同じ月を見ている




「次はオレかな…?」

大きな窓から夕日が差し込み、細長い影を作る。
二人しかいない部屋にカカシの低い声がいやによく響いた。

「今、何て言った?」
「…え?」
「何て言ったのよ!!」

ものすごい剣幕でサクラがカカシに掴みかかる。
一瞬戸惑ったカカシだが、薄紅色の髪に目線を落として肩を竦めた。

「声…出てたっけ?」
「出てたに決まってんでしょ!」
「あ、そう」
「一人で納得してないでこっちの質問に答えなさいよ、馬鹿!!」
「…あのねぇサクラ…仮にも上司を馬鹿扱いしないでくれる?しかも本人の目の前でさ」
「うるさい!」

自分を怒鳴りつける、翡翠の瞳は涙で溢れていた。
カカシは茶化すような声色をがらりと変えて一言だけ呟いた。

「…ごめん」
「私が何で怒ってるのか本当にわかってる?とりあえず謝ったりしないで…」

たまたまアカデミーに居合わせたカカシとサクラはいち早くアスマの訃報を耳にした。
数刻後に遺体も搬送されることもあり、アカデミー内の忍びも慌しく動いている。
そんな中、この部屋だけが時間の流れに取り残されているようにサクラは感じた。
黙ったカカシから視線を反らして窓の外を見れば…そこにはいつもと何ら変わらない夕焼けが山間へ沈もうとしている。

アスマ先生はちょっと見た目はとっつきにくいけど、でも女の子にも男の子にもかなり気があった。
優しくて頼りがいがあって面倒見が良くて。
そしてよく何かしら食べ物を奢ってくれた。
私達に慕われる=子供の扱いが上手だったということだろう。
…カカシ先生とは違って。

アスマ先生の殉職はもちろん悲しい。
だけど一瞬…カカシ先生でなくて良かったと、不謹慎にもそう思ってしまったのだ。私は。
それなのに当の本人ときたら!
『次はオレかな?』ですって?!

「カカシ先生は強いから死なないもん」
「…アスマも十分強かったデショ。人間、死ぬときは死ぬんだよ。いくら強くてもね」

…四代目だって死んだのだから。

サクラが見つめる夕日を、カカシも右目だけで眺めた。

「先生は死なないの!絶対!!」
「無茶言うねぇ…サクラは」
「死なないんだから…ひっく…」

感情が高ぶって涙が止まらない。
『死』という概念が自分と先生とではどれほど違う?
簡単に『死』を受け入れないで。
もっと『生』に執着して欲しくて。
サクラはぽろぽろと涙をこぼし続けた。

「そうだな」

アスマと比べれば全然華奢な腕がサクラを引き寄せて…その頭を撫でる。

「サクラは優秀な医療忍者だ。カカシ班にサクラがいるかぎりオレは死なない。デショ?」
「当たり前!!」

ていうか、死ねないよなぁ…
サクラを置いて死ぬなんて無理無理。

カカシは苦笑を隠しつつ、部屋の戸口へサクラを誘う。
扉を押し開けてやるとサクラはゆっくりと廊下へ踏み出した。

「今日はいのちゃんの傍に付いていてあげるといい」
「…うん、そうする」
「じゃぁ、また明日」

安心させるようにカカシがにっこりと笑えば、サクラもつられて微笑を見せた。
袖口で涙を拭い、顔の横で小さく手を振る。

「また明日」

サクラが廊下を曲がり見えなくなるまでカカシはその場で静かに見守っていた。










再び足を踏み入れた部屋はオレンジ色に染め上げられ幻想的な世界だった。

ふと机の上に煙草があることに気付く。
誰かが置き忘れたのであろう。
カカシは無断で一本拝借するとマッチを擦って火をつけた。
深く吸い込み吐き出す紫煙にむせることはなく、しかし美味いとも思わない。

「こんなのの…どこが良いんだかねぇ」

呟きに答える存在はもういない。
カカシは壁に背を預けるとそのままずるずると床に座り込んだ。

思い残すことは無かったか?
納得できる人生だったか?

そんなこと、本人じゃないとわからない。
再度口にした煙草の味はほろ苦く…カカシは夕日から顔を背けるように俯いた。










「…やっぱりまだ居た」

戸を開けた瞬間の、むせ返る煙草の匂いにサクラはそう呟いた。
中央にあった机はやや右に寄っており、少しだけ広くなった左の壁際に黒い影が蹲っている。

「先生、探したのよ?」

白い空気の中を、サクラはカカシのもとへ近寄った。
カカシは不意に現れたサクラを気にする様子もなく、手にしていた煙草の灰を灰皿へと落とす。
山のように盛り上がった灰皿と、空になって捻り潰された煙草の箱。
夕刻、カカシと別れてから四時間あまりが経過していた。

「…吸いすぎ」

サクラはカカシの指から優しく煙草を取り上げて灰皿に乗せ、カカシと同じように壁に背を預けて座り込む。

「そういえばさぁー…オレに話があるって言ってたんだよ、アスマの奴」

命に別状無いとわかっていて見舞いに来るような男じゃない。
それがわざわざ病室に来てまで切り出した話。
結局紅が迎えに来たために聞けないままだったのが悔やまれる。
無理やりにでもちゃんと聞いておくべきだった。

「何だったんだろうねぇ?」

今思えば今回の任務、しいては自分の死を予感していたのかもしれない。
もしかして。
紅のことだったのかもと、ふと思う。

「これ、アスマ先生への弔いなんでしょ?」

灰皿を埋め尽くした煙草の山。

「このままだと届かないよ」

そう言って立ち上がったサクラが窓に近づき開け放てば、部屋に立ち込めていた紫煙が一斉に外へと流れ出し、天へ昇る。

「うん、これでいい」

代わりにひんやりとした夜気を纏う空気が部屋を満たすのを感じながらサクラはカカシを振り向いた。

「そういえば…サクラ、何で此処に?いのちゃんは?」
「遅ッ!今頃そんなこと言わないでよ」

ぷぅっと膨らませた頬が愛らしい。

「いのね、私の顔を見るなりこう言ったの。『アンタだけには絶対負けないんだから!』って。…意味解らないでしょ?」

恐らくアスマに何か言われたに違いない。
…どうやら最後に話をする猶予はあったようだ。
それだけでも良かったと思う。

「真っ赤な瞳で…でも、もう泣いてなかった。いのは大丈夫だよ」
「そっか」
「で、私としてはカカシ先生が心配になったの。家に行ってみたけど帰ってないし」
「ははは。こめーんね…もう大丈夫だから」

いつまでも落ち込んでいられない。
自分にはまだ沢山の守るべきものがある。
目の前の少女はその最たるものだ。
大きく吸い込んだ新鮮な空気がカカシの時を動かせ始めた。

「さて。じゃあ、帰りますか」

手を差し出せばサクラが駆け寄ってくる。
その背後にある大きな月を見て思う。
今夜眠れないあまたの人々が同じ月を見ているはずだ。
誰もが今夜の月を忘れることはないだろう。

足を止めたままのカカシに、サクラが繋ぐ手をそっと握り返した。










アスマ先生追悼SS。
次のジャンプの内容次第では矛盾が出るかもしれませんが・・・

2006.10.28
まゆ



2008.11.16 改訂
まゆ