残滓




それは確かに恋だった。










倒れた本棚、散乱したガラスの破片。

サクラの部屋は酷い有り様だった。
いや…まだ眠れる場所を確保出来るだけ皆よりはマシなのかも知れない。
崩壊を免れた一角に立つ春野家に一人、サクラはとりあえずベッドに近づいた。
上布団を剥がせば…中までガラスが侵入していることは無さそうに見える。
まぁ、ガラスがあったとしても少々傷が増えたところで今の自分には大した意味はもたないが。
サクラはもそもそ布団に潜りこんで目を閉じた。

今日はいろんなことが有りすぎて…身体は鉛ように重いのに頭だけは妙に冴えている。不思議な感覚だ。
一眠りして目を覚ましたとき、もしかしたら全てが夢かもしれない…だなんて。
この期に及んでそんな淡い期待を持てるほどサクラは子供でも…そして楽天的でもなかった。

眠らなければ、と思う。
体力を温存しなければ。
当面木の葉の里は慌しくなる。
そして、自分に出来ることは山のようにあるのだから。

両親とは数時間前に別れた。
暫くの間、母方の親戚の家に身を寄せる為だ。
もちろん勧めたのは自分だが…彼らは最後まで私も連れて行こうとしていた。
そんなこと、私が納得するわけないのに。

両親の…
綱手様やシズネさんの…
いのの…
ナルトの、私を見る心配そうな顔。

「私って…そんなに悲惨な顔してる?」

「そんなことなーいよ」と、いつものように答えは返らない。
これから先ずっとそうなのだと思うと鼻の奥がつんと痛んだ。

目を開ければ半壊した天井から夜空が見えた。
いつもなら満天の星空も今日に限っては朧げで…月さえも霞んでいる。
昼間に巻き上がった砂塵のせいだろう。

……そういえば『あの時』もこんな空だった。










「…ねぇ、カカシ先生」
「んー?」
「何、してんの」
「ナニだよ」

見てわかんないの?と言いたげに、先生は顔を上げた。
たくし上げられた忍服はサクラの胸を晒した状態で…声を掛けるまでカカシはそこに顔を埋めていたのだ。

静まり返った空間に、ぱちぱちと焚き木の弾ける音がする。
カカシと二人きりの…しかもわりと長期の任務は初めてだった。
明後日には里へ帰れる、それはそんな…任務が終わりに差し掛かった夜に突然起こった。

サクラが沈黙したことを了承ととったのか、カカシは再びせわしなくサクラの身体に指を這わせ始めた。
ぴったりと肌に纏わり付く鎖帷子がいつのまにか脱がされ、今やサクラのささやかな胸はカカシの掌の中にある。
その先端をちゅっと吸い上げられたとき、サクラはやっと状況を把握して声を荒げた。

「ちょ、ちょっと先生!なにとち狂ってんのよッ!」

頭の上で押さえられている両腕を自由にしようともがいてみるもののびくともしない。

「止めてってば!」
「ヤだね。ていうかサクラ…暴れられると余計興奮する」
「!!」

にやりと笑ったカカシがサクラの瞳を見つめたまま下半身へと手を伸ばした。
スパッツと共に下着も剥ぎ取られ…これから起こるであろう事態に身を堅くする。
カタカタと震えだしたサクラに、カカシが驚いたように動きを止めた。

「…サクラ、もしかしてはじめて?」

怖くて、恥ずかしくて。
問いかけられた質問に答えを返す余裕なんてサクラにはなかった。

「どうりで。全然濡れてないもんな」

触れられたのは誰にも触られたことのない場所。
ぽろりと零れた大粒の涙に、それでもカカシは苦笑しただけだった。

「サクラだって知ってるデショ。長期任務におけるくノ一の役割」

『求められれば応じること』
出来る限りと注釈が付いているものの、それは長期任務におけるくノ一の役割の一つに違いなかった。
二十日間の任務が長期に入るかどうか微妙なところだが、このパーティーには自分とカカシしかいない。
この場合カカシの性欲処理には自分が応じるべきなのだろう。でも。
『はたけカカシ』はサクラにとって先生であり…また、家族に近い感覚であっただけに裏切られた感は拭えなかった。

「ごめーんね?オレも一人で処理しようとは思ったんだけど…」

サクラの『匂い』がきつ過ぎて。
そんな言葉が聞こえたかと思うとサクラの意識は一瞬にしてカカシの指に支配された。

「あ…はッ……ぁんッ」

身体の奥から掻き出した蜜を大きくなった芯へと塗り込まれて、更なる蜜が溢れ出す。
同時に行われていた指の挿入が二本から三本になったことさえ気付かないまま…サクラはカカシを受け入れていた。

