死者を見る瞳




ヒナタは夏が嫌いだった。
八月にもなると外に出歩くことさえ憚れる。
見たくもないモノを見てしまうから。

それは一年を通していつでも見えたけれど、特に八月の半ば…お盆にはピークを迎えた。












「ね、先生…おかしくない?」

アップした髪をしきりに気にしながらサクラは歩いていた。
今日は夏祭りだ。
里中が熱気に包まれており、遠くからは太鼓の音が聞こえている。
サクラも気合をいれて髪をまとめ上げ、浴衣を着込んでいた。
サクラにとって今日は普段隠している(?)色気とやらをカカシに見せつける格好のチャンスなのだから。

「大丈夫だよー。可愛い可愛い」
「あ、なんか投げやりな言い方!」
「そんなことないって」

事実、すれ違う男共は必ずと言っていいほど振り返ってサクラを見る。
カカシはサクラとの会話の最中にもそんな野郎を軽く牽制することに余念がない。

カランコロンとゲタの音が響く。
時折、出店や屋台を覗きながら二人はいつもよりゆっくりと歩いた。
手にはすでに綿菓子と金魚とガラス細工の風鈴が握られている。
サクラはとてもご機嫌だった。

「こっち」

花火が上がるまでまだ少し時間がある。
どうせ見るなら良い場所で…と、参道を反れて林の中へ入ったカカシがサクラに手招きをした。

「こっちに秘密の場所があんの。花火が良く見えるよ」

木々の隙間から月の光がわずかに差し込むだけで、林の中は闇が支配している。
カカシの姿もおぼろげにしか見えない。
サクラは参道を飾る提灯の明かりから離れがたく、カカシへ向かう一歩を踏み出せないでいた。

「…おばけ出そう」
「怖がりだなぁ、サクラは。そんなことじゃ忍びとしてやっていけないデショ」
「意地悪ね、先生って」

立ち止まったままのサクラの元へ、カカシが迎えに来た。
その手から風鈴を取り上げて、自分の指を絡める。

「これなら怖くない?」
「ん」

二人が草を踏みしめる音と虫の声。
それに。
カカシが歩くたび、先ほど買ったばかりの風鈴が鳴る。
その澄んだ音色を聞きながら、何を思ったのか…カカシが突拍子もないことを言い出した。

「ねぇ、サクラ。オレ…何処で死んでもサクラの元へ帰ってくるから」
「急になんてこと言い出すのよ?!」
「必ず、戻ってくるから」
「縁起でもない話はやめてってば!」
「だから…ずっと側に居てもいい?」

依然歩きながらの会話であったが、サクラがカカシの顔を盗み見ると、そこにはめったに見ない真剣な表情があった。
いつものように冗談でかわすような雰囲気ではない。
サクラはどうしようもなく胸騒ぎを感じながらも笑顔を作って答えた。

「当たり前よ。どんな風になっても…絶対戻ってきてね」
「幽霊でも?」
「幽霊でも!!私…先生を、待ってる」
「了解」

神妙な声で答えた後すぐに、カカシが声を立てて笑い出した。
いきなりのギャップにサクラは怪訝な顔でカカシを見上げる。

「ははは。オレ、断られたらどうしようかと思った」
「…馬鹿?」
「馬鹿って言うなよ。一応、上司だぞ?」
「あ、そう。でもさ、実際のところ…私のほうが先に死んじゃうかもしれないじゃない?ていうか、そっちの方が可能性大でしょう?」
「それはないね」
「どうして?」
「オレがさせないもーん」

カカシの、すこぶるつきの笑顔が降りてる。
その陽だまりのような視線に、サクラもやっと言い知れない不安を頭から追い出すことが出来た。
そして、次のカカシの台詞に二人して激論を繰り広げることになる。
それは花火が上がり始めるまで延々と続けられた。

「そんなことよりさ、幽霊になったらどうやってコミュニケーションをとる?」












お盆にお墓?
…最悪。

亡くなった人たちには申し訳ないが、そんな思いがヒナタの脳裏を掠めた。
しかし、忍び全員に召集が掛かっている。
自分だけ行かない訳にはいかない。
ヒナタはのろのろとした動作でタンスの一番奥にしまってあった喪服を取り出した。



