静かの森




生臭い、饐えたニオイが鼻につく。
鍵を壊して建物の中へ入ったサスケとナルトはあまりの異臭に立ち止まった。
一人カカシだけが青ざめた顔で奥へと進む。

サクラが攫われて3日経っていた。
うちは一族のサスケ、妖弧をその身体に封印しているナルト、コピー忍者のカカシ。
当初サクラは…その情報を仕入れるため、もしくは取引材料に他国の忍びに攫われたと考えられていた。
が、それは全く検討違いであったようだ。

こんな…
こんな所に…!

木の葉の里の隣町。
此処はその街はずれの、人気のない古びた建物の中だった。

かなり高い位置に1つだけ小さな窓があり、僅かながら光が差し込んでいる。
どうやら此処はアパレル会社の倉庫らしく、そこかしこに積まれたダンボールからは服の袖の部分が垂れ下がっていた。
その影に…不自然に盛り上がったモノ。

「来るな!」

カカシの鋭い声に、動き始めようとしたサスケとナルトは二の足を踏んだ。
最悪の事態だということはカカシのその余裕の無さから読み取れる。
二人は落ち着かない様子で顔を見合わせた。

一歩、進むごとにカカシの身体が大きく震えだす。
気力のみで『モノ』が識別できるまで足を運んだ。

信じられない。
信じたくない。

『モノ』を見た瞬間、カカシはその場に崩れ落ちた。
それでも這うようにして近づき…『モノ』にそっと触れる。
ひどく頼りない脈を確認した時、カカシは生まれて初めて神の存在を信じた。

生きてた。
ただ、それだけで……もう…

その辺からかき集めただろう服を敷いただけの床の上。
捨てられた人形のように放り出されていたサクラは目も当てられない有様だった。
忍服は所々しか残っておらず裸同然の上、無数にある打撲の後が痛々しくて瞳を伏せる。

生臭い、饐えたニオイ。
サクラの肌にこびりついたモノ。

その正体が何なのか。
此処で何がおこなわれたのか。
カカシはこの建物へ足を踏み入れた時から十分過ぎるほどわかっていた。
低く絞り出すように背後の二人に命令を下す。

「サスケ、他の班の隊長にサクラが見つかったと伝えろ。ナルトは毛布を調達してこい。いいか、お前ら…余計なことは言うなよ!」

二人が立つ位置からは何も見えない。
しかし状況を察した二人は返事の代わりにコクンと頷き、素早い動作でカカシの視界から消えた。










まだ泳ぐには早すぎる湖の中に、カカシはいた。
里への帰り道にある、知る人の少ない湖だ。

岸にナルトが用意した毛布だけがポツンと残されている。
カカシは腕にしっかり小さな身体を抱きかかえたまま、更に深いところへと進んだ。
水を含み張り付く忍服の不快感など気になるはずもない。

やがて水深はカカシの胸にまで達した。
歩みを止め、息を吐く。
そしてカカシはサクラの…腕に辛うじて引っかかっていた無残な布キレを取り去り、汚れた顔を優しく拭い始めた。

じんわりと凍み込む水の冷たさに、サクラが身動ぎした。
うっすらと瞳を開ける。
その途端、何処にそんな力が残されていたのかと思うほどサクラが暴れ始めた。

「イヤ!…イヤ!放してッッ!!!」
「サクラ!!」

心の琴線に触れる声。

それは。
待ち望んでいた…暗い闇の中、何度も呼んだ声の主。
サクラは驚いたように顔を上げた。

「……せん…せ、い?」
「そうだよ。ごめん。…遅くなって、ごめん」

すっかりやせ衰えた身体を抱く腕に力を込める。
引き寄せた薄紅色の髪を撫でるカカシの耳元で…サクラが呟いた。

「お願い…私を殺して……」

カカシは悲痛な表情でサクラを見つめた。
噛み締めた唇からは鉄の味がする。
片手でしっかりとサクラを抱き直し、カカシは無言のまま空いた手で額当てをとった。
くるくると回る写輪眼を見て、サクラはカカシが望みを叶えてくれると思ったのだろう。
その口元に笑みを浮かべてカカシの動きを待っている。