「ふぅ…んッ…ん、あっ!」

息も切れ切れに見上げた空には星がなく、くすぶった色の月は先生の髪の色と同じだった。










「!」

記憶の深淵からサクラの意識を呼び覚ましたものは視界を塞ぐ黒い影。
気配もなく忍び寄ったソレに緊張が走る。
早くも新たな敵の来襲か。
サクラは跳ね起きるとチャクラを溜めた右足で回し蹴りを繰り出した。
が、確実にヒットしたと思われた蹴りは宙を切り…サクラは不安定な姿勢で着地する。
自分が踏みしめたガラスの音しか聞こえない。
影を探し視線を走らせれば…ソレはサクラが使っていたベッドの上に静かに浮いていた。

「よ!」

軽い挨拶に眩暈を覚える。
『あり得ない』
…それがサクラの第一声だった。

だって…先生は死んじゃったんだもの。
死んだ人間は生き返らないのよ。
神様がそう決めたのだから…

では、サクラの目の前にいる『先生』はどう説明すればいいのだろう…?
敵の罠というには些か緊張感が無さ過ぎた。

「カカシ…先生、なの?」
「オレ以外誰に見えるのよ、サクラちゃん」

くくくと喉の奥で笑う姿にサクラの肩が震えた。

「やっぱり生きてたのね!」

心の片隅でくすぶる想い。
それは『はたけカカシ』が死ぬわけないという、ある種信仰にも似た……

「いや、死んだけど?オレの死体、見たデショ。埋まってるヤツ」

なに言ってんのかねぇ、この子は…と半ば呆れ気味の言葉にサクラは憤りを感じた。

「じゃあ、アンタは何者よ?!」
「あー…うん、幽霊…?みたいな」
「はぁ?」

冗談も休み休みに言えと言いたかったが、否定できない自分がそこに居た。
受け答え…何より存在感が紛れも無く『はたけカカシ』だったから。
幽霊だと言った言葉を証明するように彼はふよふよと漂いながらサクラに近づいた。

「…透けてる」

明かりの無い部屋だったが…至近距離ではさすがに気付く。
立ち竦むサクラにカカシの幽霊は今度は盛大に笑い声を上げた。







「で。先生の幽霊が何で私の所に来るのよ?」

私に何か恨みでも?と続ければ恨みがあるのはサクラの方だろうと返された。
確かに…恨みが無いとは言い切れない。
カカシに半ば強引に処女を奪われていたことはその最たるものだろう。
しかもその後も何故か身体の関係は続いていて…おかげで彼女に間違われることも多く、サクラにとって不名誉な噂は飛び交っていたし、また、カカシの本当の彼女から受けた嫌がらせの数々はちょっと忘れられない。
それが顔に表れたのだろう…カカシの幽霊は僅かに目を伏せた。
その仕草を見てサクラは不意に大声を上げる。

「あ!アンタ…カカシ二号ねっ!!」
「当たり。やっぱりサクラは違うねぇ。影分身のオレと本体を見分けられたのは後にも先にもお前だけだよ」
「まぁね。…じゃなくて!先生ったらこんなときでさえ私には二号を寄越すの…?」
「本体じゃなくて、ごめん」
「…別に二号が謝る必要はないし。二号を出したのは先生なんだから!」
「そりゃそうだけど…オレも『先生』なわけで…」

気まずい沈黙が続く。

そうなのだ。
カカシ先生とはこういうヒトだった。
戯れに私に手を出して、私を本気にさせて。
でもそれに気付かないフリをし続けたうえに誘われるまま何人もの女の人と付き合っていた最低の男。
私をからかうのはそんなに楽しかったのだろうか?
約束だってよくすっぽかされた。
片手間に二号が来ることも度々だった。

それでも私が先生の傍に居続けたのは……

先生の彼女はころころと代わったが、先生が私を手放すことはなかったから。
いつも二番目だけど…一番長く先生の側に居た女は私だったから。

「天国だか地獄だかわかんないところを歩いてたらさ…父親に逢っちゃって」
「え?先生のお父さん?!」

唐突な話題転換に、それでもサクラは驚きを見せた。
先生の口から父親の話を聞くことは初めてだ。

「そう。それで本体は会話中なの。長くなりそうだから…なんていうか死者の国に辿り着いたわけでは無さそうだったし、こっちに戻れないかなって思って…試しに逆走してみたら此処に出ちゃったのよね」
「あ、そう」

何なんだろう、その漫画のような展開は。
鵜呑みにするには馬鹿馬鹿しい話だったがあえてサクラは追求するのを止めた。

どうせ彼も…二号も長らくは此処に留まらない、そんな予感がしたから。







サクラはカカシの影分身(しかも幽霊!)を伴って瓦礫の中を歩いていた。
街灯も無く、月明かりも乏しいというのにサクラは躓くことすらない。
カカシの誘導がそうさせているのか。
サクラは目の前を行くカカシの背中をじっと見つめた。
何十回、何百回と繰り返し…そして続いていくと信じていた風景。
それがもう叶わないのだ。

