まだ怪我が治ってないのよ、あの子」 振り返ったサクラに、カカシは悪びれも無く主張する。 「冷たくもなるデショ?折角サクラと二人きりだっていうのに、オレのことは完全無視だもん」 「…拗ねてる?」 「気が狂いそうなぐらい」 カカシに真面目な顔で即答されてサクラは微笑んだ。 子供じみた愛情の表し方が、普段はまだなりを潜めているサクラの母性本能をくすぐる。 「せんせぇ、可愛いー」 これからの…カカシの行動を容認する、甘い声。 カカシはサクラを背後から抱きしめ、ベッドへと引きずり込んだ。 きゃ、と短い声が上がるがそこに抵抗は無い。 小さな身体を組み敷いて…カカシは儀式のようにその額に口付けた。 カカシの肩越しに、餌の入った皿が見える。 「あの猫、サスケくんみたいね」 サクラがカカシの耳元で囁いた。 カカシはサクラの呟きなど聞こえなかったか…何も言わず『サクラ』に集中する。 手のひらにすっぽりと収まってしまう胸を愛しげに撫でてからファスナーに手を掛けた。 その間、何度も唇を奪われ…次第に深くなる口付けにサクラもまた何も考えられなくなってくる。 与えられる快感に身をまかせ、黒猫のことは次第にサクラの意識から消えた。 「…ぁんッ」 カタン。 その小さな音でカカシは目を覚ました。 音のしたほう…出窓を床の中から見上げれば、小さな黒い影がある。 あの猫だった。 やっぱり来たか。 空かしてあった窓から顔だけ突っ込んだ黒猫は何やら探しているように見えた。 餌には目もくれていない。 探し物は、ココダヨ。 …やらないけどね。 カカシは腕の中のサクラを一瞬強く抱きしめてから布団を抜け出す。 危険を察知したのか…同時に黒猫は顔を引っ込め、身を翻し闇に消えた。 お前、邪魔! 殺気を隠そうともせず、カカシは黒猫の後を追う。 開けっ放しになった窓から湿った風がサクラの髪を撫でた。 『あの猫、サスケくんみたいね』 サクラはそう言った。 確かに一定の距離を置き、遠巻きに此方を伺う所など…かつて居たサスケという少年にそっくりだ。 しかも此方が歩み寄り、深入りすれば牙を剥く。 かまって欲しいのならもっと愛想良くするべきではないか? …本当にタチが悪い。 サクラを散々泣かせたその少年の姿が里に無くなってから、どれほどの時が過ぎたのだろう? それは決して短い時間ではないことをカカシとサクラの関係が物語っている。 サスケを好きだったサクラ。 サクラに一方的に思いを寄せていたカカシ。 それが今では二人が付き合っていることを里でも知らない者はいない。 もう、お前の入り込む余地はなーいよ! お前はお前でオロチ丸と修行でも何でも仲良くやってくれ。 カカシはくすりと笑った。 そして真顔で呟く。 「思い出させる気も、無い」 全てを排除するのだ。 あの生意気な黒髪の少年に関わるもの全てを。 一度は見失った小さな黒い影を葉の生い茂る枝の間に見つけ、カカシは嬉々としてそこへ飛んだ。 あっさりとカカシの手に落ちた黒猫が小さな牙で最後の抵抗を試みる。 カカシの指先から血が滲んだ。 そんなことは意に介さず、首を鷲掴みにした手に力を込めたカカシは、ボキリと骨の砕ける感触を恍惚した表情で楽しむ。 手に残るは…ただの肉塊。 カカシは興味を失ったソレを雨で増水した川の、濁流の中へと放り込んだ。 「あ、起こしちゃった?」 カカシはタオルを首に引っ掛け、その両端でごしごしと髪を拭きながらベッドの端に腰を下ろした。 「眠れなかったからシャワーを浴びてた」 そう言いながら覗き込んだサクラの顔色が優れないことに気付く。 剥きだしの肌に掛け布団を掛けてやりながら、カカシはサクラに問いかけた。 「どうかした?」 「猫が…」 「ん?」 「猫が、鳴いてたの。呼ばれてる気がする」 「…サクラ?」 黒猫の夢でも見たのか、サクラは泣きそうな顔で身を起こすとカカシを見上げて訴えた。 「今、何処に居るんだろう?…探しに行こう、先生!!」 「…明日ひょっこり顔を出すかもよ」 何故か、そんな単純なことでは無い気がした。 サクラは必死に食い下がる。 「明日も来なかったら?怪我が酷くなって動けないのかもしれないじゃない!」 「後ろ向きな考えだねぇ」 「だって…」 「綺麗な猫だったから誰かに飼われた可能性だってあるデショ。此処へ来なくなったのは新しい居場所を見つけたからだよ。餌だってきっと腹一杯貰ってる」 「そうかな?…そうだといいな」 頭の良いサクラを丸め込むには、納得させらるだけの説明が必要だった。 毎回これには苦労させられる。 完全に納得したわけではなさそうだが、それでも食って掛かることをやめたサクラにカカシはほっと息を吐いた。 「こっちへおいで…」 優しく響くカカシの声に誘われるがまま、シーツを纏ったサクラが擦り寄って来る。 そしてカカシの指に滲む紅い模様に気付き、声を荒げた。 「どうしたの、これ!血が出てる!!」 「ん?…あぁ、噛まれたの」 「噛まれた?」 「うん。サクラに。…覚えてないの?さっきオレの指をさぁー、こんな風に食べちゃってたデショ?」 カカシが自らの口に指を含み、吸ってみせる。 先ほど営まれた情事を思い出させる、その卑猥なしぐさにサクラが真っ赤になって反論した。 「そ、そんなこと、してないもん!」 「したよ」 カカシの肯定の言葉に、小さな拳がカカシの胸を打つ。 それを軽く受け止めながら、笑みを浮かべたカカシはサクラを抱きしめた。 サクラがいけないんだよ。 猫なんかに構うから。 ……サスケなんか思い出すから。 二人寄り添い、窓辺から見上げた今宵の月は無いに等しい。 淡く優しい光はサクラに届かず、静寂と闇をもたらしていた。 「怖い…」 「闇が?」 「…ううん、月が。だって…見えないもの。そこに確かに存在するのに、見えないんだもの」 サクラの返答に声無く笑うカカシを、サクラは不思議そうに見つめた。 朔。 その刀身のように細く反った月は、凶器。 笑顔の下の…カカシの、狂気。 かるて様へ献上。 人様に差し上げるシロモノでは無い気が…します。(内容的に・笑) しかーし! 以前頂いたカカサク絵のお礼と先日のミスの穴埋めに献上させていただきますねvv 今現在サス坊は桶の中から生まれ変わったばっかりで…どういう展開になるのが私にはわかりませんが、里へ帰ってこなかったという設定の下、この話を書きました。 カカッスィー、ちゃっかり頑張ったようです。(笑) そして抜かりなく頑張っていく予定なのです! 朔…新月のこと。 2004.04.04 まゆ 2008.11.30 改訂 まゆ |