いつだったのだろう?
自分に普通に見えているモノが、他の人には見えていないことに気が付いたのは。
自分の瞳が特別だと気が付いたのは。

『白眼』

幼い頃はそのせいだと思っていた。
しかし、周りの大人たちに聞いても要領を得ず、気味悪がられるだけ。
一般には知られていないことだが…実際、一時の間、日向一族の中でヒナタが『狐付き』だと噂がたった。
もちろんそれに慌てたのは両親だ。
百眼としての能力か低い、その上狐付とは嫁の貰い手もないというもの。
幼心にそんな両親のただならぬ雰囲気を察して、ヒナタもアカデミーへ上がる頃にはそういう話は一切しなくなっていた。

日向ヒナタは死者を見る

そんな噂、今では誰も覚えていないだろう。
噂でなく…紛れも無い事実なのだけれど。










無縁仏の前に線香が手向けられている。
今回の殉職者達はどうやら身内がいないらしい。

不意にヒナタの背中を悪寒が走った。
案の定、すすり泣く参拝者の向こうに見たくはないモノを見つけてげんなりした気分になる。
身体のあちこちから血を流している三人の暗部は…たぶん今日の主役だ。
その一人と視線が合いそうになり、慌てて俯く。
憑かれるのだけは避けたかった。

いいかげんなものね。

ヒナタは顔を歪めて心の中で呟いた。
自分達の前では先ほどから火影様の演説が始まっている。

里のために命を懸けた英雄ですって?
その英雄達はまだ死にたくなかったみたいよ?

ヒナタにはその恨めしそうな顔がはっきり見える。
あまりの負の波動に吐き気をもよおして蹲った。

「−−−……はたけカカシ。以上、この四人の冥福を祈る。」

はたけ、カカシ?

聞き覚えのある名前だけがヒナタの耳に残った。
前者三人はまるっきり知らない名だったが、『はたけカカシ』といえば少しばかり馴染みがある。
数少ない同期の担当上司であり…なによりサクラちゃんの想い人。
二人が付き合っていることを知った時は天地がひっくり返そうなほど驚いたものだが…

死んだの?

今此処に居るだろうサクラを探すため、ヒナタは慌てて立ち上がり、周りを見渡す。
サクラは少し離れた後方の木陰に一人で佇んでいた。
きっと他の者も掛ける言葉が見つからないのだろう。
せめて側に居てあげたいとサクラに近づいていたヒナタの足が、ぴたりと止まった。

笑ってる…

何故か、サクラは笑っていたのだ。
ここからでは聞き取れないが、一言二言呟いて、また笑う。
今までにない恐怖がヒナタを包んだ。



「先生は、そんな所にいないのに」












『はい』は一回。
『いいえ』は二回。
『わからない』は三回。

………『愛してる』は五回。





「ただいま!」

サクラは部屋へ帰ってくるなり豪快に喪服を脱ぎ始める。
何故か窓の内側のカーテンレールに吊るされた風鈴が一度だけ鳴った。

チリーン(お帰り)

「あ、先生。こっち見ないでよ!着替えるんだから」

チリン、チリーン(嫌だ)

「えっち」

くすくすと笑う。
声が聞こえないのは寂しいが、確かにカカシはサクラの側に居た。
どうして風鈴なんかに憑いているのか…尋ねてみたけどカカシにもわからないという。
多分死を意識した時、風鈴片手に話したあの夏祭りの日の約束を思い出したからではないかとサクラは思っているのだが。

カカシは風鈴から離れることは出来ないし、話すことも出来ない。
唯一、想いを伝えるすべは風鈴を鳴らすこと。
あの時は冗談半分で取り決めた方法だったが、まさか役に立つとは!