「どこ行くの?」
「オレの家。サクラに渡したいものがあるんだ」
「…ふぅん」
「なんなの。その期待の無さは」

振り返ったカカシにサクラは大げさに溜息を吐いて見せた。

「どうせろくでもない物に決まってるわ。それに…」

カカシの家は里の中心部にあった。
もっとも被害のあった場所。
柱の一本も残っている訳がない。

「大丈夫!術を施してあるから」

サクラの言いたいことを読み取って、カカシはにやりと笑った。

「用意の宜しいことで」
「はは。大事なものなんでね」

カカシの透ける身体が、崩れた家屋をひょいひょいと登って行く。
この辺だと思うんだけどと足元の瓦礫を掘り起こそうとして…手が止まる。
カカシには触れることが出来ないのだ。
瓦礫はもちろん…私にも。

「サークラ。掘って」
「…はいはい」

倒れ掛かった屋根を起こすのも、崩れた壁をどかすのもサクラの怪力には造作も無いことだった。
一つ掘り起こすごとにカカシが冷やかしの口笛と拍手を送る。

「ウザイ」

ぼそりと呟いたとき、サクラはそれらしき物を見つけた。

「…これ?」

青白いシールドがかかった書物の束を持ち上げカカシを振り返る。

「ん。それ。あと写真を見つけてくれないか?」
「写真って…あの窓際に飾ってたやつ?」

こくりと頷くカカシに、悪態を吐く気にはなれなかった。
道を引き戻すほどの心残り…私を頼って現れたのならそれはそれで嬉しいことだったから。







掘り起こしたものを並べて、サクラは額の汗を拭った。
私に渡したい物があると言っていたはずだが…これもその一つなのだろうか?
イチャイチャパラダイス、全巻。

「あのー…先生。受け取り拒否ってあるんですか?」
「ないよ」

あっさりと告げられて肩を落とす。
やっぱりろくでもない物だった。

「こっちは何?」

書物を指差して尋ねると、カカシはさらりと答えた。

「ああ…写輪眼の解説書」
「え…?」
「自分なりにまとめたものだから役に立つかどうかわからないけど…サクラに貰ってもらいたい」

ぱらぱらと捲れば日記のような形式で術の発動やその後の体調、そしてカカシの推測とそれに基づく理論が書き留めてあった。

「先生!」

これは自分のような下っ端の忍びが保持するべきものではない。
それこそ火影の管轄で厳重保管されるか、医療班…いや、研究班で検討されるものだ。

「サクラにあげる」
「でも…」
「サクラにあげたいんだ。サスケが帰ってきた時に役に立つかもしれないデショ?いいから貰っとけ」
「…うん」
「写真は出来れば持って行きたいんだけど…」

カカシは物に触れられない。
どうしたものかと思案しているカカシにサクラは燃やしてみてはと提案した。
根拠は無いがなんとなく上手くいきそうな気がする。

「じゃあ、その方法で宜しく」
「了解」

サクラは野営で火を熾す要領でまず石を集めて風除けを作った。
燃やすものはその辺に散らばっている木材を小さくして積み重ね…中央に発火用の札を仕込めばすぐに火は付いた。
小さな赤い炎に写真を一枚ずつ翳す様に燃やす。
独特の匂いと共に煙となって昇っていくそれをカカシが包み込むように両手で捕まえれば…それは再び『カカシが触れられる写真』へと変わった。

「サクラ…大成功!」

カカシの喜びの声にサクラもほっとする。
カカシには沢山傷つけられた。
でも沢山の幸せを貰ったのもまた事実だ。
だから最後に役に立てて良かったと思う。

「会いにきてくれて、ありがと」
「…二号でも?」
「二号でも!」

サクラの屈託の無い笑顔にカカシも顔をほころばせた。

「なんなんだろうね?サクラにだけはちゃんと挨拶したかったんだ」
「…」

カカシは忍服のポケットに二枚の写真を大事そうに仕舞うと「さて」と切り出した。

「そろそろ本体に戻るわ。じゃあね、サクラ」
「先生!」

歩き始めたカカシが振り返り、軽く片手を上げる。
そして現れた時と同様…唐突に姿を消した。

送り火としての役割を終えたとばかりにいつの間にか火は消え去り…立ち込める煙が風に乗って流れる。
両目から涙が零れ落ちて止まらないのは煙が沁みるからだと言い聞かせ、サクラはぎゅっと拳を握り締めた。
…告げられなかった言葉と共に。





ありがとう
愛してる
愛してる



二人の間にあったモノ。

先生がどれほど否定しようとも…それは確かに恋だった。










今となっては恥ずかしい。
ていうか、生き返りやがって(大爆笑)
今はまだ複雑な心境だよ!
…幻の幽霊祭り第三弾SS。

2009.06.01
まゆ