現実的妄想    シュミレーション kumiko ver.




「だぁーッッ…やっぱり駄目だ!」

広い庭に面した縁側で、久美子がいきなり叫び声を上げる。
植木の手入れをしていたミノルが肩をびくつかせて振り返った。

「…お嬢、もう五回目っすよ。一体、何がダメなんですか?」

心臓に悪いとでも言うように胸を擦る。
天気の良い日曜日。
パジャマで片手にカフェオレの入ったマグカップ。
出かける気配を微塵も感じさせない主を、ミノルは溜息混じりに見つめた。

「何でもねぇよ!」

ミノルと視線が合って、拗ねた様に顔を背けた久美子はぶっきらぼうにそう答えた。
上手くいかないシュミレーションの内容を告げるつもりは毛頭無い。

何のシュミレーションかって?
…そりゃ、アレだよ。
その、まぁ…この間、沢田が列車の中で言ってた…アレ。
篠原先生について小樽に行くってヤツ。
とにかく、それが…

「上手くいかないんだってば!」
「…だから、何がっすか?」

ぐっと言葉に詰まった久美子がミノルを見る目を顰める。
彼が地雷を踏んだと気が付いたのは、久美子が裸足のままひらりと庭に舞い降りてきたから。
その距離がじわりじわりと縮められていく。
逃げることも敵わない相手だ。
ミノルが二、三発の拳か蹴りを覚悟した時、そこに予想外の救世主が現れた。







「…お前、何やってんの」

パジャマ。
裸足。
片手のマグカップ。
…そして、眉間のシワ。

ホント、何やってんだよ…コイツは。

呆れ顔を隠そうともせず、慎は大袈裟に溜息を吐いた。
重厚な和作りの玄関をくぐり事務所へ顔を出したが誰もいなくて。
話し声のする庭へと回ってきたのだが…

「お、おまえこそ何しに来たんだ?こんな日曜の朝っぱらから…」
「来たくて来たわけじゃねぇよ。それにもう昼前なんだけど」

太陽はすっかり昇っている。
朝っぱらからという言葉は当てはまらない。
自分もさっきまで寝ていたことを棚に上げ、慎は憮然とそう言った。

「コイツ」

慎が手に持つ紐を力任せに引く。
のっそりと動く大きな影。
久美子が見たことのある紐の先は…あるモノに繋がっていた。

「「富士!!」」

ミノルと久美子が同時に叫んだ。
そういえば…いつもなら庭をうろうろしているはずなのに今日はまだ一度もその姿を見ていなかった。

「またオレんちに来てた」
「…スマン」
「ちゃんと散歩させてんのかよ?」
「失礼なヤツだな。…やってるよ!」
「どうせテツさんかミノルさんかがだろう?」
「……」

どうしてコイツはこうも口がたつんだ?
富士のヤローも妙な奴に懐きやがって!!

返す言葉もなく、久美子は口を尖らせる。
その様子を見てミノルがいそいそと庭木用の剪定ハサミを片付け始めた。
この場に長居しない方が身のためだ。
慎なら暴走する久美子を上手くかわすだろうが…自分には到底ムリなことなのだから。

「じゃ、オレそろそろ昼メシの準備しなくちゃなんねーし」

慎が来たことを幸いに、ミノルはさっさと逃げ出した。
その背中を見送り、取り残された慎は久美子に向き直ってまた小さな溜息を一つ吐く。

「…座れば?」

縁側を指差してそう言われた久美子は自分が裸足であったことを思い出し、低く唸った。
このままでは家に上がれない。

「いいから座ってろよ」

そう言って庭の隅に消えた慎がバケツを片手に戻ってくるのにさほど時間は掛からなかった。
バケツには水がはってある。
縁側に腰掛けた久美子の足元にそれは置かれ、洗うよう無言で促された。
透き通った水に足をつけるとひんやりとした冷たさが染み込んでくる。

「お!冷たくて気持ちいいな!!」
「遊ぶんじゃねぇッッ!」

久美子がばしゃばしゃと足で撒き散らす水を避けながら慎が怒鳴った。
まるで子供だ。

「タオル貰ってくるから…いいから動くなって!!」
「なんだよ、うるせぇな」

一応床が濡れないようにとの配慮だろうが…
慎は四つん這いで家に上がろうとした久美子を慌てて引き止める。
どうやったって濡れるものは濡れるし、縁側を水浸しにして怒られるのはきっと久美子じゃない。他の人間だ。
自分はいつからこんなに面倒見が良くなったのだろう?
手のかかる先公だと愚痴りながらも慎は縁側から勝手知ったる久美子の家へ上がりこんだ。




一人残された久美子は濡れた足をぶらぶらさせて水を切る。
そのまま上半身を倒し、仰向けに寝転んだ。

意外に沢田のヤツ、世話焼きだから…
アイツと一緒に暮らすと楽だろなぁ、きっと。



「ほら、いつまで寝てんだよ!起きろ!!」
「…んー」
「ったく。今日は職員会議じゃなかったのかよ?」
「うぇ……?…あ!!」
「…『あ!』じゃねぇだろ」
「腹減った」
「そういうことは時間を見て言え」
「うー…朝ごはん…」
「諦めろ。オレが後でコンビニで何か買ってってやるから」
「絶対だぞ?!」



なんちゃって。
…って、何だよ。めちゃくちゃ現実的じゃん。

久美子ははっと我に返った。

あれほど篠原先生との生活をシュミレーションしても上手くいかなかったのに、どうして沢田だと苦労せず想像出来てしまうのか…

思いもよらない恐ろしい答えに辿り着きそうで瞳を硬く閉じる。
沢田はまだ来ない。
もうすぐ真上に届く太陽が、瞼の上からオレンジ色の光で久美子を射した。










2005.12.13
まゆ