「瞳を、逸らさないで」

カカシの囁くような声に、サクラが頷いた。
10秒も見つめただろうか。
身体から少しずつ力が抜けるのを感じ、サクラは気だるい朝の眠りのようにゆっくりと意識を手放した。






僅かに記憶を捻じ曲げる。
それしか出来なかった。
忘却の術を施すにはサクラの精神がもちそうになかったから。

しかし、これで多少なりとも…

先に帰らせたナルトとサスケが事の次第を綱手に報告したはずだ。
木の葉病院での受け入れ準備も整っただろう。
カカシは落とすことの出来ない痣の残る小さな身体を丹念に毛布で包み、里へと急いだ。















病院へ運ばれて2週間。
先日やっと退院したサクラは、現在、通院治療のみにまで回復していた。
…それでも、任務に復帰できるのはもう暫く後のことになるが。

今日も病院へ寄った後、サクラは日課となった公園のベンチでの日向ぼっこに興じていた。
他にすることがないのだからしょうがない。
サクラはおもむろにポケットから小さな包みを取り出した。
パラフィン紙の中には処方された粉薬が入っている。
自分は病み上がりなのだから薬が必要なのは十分にわかっているが、これは違う。
渡してくれた綱手は栄養剤だと言葉を濁してはいたが…
でも、本当の所は堕胎の薬だとサクラは確信していた。

「そんなコト、されてないって何度も言ってるのに」

確かに自分は3日ほど監禁された。

事の始まりは任務帰りに起こった。
大通りからわき道へ、サクラは不意に引きずり込まれた。
反撃しようと身構えたが…今思うと、それが市井の人間だとわかり躊躇したのがいけなかった。
あっという間に数人によって押さえ込まれ、キツイ匂いのする薬品をしみこませた布で口と鼻を塞がれてしまった。
次に気が付いたのは場所の知れない倉庫で。
男達と揉み合いの末、サクラは幻術をかけることに成功し、逃げ出すことは出来たがそこで力尽きたのだ。
だから、助けが来るまでずっと隠れていた…そう何度も説明したのに。
綱手様にも信用されていないのかと思うとサクラは泣けてきた。

綱手様だけじゃない。
サスケくんもナルトも。
いのや両親だって自分を腫れ物扱いする。
さも傷物になったかのように。

サラサラと地面へ薬を落とす。
同時に地面にはサクラの涙を吸って茶色の染みが出来た。



「サークラ」

背後から抱きつかれ、慌ててサクラは振り返った。

「先生…」
「何してんの?」
「何にも。」

サクラの手に残る薬を包むパラフィン紙と、地面に撒かれた白い粉薬を交互に見たカカシは眉を顰めた。

「薬、飲まなかったの?元気になれないデショ」
「…何の薬か知ってる?」
「いや?」
「堕胎のよ、多分。…私には必要ないのに」
「そっか。じゃ、飲まなくていいや」

あっけらかんとカカシが告げる。
その様子にサクラは瞳を見開いた。
しいて言えば・・・カカシこそが唯一自分の周りで変わらなかった人物だ。

「かわりにコレあげる。はい、あーん」

つられて開けた口の中に、カカシは飴玉をひとつ放り込んだ。

「何味?」

悪戯っ子のように尋ねられ、サクラはにっこりと笑う。
今までの暗い気分も吹っ飛んだ。

「桃!」
「おいしい?」
「うん!」
「咬まないでね」
「どうして?」

薬が効かなくなるから。

「高いんだよ〜、この飴。なんとひとつ500円」
「高ッッ!」
「でも…頑張ったサクラへのご褒美だからね。奮発しちゃった」

夜店でよくみる金魚を入れるような透明のナイロンの巾着袋に、残り7色のキレイな色の飴玉。
堕胎の薬入りの…虹色の飴玉。

薬は摂っておかないと…もしもってことがある。

聡いサクラのことだ。
周りの人間の態度がぎこちないことを感じ取っているだろう。
囁かれている噂も耳に届いているに違いない。
そんなときにいかにもそれらしい薬を渡したのでは飲んでくれないに決まっている。

