死が二人を分かつまで



「こいつに近づいたら殺すぞ」

耳に馴染んだ声が飛びそうな意識を辛うじて繋ぎ止める。
久美子はうっすらと目を開け自分の前に立ちはだかる影を見上げた。

いつの間にこんなに成長したのだろう?
その、赤い髪は全然変わらないのに。
いつの間に私は…アイツをこんなに頼るようになってしまったのかな…?

自問自答したところで現実は変えられやしない。
それこそ、今更だ。
久美子は彼が与える絶対的な安心感に自然と笑みを漏らした。とは言っても実際には口の端を少し吊り上げただけで、とても笑みと呼べるものではなかったけれど。
立ち上がろうとして地面についた右手は支えにはならず…おまけに血の味が口いっぱいに広がり、少しむせる。
再び硬いコンクリートに俯せた久美子の身体を引き寄せたのは自分を振り返り駆け寄ってきた元教え子…もちろん、慎だった。










目を覚ました久美子は嗅ぎ慣れた消毒液の匂いで此処が病院であることにすぐ気づいた。薄暗い中、身体を起こそうとすればはしる激痛に顔をしかめる。
右手にアバラ…どうやら予想以上にやられているようだ。
軽く舌打ちして枕元を照らす明かりに何気なく視線を向ければ、久美子はそこに浮かび上がる光景にはっと息をのんだ。

沢田?!何でここに…

眠っているのだろう、慎はやや俯き加減でパイプ椅子に座っている。
いるはずのない彼の存在に久美子の記憶が突如フラッシュバックした。

一瞬、泣くんじゃないかと思った慎の顔が近づいてきて…私の唇にそっと触れる。
与えられた熱と、包み込まれるような感触。
それは久美子にとって初めての体験で……

沢田とキス…しちゃったんだ
…キス……
キ…キ、キスぅ!?

「うわぁ!むぐぅ…」

思わず上げた叫び声を慌てて左手だけで押さえ込む。
しかし、静まり返った深夜の病室に…それは無意味なことといえた。

「気が付いたか?」

ぱちりと目を開けた慎が腰を浮かして久美子の顔を覗き込む。

「お…おぅ」
「全治一ヵ月だってよ。ったく、心配させやがって。これだから久美子からは目が離せな…ぁあ?!」

急に胸ぐらを掴まれた慎がよろける。
思わずベッドの端に手を付いて身体を支えれば久美子との距離がぐんと近くなった。
思いもよらないハプニングに顔を緩めた慎だったがベッドの上の彼女はそんなことお構いなしに問い詰める。

「久美子って何だよ!」
「…お前の名前だろ」
「そんなこと解ってる!誰が呼び捨てにしていいって言った?」
「気にすんな」
「気にするっ!」
「…付き合ってれば普通じゃん」
「はぁ?付き合うって…」

不思議そうな顔をした久美子に慎はがっくりと肩を落としたが、すぐに気を取り直して先手を打つべく言葉を探す。
ここで引き下がる訳にはいかない。
絶対に、だ。

「ついてこいって言った」
「あ…あれはなぁ!そんな意味じゃ…」
「『ない』なんて言わせねぇよ」

慎は掴まれたままだった胸ぐらに手をやり、久美子の手をやんわりと解いた。

「このままシちゃう?」

久美子の頬に指を滑らせながら慎が告げる。

「お、おい!?そんな冗談はよせって…」
「オレはマジだけど」


真っ赤な顔で慌てる久美子を見下ろしてひとしきり笑った後、慎は「なんてね」と意地悪く付け足した。

今日のところはこの辺で勘弁してやるよ。
それに。

「初めてが病院のベッドなんてイヤだろ?」
「は…初めて……」

完全にパニくってる。
口をぱくぱくと開けているが声は漏れてこない。
慎はそんな久美子の頬をぷにっと摘んでこっちを向かせた。

「怪我が治ったらじっくり堪能させてもらうし。だから…さっさと治せよ」

掠め取るように久美子の唇を奪うと何事もなかったかのようにすっと立ち上がる。

「お前の家に電話してくる。目を覚ましたら連絡入れるって言ってあるんだ。すぐ戻るから」

そう告げて慎は病室を出た。
背後に…やっと手に落ちた愛しい女を閉じ込めて。





「……な…んだ、アレ…?」

無意識に零れた問いに、当然答えは返らない。
久美子は再度触れられた唇をごしごしと拭いながら甘い感触を忘れようと躍起になった。

ケンカなら絶対負けない。
腕力だって…純粋な力比べでなれば負けるとは思えない。
なのにどうしてこうも守られている気持ちになるのか。

「…冗談じゃない」

守るべき対象に守られるなんて。でも…

「アイツになら背中を預けてもいいと思ったんだ」

そう呟いた顔が花のように綻んだことを…慎が知るのはもう少し先のこと。








YOU、新春スペシャル読みきり…
読んだ瞬間死ぬかと思ったわ。
いっつも立ち読みしてたけど即買い(笑)


2008.02.14
まゆ