風鈴に背を向けていたサクラが着替えを済ませて振り返った。

「愛してるわ、せんせ」

当然風鈴も五回、鳴った。










殉職者は四名。
墓地には三人いた。
その中にカカシがいないということはサクラの側しか考えられない。
この際、成仏したなどと思わないほうが懸命だ。

ヒナタは自宅には帰らず、サクラの家の門をくぐった。





サクラの母に案内されてサクラの部屋へ訪れる。
扉の向こうからサクラが顔を出し、ヒナタは快く迎えられた。

「ヒナちゃん、どうしたの?」
「…うん、ちょっと確かめたいことがあって」

やっぱりおかしい。
サクラを真近で見て、ヒナタはそう確信した。
サクラの顔は恋人を失った少女のそれではない。

必ず何処かに居るはず。
姿は見えないが…何処かに。

ヒナタはサクラに構わず、不躾に辺りを見回す。
不自然な、窓辺の風鈴がなんとなくヒナタの目に留まった。
睨み付けると反発するように音が鳴り、何度も何度も紐が千切れそうなほど左右に振れている。
…部屋の中は、風もないのに。

「…コレね?」
「何するのッッ!」
「風鈴…この風鈴、壊してッ!お願いだから…」
「嫌よッ!」
「だって…カカシ先生が憑いてるのよ?!」
「そんなこと、知ってるわッッ!」

狭い窓際で奪い合う風鈴は二、三度両者の手を行き来した後、弾かれるようにして窓の外へ放り出された。
あっという間に小さくなっていく風鈴を、二人はもつれ合った格好のままで見守った。
ほんの三秒後。

窓から身を乗り出したサクラの視線の先を辿ると…あまり離れていない一階の地面、そのコンクリート部分にガラスの風鈴が粉々に砕けているのが見えた。

「先生…?」

ヒナタの隣で、抜け殻になったサクラがぺたりと床に座り込む。
そして、風鈴が割れてしまったことを理解するや否や、わんわんと大きな声を上げて泣き出した。



これでもう大丈夫。
カカシを此処へ繋ぎとめていたものは無くなったはずだ。
きっとサクラも元に戻るだろう。












サクラちゃんだ…

あれから一週間。
サクラのことが気になりつつも、勇気がなくて様子が見に行けなかったヒナタは街中で偶然サクラに逢った。
塞ぎ込んでいるのではないかと心配していたが…外に出歩けるようであれば大丈夫だろう。
ヒナタはほっと胸を撫で下ろした。

洋服店から出てきたサクラは大きな紙袋を抱えていた。
その背中に、なにやら黒い影が見える。

まさか!

ヒナタは目を疑った。
全身鳥肌が立ち、呼吸すらおぼつかない。

…はたけカカシ

成仏したと思われた、かの人物がそこに居たのだ。

カカシの、サクラに対する執着を読み違えていた。
まさかこれほどのものとは!
風鈴が割れた瞬間に、今度はそれを見ていたサクラへ直接憑いたに違いない。

忙しく行きかう人の中、声無く立ちすくむヒナタに買い物籠をさげた婦人がぶつかった。
ごめんなさいと一言残し去っていく婦人の服の裾を、まだ小さい子供が掴んでいる。

「ねぇ、ママ。あのお姉ちゃん小さいのに大きなお兄ちゃんをおんぶしてるよ!へんなの」
「…?、馬鹿なこと言ってないで早く家へ帰りましょう。夕飯を作る前にパパが戻ってきちゃうわよ」

真っ白になったヒナタの頭に、親子の会話がクリアに響いた。
感性豊かな子供のうちは霊感などなくとも見えたりするもんだとおばあちゃんに聞いたことがある。
子供は暫く不思議そうにサクラの方を見ていたが、置いて行かれまいとすぐに母親の後に続いた。



ヒナタを見据えて、カカシはあざ笑うかのようにゆっくりと口を開いく。
それは、距離があるというのに耳元で囁かれたような感覚だった。

『有難う。君のお陰でサクラとの距離が縮まった。…話も出来るし。これから先もずっと一緒に居られるよ』

いきなり振り向いたサクラも同様、ヒナタに刺すような視線を送る。
そして、一歩踏み出してこう告げた。


「私達とても幸せなの。…だから、ヒナタ。もう余計なことはしないで頂戴」











夏なのでホラー…もどき。

2004.08.21
まゆ


2009.05.06 改訂
まゆ