綱手様も考えなしだよね。

独自に用意した飴玉。
カカシはそれをサクラへと手渡し、念を押した。

「一日一個ずつ食べて。咬んだら駄目だよー」
「有難う。そんなに言わなくてもちゃんと味わって食べるって!」

サクラは目の前に飴を掲げて暫く嬉しそうに眺めていたが、ふとカカシに視線を戻して呟いた。

「やっぱり…先生も少し変わったわ」

サクラの言葉にカカシは身体を強張らせた。

「…何処が?」
「優しくなった」

返答はカカシを不安にさせるものではなくて、ほっと胸を撫で下ろす。

「だって、それはしょうがないデショ。オレ、サクラを愛しちゃってるんだから」
「そっか。…って、えぇー?!そ、それってどういう意味……」
「今回サクラが怪我したことで自覚したんだ。へなちょこサスケよりお買い得よ、オレ」

腰を屈めて同じ視線で。
カカシはサクラに笑いかける。

「本気だから、オレのことちゃんと考えてみてね」
「…はい」

頬を染めたサクラが伏せ目がちに頷いた。




















「さて、と」

大木の根元に縛り上げられた男5人が蓑虫のように転がっている。
深夜の森の中、不自然な光景だ。
カカシはまだ十分に余っている縄を肩に掛け、嬉しそうに笑った。



カカシがサクラに暴行を加えた男達を見つけるのに苦労はしなかった。
集団で女を犯して楽しむような奴らは大抵同じことを繰り返す。
少女に変化したカカシが薄暗くなる時間に裏通りを歩くとすぐにその一人を捕まえることが出来た。
後はソイツを締め上げるだけで芋づる式という馬鹿馬鹿しさだ。

「お前達を殺す方法を考えてたんだが…いいのが見つかったよ」

すぐ側まで近づき、しゃがみこむ。
木々の隙間から差し込む月の光が、男達の顔をことさら青白くみせた。

「……こ、こんなこと…してもいいと思ってるのか?オレの父は大名の親戚だぞ!」
「僕の家は木の葉の里一番の商家だ。金はいくらでもある!だから…」
「訴えてやるッッ!」

一人が口を開けば次々と。
くだらない命乞いはカカシを不快感にさせただけだった。
権力なんて怖くない。
もとより自分の身ひとつで渡り合う忍びなのだから。
金なんて、微塵の興味もなかった。

「サクラに手を出した時点でお前達の死は決定なの。……鳥葬って知ってる?鳥ってさー、一番最初に目玉をつつくんだよねぇ」

冷ややかに告げられて、男達はもう助かる術がないことを思い知った。
同時に、今度は一斉に泣き始める。

「…助け、て……く…れ!」

その一言に、カカシの動きがピタリと止まった。



「…サクラも何度もそう言ったと思うが、お前達は何をした?」












大きな楠の木。
鳥たちの集う木。

カカシはその枝の一つ一つに男達を吊るした。
遠目にはクリスマスツリーのように見えるに違いない。

朝になれば鳥も目を覚ます。

いや、朝を待つまでもないかもしれないな。

既に夜行性の梟や鴉が数羽、こちらを伺っている。
その気配を感じてカカシは喉の奥で低く笑った。

奴らには長い夜になるだろうねぇ。

男達がサクラにしたことを考えると、殺しても殺したりない。
しかし、簡単には死ねない鳥葬を思いついたことにカカシは僅かながら満足していた。





死体はやがて地に落ち蛆が湧く。
蛆により分解された肉体は土のごとく森に還るのだ。
…そして、木々の成長を促す。

「お前達のような腐った人間でも少しは役に立つだろう?」

薄ら笑いを浮かべたカカシは泣き叫ぶ男達の声を背に、ゆっくりと里へ足を向けた。










カカシに鳥葬させたかった…。
ただ、それだけ。
何でかって言ったら『黒鷺死体宅配便4』を読んだから。
…性懲りもなく半日仕上げのSSでした。

2004.10.31
まゆ



2008.11.30 改訂
まゆ